16.暖かくなった指先
帰宅すると、彩姉がソファの上で膝を抱えて、膝小僧の上に置いたスマホをじっと見つめていた。
「彩姉?」
「あ……お、おかえり」
「…………」
「? なに?」
俺を見た彩姉が小首を傾げる。肩からハラリと落ちた艶やかな黒髪が、窓から差し込む西日を鈍く弾く。
今更だが気付く。
「確かに、これはいいな」
web小説界隈で一時期流行した話『一人暮らしのくたびれたサラリーマンが女子高生を拾う』で、主人公が感じる『おかえりなさいと言ってくれる存在の有難さ』だ。
確かに存外悪くない。一ヶ月前までは親元で暮らしていたので、そこまで感慨深いものではないのだが、かつて憧れた女性に言われるとなると胸がこそばゆい。
「???」
目を瞬かせる彩姉に、俺は何でもないと答えながら、買ってきたコンビニのビニール袋を鳴らした。
「適当に菓子やジュースを買ってきた。貪り食べよう」
「ありがとっ、食べる食べ──って、ダメよ、こんなに沢山! いい、ポテチは油がギトギトしてて、食欲を無闇に刺激する悪魔の食べ物で──!」
「駄目か?」
「うっ……! そ、そのしょぼしょぼ顔は卑怯っ……!」
「しょぼしょぼ顔?」
「そのまま小首を傾げない! ポ、ポテチは少しだけならいいわ、うん。チョコ系のお菓子はある?」
「もちろんあるぞ。彩姉は昔からチョコレートが大好きだったからな」
「甘いの嫌いな女子は絶滅危惧種よ♪」
「彩姉」
子供のようにニコニコしながらチョコ菓子の袋を開けようとしている彩姉を呼び止める。
彼女は不思議そうに眼を瞬かせた。
「昨日話した『年下スウェット』の作者が、さっきまた活動報告を書いてくれたんだ」
「そ……そう、なんだ。で?」
「小説を削除するのはやめると言っていた。続きを書くかどうかは分からないが、それでもいいのなら『年下スウェット』をお気に入りから削除してくれずにいて欲しいとも」
「ふ、ふーん……」
「一つ前の活動報告では何をするにしろ自信が持てないと言っていて、何やら私生活の事もあってとても心配したが、少し持ち直してくれたようだ。活動報告には読者から沢山のコメントも寄せられていたんだ。いずれもYANEAさんの心身を案ずるものばかりだった。あの人のweb小説を清涼剤にしていた人はあんなにもいたんだな」
「……そんなに、いたの?」
「ああ。中には辛辣な意見を言う人もいたが、それは仕方ない」
「…………」
「YANEAさんには無理をせずに、ゆっくりと自分のペースで活動を再開して欲しいと願うばかりだ」
「……あの人──YANEA、さんも」
視線を彷徨わせて。けれど、時々俺の方を向いて。彩姉が長い髪は指に絡ませる。
「きっと、もう少しだけ……小説のキャラクター達と、遊んでいたくなったんじゃないか?」
「キャラクター達……『木村愛衣』と、『高津リオ』と?」
「……うん。私の、想像だけどね」
「そうか。彩姉の想像か」
「……おかしい?」
「ちっとも。彩姉がそう言うのなら、きっとそうなんだろう」
「……ん」
小さく肯いた彩姉が、袋から出したチョコ菓子を口に入れて、ゆっくりと咀嚼する。
その顔に浮かんでいたのは、穏やかな笑みだ。
「彩姉。今日はどうする?」
「……律が暴飲暴食するといけないから、このお菓子を一緒に片付けたら帰るわ。家の片付けもしたいし。三ヶ月も放置してるからさ」
「そうか。ああ、いいと思うぞ。部屋が綺麗になると気持ちがいい。掃除は面倒だが大切な事だ」
「……ねぇ、律」
「ああ」
「また、ここに来てもいい?」
「当然だ。駄目なはずがない」
「……ラインでメッセージ、飛ばしてもいい?」
「構わない。後でアカウントを交換しよう」
彩姉がうつむく。そして、おずおずと手を伸ばして、俺の右の手の甲に触れた。
「ありがとう、律。ホントにありがとう。あんたがいてくれて──良かった」
その指先は、昨日よりも、ずっとずっと暖かかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます