34.柴犬系男子


 その日の放課後。秋山楓が帰り支度をしていると、高浪律に声をかけられた。


「秋山。昼の弁当の事だが」

「ああ、弁当箱なら週明けに渡せると思うけど?」

「明日からはじめよう」

「は?」


 肩に引っ掛けたスポーツバッグがズリ落ちそうになった。


「ど、どうして?」

「次の大会、確か一ヵ月後だろう?」

「そう、だけど。どうして知ってるの?」

「? 君が出る以上知っているに決まっている」

「だから、どうして?」

「応援しに行く為」


 人間って予想できない事態に直面したらホントに頭が真っ白になるんだな~と、楓は真っ白になった頭で感じた。


「ど、どどど、どうし、て……!? い、いきなりそんな!?」

「中学の時も行ったはずだが?」

「そ、それは学校全体の行事で、ほ、他の部活の応援と一緒だったからでしょ!?」


 楓と律が通っていた中学は部活動が盛んで、特に運動部が強かった。いわゆる強豪校というヤツだ。

 その流れからか、特定の運動部の大会を全校を挙げて応援する文化があった。

 楓が所属していた水泳部はその『特定の運動部』に入っていた。全国大会の常連だったのだ。だから県大会の決勝辺りから大量の同級生達に応援された。

 これがまた羞恥プレイ的というかなんというか。甲子園の球児達の応援は青春っぽくていいと思うが、水泳部となると事情が変わる。

 なにせ身体の輪郭がくっきりと出てしまう水着を着用するのだ。思春期真っ只中の女子中学生がそういう姿を同級生達の目に晒されるのはなかなかに辛い。

 その羞恥心のお陰で緊張が吹き飛び、早く終わらせたい一心で自己タイムを更新できてしまったのだから、あの中学の戦略は狡猾だ、と楓は今でも思っている。

 ともあれ、高校に進学してからは良い意味で安心していた訳なのだが──。


「……迷惑なら応援はやめておく……」


 そう言って、律は肩を落とした。

 それはもう何というか。見ているこちらの胸が痛むほどの気落ち具合だった。

 視線が少し下を向き、背中が僅かに丸くなってしまった。明らかに覇気を失っている。

 表情も変わっている。いや、今年で四年目の付き合いの楓だからこそ見逃さずに済んだほどの小さな変化だ。

 こう、犬っぽい。まるで怒られた柴犬である。

 楓は胸に疼痛を覚える。見えない手でぎゅっとワシ掴みされてしまったような、そんな痛み。

 その痛みの正体を、楓はすぐに理解する。

 これは律にそんな顔をさせてしまった事への罪悪感。

 そして、自分の事で律がそんな顔をしてくれた事への喜びだ。


「だ、だれも、めいわくだなんて、い、いってにゃいれ、しょっ……!」


 あー呂律が回らないのー。


「本当か?」


 あーそんなキラキラした眼をしないでー。仕事から帰ってきた飼い主をお迎えする柴犬みたいな顔しないでー。しぬー。


「ほ、ほんと、よ。さ、さっきは、ちょっと、びっくりしただけ、だから。むしろ、うれしい、かな?」

「そうか、分かった。では彩姉も誘って行かせてもらおう」


 それはそれで嬉しいー彩音さんに泳ぎを見て欲しい気持ちはあるー。

 でも、できれば律一人で来て欲しいと思うし、願ってしまう。酷いわがままだ。


「それ、で? 私の大会とお弁当が前倒しになる話がどう繋がるの?」

「君の食生活の改善に努めたい」


 真顔で栄養管理士みたいな事を言い出した。


「別に不健康な食べ物は食べてないと思うけど?」

「君の昼は基本クリームパスタセットだろう? 美味いだろうがタンパク質が取れない。だから俺の弁当でカバーする」


 俺の弁当でカバーする。なんだそのパワーワード。尊死させるつもりか。助けて彩音さん。


「でも、お弁当箱が──」

「気色悪いかもしれないが、俺の弁当箱で代用する。安心しろ、帰って中性洗剤に一日漬け込んで消毒しておく」


 んっはー。


「だ、だから気色悪くも無いし嫌でもないから……! というか、そんな事したらあんたのお弁当箱が無くなるでしょ!?」

「案ずるな。伊達に電子レンジ料理に興じていない。俺には大量の耐熱タッパーがある。そう、タッパー弁当だ」


 それドヤ顔で男子高校生が言う台詞じゃない。


「そ、そんなの……学食で食べたら、わ、笑われるわよ……?」

「笑う奴はタッパーの汎用性を知らない愚か者だ。気が済むまで笑わせておけばいい。それに、秋山が健康的な昼食を取れるのなら、俺は笑われても構わない」


 あ~~~~~~~。


「な、ならあたしが、その、タッパーお弁当? でいい」

「駄目だ」

「ど……どうして?」

「さっき君自身が言っただろう、笑われると」

「あ、あたしだって……別に、知らない誰かに笑われても平気だ、よ?」

「君は水泳部の次期エース候補。威厳というものが必要だ。タッパー弁当なんて食べさせられるはずがない」

「そんなの、無いよ、うん。無い無い。タイムがちょっといいだけで、今も色々泳ぎ方とか悩んでるし……」


 応援に来て欲しくないのは、そういう理由もある。

 無様にボロ負けするかもしれない大会に来て欲しくない。

 できるのなら、格好良く勝ったところを見て欲しい。祝って欲しい。


「君なら大丈夫だ、秋山。だから俺にも健康面で手伝わせて欲しい」


 なのに。

 それなのに。


「だめか?」


 そんな不安そうな顔で、そんな悲しそうな声で言われたら──。


「い……いい、よ?」


 認めるしか、ないじゃないか……!

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