四十、神鳴が響く時 ※



 外から何かが崩れるような大きな音がし、宝物庫のゴミの山からやっと注連縄しめなわを見つけた蒼玄が、慌てて結界牢の方へと戻ってみると、その悲惨な有様に思わず呆然と立ち尽くしてしまった。


 結界牢は確かに石を積み上げた岩のような見た目だが、そう簡単には壊れないようにできている。鉄格子の代わりである結界と、その強度を上げるために自身の神通力を定期的に込めているからだ。


 それなのに、一番大きくて手間のかかるあの結界牢が、崩れ落ちているではないか!


(あのクソボケ鬼若がぁ!!)


 拳を胸元で握りしめ、その鳥の面の奥で、絶対に人には見せられないような恐ろしい顔をしながら、心の中で叫ぶ。


 犯人は言わずともわかる。

 あの牢にいたのは奴ただひとり。


 大鷹のような青みがかった灰色の翼を広げ、一気に上空へと舞い上がる。そのまま錫杖を薄墨色の空へ翳すと、幽世かくりよには存在しないはずの暗く重たい雨雲が、どんどんその場所にだけ集まって来きた。


「ん? なんだ?」


 冰紅蓮ひょうぐれんで飛んで来た岩を真っ二つにした鬼灯が、思わず間の抜けた声で頭上に集まっている黒い雲をちらりと見上げる。それに対して弁慶は、構わずに次の岩を持ち上げていた。


 ゴロゴロと鳴り響くのは、紛れもなく雷鳴だ。


「鬼灯、残念だが、勝負はこれまでのようだな」


「は? なんでだよ?」


 呆れたように梓朗は肩を竦める。そして、上空から放られた細く長い注連縄しめなわを見上げて、顎で鬼灯に「あれ」と示す。


 鬼灯は仕方なく地面を蹴って、指示通りに、その落ちてきた注連縄しめなわに手を伸ばした。


(カミナリ? あいつ、まさか····、)


 縄を掴んだまま、げっ、という表情で上空に浮かんでいる蒼玄を見上げ、彼がやろうとしていることを悟る。あんなのを落とされたら、おそらく自分もただでは済まないだろう。というか、死ぬ。たぶん、消し炭になる。


 地面に着地し、妖刀を消すと、紫紋は片手に注連縄しめなわ、片手に梓朗を抱えて、全速力でその場から離れる。


 正直、これ以上ここにいても意味がないし、後はあの結界牢の守人が勝手にやってくれるだろうと思った。梓朗も同じようで、抱えられたまま特に何も言わなかった。


「どうやら、このまま大太法師だいだらぼっちの方へ合流した方が、良さそうだね、」


 そんなに時間は経っていないが、識の動きも気になるし、平良がどこに連れて行かれたかによって、自分たちがどう動くかも変わってくる。危険だと思えば識は先に動いているだろうし、慎重にと思えば待機しているはずだ。


「来たれ、神鳴かみな雷公らいこう火雷ほのいかずち――――よくも私の結界牢を····この愚か者め、黒こげになって反省するがいい! 雷神招来!!」


 蒼玄のぼやきまじりの詠唱と共に、ほぼ同時に後ろで鳴り響いた耳を劈くような地雷じかみなりの音。そのすぐ後に大地が大きく揺れ動くような地響き起こり、ふたりは後ろを振り向かずとも弁慶がどうなったかを察する。


「大地が揺れるくらいの凄まじい力だね、」


「耳がおかしい」


 梓朗は耳を塞いでいたが意味がなかったことを思い知る。

 耳がキーンとし、お互いの声がよく聞こえないまま、とにかく先に進もうと、紫紋は梓朗を抱えてながらも、身軽に森の中を駆けて行く。


 大太法師だいだらぼっちはすでに顕現しており、それが目印になった。だが、山ほどの大きさの彼が指し示す方角の先にあるのは、ただひとつ。


「あの方角って、」


 幽世かくりよの者が絶対に立ち寄らない場所。


黄泉平坂よもつひらさか、か」


 梓朗は怪訝そうに眼を細める。そうなれば、おそらく識は先に行ったはず。


「紫紋、」


「わかってる。このまま行く」


 言って、先程までよりもさらに足を速めて紫紋は駆けるというよりは、大きく撥ねて飛ぶように地面を蹴って進んで行く。

 薄暗い森の先に、洞穴の入口が見えた。そこは、陰気な空気が漂う黄泉への入口。


 黄泉平坂へと続く洞穴。


 紫紋は地面に梓朗を降ろして立たせると、持っていた注連縄しめなわも手渡し、再び妖刀を手に出現させる。同時に鬼灯が姿を現す。


「さっきは"おあずけ"をくらって、こっちは消化不良なんだ。今度は暴れても文句はないだろ?」


「勝手にしろ。だが、あくまでも目的は、あの厄災の神の捕縛と、平良の救出だ」


「じゃあ法力くれ」


 ほい、と右手を梓朗の方に差し出して、お小遣いでもねだるように口の端を上げて言った。

 梓朗はふんと鼻で笑って左手を重ねると、それを合図に鬼灯の顔がずいと近付いて来て、そのまま唇が重なった。


 長い口付けの後、自分の身に注がれていく法力に満足したのか、鬼灯はにやりと笑みを浮かべ、不機嫌そうに見上げて来る梓朗に対して、わざとらしく「よし、満たされたぜ!」と声を弾ませた。


「このっ······変態妖刀!! さっさと行け馬鹿!」


「いってぇっ!!? なにすんだよっ」


 梓朗は鬼灯の尻を思い切り蹴飛ばして、洞穴の先へと追いやる。尻を押さえてぶつぶつと文句を言いながら、鬼灯は前を歩く。


 薄暗く細い道の先に、小さな灯りがぽつぽつと見え始める。灯りのせいか、先の洞穴の岩肌に長細く大きな影が伸び、何者かが自分たちの前にいることを知る。


 ふたりは足音をなるべくたてないように、その影の正体を探った。この時点で、識ではないことはわかる。


 識であれば、自分たちにいち早く気付き、声をかけてくるはず。しかしその先にいるだろう"何か"は、ふたりにまったく気付いていない様子だった。


(ん? あの長細いマヌケな影って)


 鬼灯が気付くのとほぼ同時に、梓朗も気付いたようだ。呆れた顔でこちらに視線を送り、首だけ振って、それから嘆息した。


 下手に声をかけて驚かれても逆に困る。ふたりはその影を追うように、後ろを少し離れてついて行くことにした。


 その影は三つ。白い毛並みの獣たちがなぜこんなところにいるのか。


 びくびくおどおどと、数歩進んでは止まるその者たちにイライラしながら、梓朗は聞こえてきた三匹のひそひそ話に、眉を顰めた。



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