35.実話と妄想を元にしたweb小説だと実感せざるを得ない


 秋山楓の自宅は、通っている高校から徒歩十五分の住宅街にあった。

 水泳の強豪校を受験するという選択肢もあったものの、これを辞退。家から徒歩で通えるくらいしか利点の無い平凡な普通高校を選んだ。お陰で登下校は非常に楽だ。

 まぁ、水泳部で次期エースの期待を背負わされるハメになってしまったのは予想外だったが。


「でも、電車で片道一時間の学校に行くより良かったなぁ……」


 やはり遠いのは気が滅入る。特に電車は気が進まなかった。

 朝の満員電車は経験したくない。毎日のように痴漢が現れるというし。考えるだけでぞっとする。

 そもそも、だ。


「あいつが、いないし……」


 そのあいつが誰の事なのか。今更語るべくもない。

 帰宅した楓は手早くルームウェアに着替えると、洗面所へ向かい、うがいと手洗いを丁寧に行う。

 そのままリビングへ向かうと、母親が仕事から帰ってきていて、テキパキと夕食の準備をしていた。


「何か手伝おうか?」


 声をかけると、怪物でも見たかのように眼を見開いて驚かれた。普通に傷つくわ。


「娘にその反応はどうなの……?」

「今までお茶碗一つ洗おうとしなかった子が突然そんな事言い出せば誰だってこうなるわよ」

「すいません」


 ぐうの音も出ない。


「で? 何かあったの? お小遣いの前借り希望?」

「我が子を下心でしか動かない人間って思わないでくれるかな?」

「今までお茶碗一つ洗おうと以下同文」

「すいません」


 我が母ながら、なかなかに攻撃力が高い。


「別に何か企んでる訳じゃないでーす。料理に興味が沸いただけですー」

「高浪くん?」

「ぶえっふぅ!?」

「何その悲鳴。というか唾飛ばさないでくれる? 汚いわ」

「えぇ……娘に辛辣過ぎない……?」

「家族でもそういうの大切よ? あんただってお父さんが穿いた下着は汚いって思うでしょ?」

「お父さんとか関係なく汚れてると思うからそれ。そう、せめて『汚れてる』って言ってくれない? というか自分の旦那に『汚い』はなくない?」

「細かいところに気が利く子になったじゃない。お母さんとして鼻が高いわ」


 壁の上着かけに引っ掛かっていた予備のエプロンを引っ掛ける。


「とにかく何か手伝う。何かやらせて」

「いいわよ、別に。あんた今日も部活やってきて疲れてるんでしょ?」

「別に平気。もう慣れた」

「そんなに高浪くんにお弁当作っていきたいの?」


 楓が今日ほど母親に戦慄を覚えた日は無かった。

 なんだこの人。こんな自由人だったっけ?

 ちなみに秋山家では、高浪律の存在は公認されている。無論、娘にとって男友達以上の存在として。特に母親からは。

 なお、父親の律に対する評価は不明瞭だった。そもそも派出所勤務の警察官である楓の父親は家にいるのが不定期で、律と顔を合わせる機会がほとんど無かった。中学時代に学校行事──文化祭や体育祭──で二、三声を交わしたくらいだろうか。

 ともあれ、両親の律の評価はなかなかに高い。少なくとも、独り暮らしをしている彼の家に娘が遊びに行く事を許可するくらいには信用はしている──はずだ、と楓は思っている。


「そ、そういう、訳じゃなく、って……」

「あの子、独り暮らしは順調?」


 元気に九歳年上の幼馴染の女性と半共同生活を送っている、とは口が裂けても言えない。


「まぁ、順調っぽい。あぁ、そうだ。お弁当で思い出した。明日からお昼代いらないから」

「え? どうして?」

「……高浪に、作ってもらうから」


 一瞬迷ったけれど。隠しておいて何かの拍子でバレると面倒そうだったので、大人しく白状しておく。

 すると楓の母は、何やら得心を得た様子で『はは~ん……』等と呟きながらコクコクと肯いた。


「高浪くんとお弁当交換でもするの?」

「夜ゴハン手伝うって話から何をどう飛躍すればそうなるの」

「実はお父さんとやってたのよー」

「微笑ましいかもしれないけど親のそういう話は聞きたくなーい!」

「さぁさぁいらっしゃい楓。秋山家に伝わる調理術を教えてあげるわ」


 もうやだこの母親。




「はぁ……疲れた」


 溜息をついてベッドに寝転がる。夕食を終えて風呂も済ませたのに、身体は謎の疲労感に苛まれていた。

 結局、母親からずっと根掘り葉掘り聞かれるハメになった。こんな事なら、お昼代が不要になった件は言わなければ良かったとすら思う。


「でもなぁ……そういうの、あいつは嫌がるしなぁ……」


 ゴロンと寝返りを打って枕を抱き締める。

 高浪律は、どこまでも公明正大な少年だ。不正や嘘の類を嫌う。

 だから彼に弁当を作ってもらうようになったら、親からお昼代を貰う訳にはいかなかった。


「いわなきゃいいかもしれないけど……」


 しかしそれは、律に対してとても不誠実だと感じられた。だから母親に言ったのだがこのザマである。

 そもそも、律が厳しいのは自分に対してのみだ。周囲にはそれほど強く同じ基準を求めない。

 何と言うか。他人に関心が薄いのだ。

 それが寂しくて。


「……でも……」


 気を遣って、優しく接してくれる事が嬉しい。

 この嫌な優越感が、楓のささやかな承認欲求を満たしてくれるのだ。

 最近はちょっと違うけれど。


「……彩音さん」


 森村彩音。律の九歳年上の幼馴染。

 彼の、きっととても大切な人。

 同時に、楓にとってもかけがえの無い人──。


「はぁ……こういうの因果って言うのかなぁ……」


 何かで読んだ漫画ではそうだった。

 そこでふと気付く。


「そうだ。彩音さんの、YANEAさんの更新」


 今日は一日バタバタしていて、いつものweb小説投稿サイトを見ていなかった。

 ワイヤレス充電器に乗せていたスマホを手にとって、ブラウザを立ち上げる。それから何度かディスプレイをタッチして、目的のページに到達する。


「更新してる」


 無論、『年下スウェット』の最新話である。

 身体を蝕んでいた疲れが吹き飛んだ。急く気持ちを押さえて、最新話にアクセスすると──。


「…………」


 主人公のOLの『愛衣』の有給休日に迫った内容だ。


「…………?」


 だが、九歳年下の幼馴染『リオ』が事情があって一日家を空ける。


「……~~~」


 せっかくの有給を一人寂しく悶々と過ごす事になってしまった『愛衣』。

 そこまではいい。

 だがそこからが──。


「~~~~~~~~」


 彼が、『リオ』が一日家にいない事を利用して、彼のベッドを好き勝手するのだ。


「~~~~~~~~~~っ!」


 それはもう情熱的に。


「~~~~~~~~~~~~~~っっっっっ!!!!!」


 もうピンクなんて次元の話ではなかった。


「彩音さん!? こ、こここぉ! これ実話じゃないですよね!? 違いますよね!? こういうのしてませんよね!?」


 違うと信じたい。楓にとって律と並ぶ『恩人』である彼女が、こんな破廉恥で変態的な行動に及ぶはずがない! そう断じて!


「で、でも……!」


 楓は気付いてしまった。それは自分の一方的な願望に過ぎない事を。

 そう、これは希望的観測だ。


「…………」


 そして同時に、ちょっとでも羨ましいなぁ~と思ってしまった自分にも気付いてしまった。


「ああああああああああああああああああああああああああっ!!!」


 夜の静かな住宅街に、羞恥心によって吐き出されてしまった悲鳴が響き渡ったのだった。 


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