18.君がいてくれて良かった
『かけない。つえあい』
『年下スウェット』の作者YANEAさんの活動報告にその一行を見た時、ぞっとした。
帰り道に彩姉とばったり出くわした──驚くべき事に、彼女のマンションは学校の近くにあったのだ──翌日。
登校の為に電車に揺られながら日課になっているYANEAさんの活動報告の確認をしていたら、そんな簡素極まりない短文が投稿されている事に気付いた。
今までのような理路整然とした文書ではない。漢字変換すらされていない。いや、『つえあい』ってなんだ? 何かの暗号か? これは一体なんなんだ?
混乱しているとラインの通知が来た。秋山からだ。
『早まらないように。間違っても彩音さんのマンションに突撃しちゃダメだよ?』
急く気持ちを抑えながら返信する。
『何故だ? 昨日の様子からして彩姉はおかしかった。あのブラック企業から嫌がらせの連絡が来たのかもしれない』
『あたし達が知らないだけでそういう事もあるかもしれないけど、今日の活動報告のあの文書とは関係無い……と思う』
『何故そう断言できる?』
『例えば高浪が一年家に引き篭もって髪もヒゲもボーボーのひっどい状態だったとする。服もクシャクシャ。それで気兼ねなく外に出られる? 彩音さんに会える?』
『最低でもヒゲを剃って着替えはする。恥ずかしい』
『そういう事』
『……あの時、彩姉にヒゲは生えていなかったぞ?』
すると既読はつくが返信が来なくなった。
ナゾナゾか何かだったのだろうか、と混乱を深めていると、学校の最寄り駅に到着した。社会人や他の学生たちを共に電車を降りて駅を出ると。
「昨日彩音さんから額面通りに受け取るなって怒られたでしょ!?」
駅前には、秋山が顔を真っ赤にして待っていた。
「あの時の彩音さんはプライベートもプライベート! 友達や親しい人には絶対に見せたくないユルユル~な瞬間だったの! だからああいう風に錯乱したんだよ、分かった!?」
「分かった」
「ホントに!?」
「ホントに」
コクコクと肯くと、秋山は呆れた様子で肩を落とした。
「とにかく。ああいうトコを見られてショックだったけど、あの『かけない。つえあい』とは関係ないんじゃないと思う」
「つえあいとは、一体なんだ?」
「つらいの誤字でしょ、多分。昨日の様子からして、小説が書けなくて思い悩んじゃってるんだと思う」
学校に向かって動いていた足が止まる。
数歩先に行ったところで、秋山も止まった。
「……高浪?」
「俺は余計な事をしてしまったのだろうか?」
彩姉には失った自信を少しでも取り戻して欲しくて、『年下スウェット』を──web小説を書き続けてもらえるよう話をしたけれど。それが彼女の首を真綿で絞める形になってしまったのだろうか? 必要だったとはいえ、劇薬に過ぎなかったのだろうか?
「深刻に受け取りすぎ」
顔を上げると、苦笑した秋山が眼の前に立っていた。
「彩音さんの状態は分からないけれど、きっと大丈夫。あ~いや、良くはないだろうけど。でも、あの言葉は前に進もう頑張ろうって足掻いてる証拠だよ」
「……そうだろうか」
「あたしの経験則上だけどね。もちろんこのままにはしておけないから、何とかして彩音さんから書けない理由を聞き出して、創作を楽しくできるようになってもらわないと」
「リハビリと称して短編はいくつか発表していた。ブラック企業がビルごと異世界転移してパワハラ上司が酷い目に遭うという、それはもう黒い経験を積んだ彩姉にしか書けない内容だった」
「ああ、あれね……すごく面白かったけど、色々知ってるから素直に笑えなかったわ……」
まったくその通りだ。
「ともあれ、創作自体はできていると思うぞ?」
「なら、『年下スウェット』の続きを書こうとしたけど、上手く書けないって事なのかな……?」
「分からん。とにかく話を聞いてみようと思う」
「ん。でも、あたし達が彩音さんをYANEAさんだって分かってる事、気付かれないようにね?」
「もちろんだ。ひとまず、昼休みにでもラインで連絡を取ってみる」
「よし。じゃあ学校に行こ?」
秋山が笑って前を向こうとしたので、俺は声をかけた。
「秋山」
「ん~?」
「ありがとう。君がいてくれて本当に良かった」
だが、返事は無かった。
こちらも振り向いてはくれなかった。
「秋山?」
「は、はやくいこう、よ。おくれるから」
「なんでそんなカタコトなんだ?」
「い、いいから早く!」
そう叫ぶと、秋山は俺を無視して学校への坂道を駆け出していった。
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