九、"無の扉"の管理者 ※



 鬼灯はけたけたと笑いながら、黒い靄を相手に刀身を揮う。その大きさに見合わない素早い動きで、目の前の""が攻撃を仕掛けてくる。その靄は腕と認識できる部分に、大きな鉤爪のような形態を取ってきた。


「なんだ、お前、面白いことするじゃねぇか!」


 振り翳された鉤爪の隙間に刀身を縫うようにあてがえ、圧し潰そうとするその力に自然と笑みが零れる。このように武器の形を取る""は稀ではなく、故に鬼灯の役割は大きい。


 強い力で地面の方へと押し付けてくるその大きな鉤爪に対して、受け流すような動きで鬼灯は持っていた刀の力を抜く。そうすることで鉤爪はそのまま地面にめり込み、くるりと身を翻した鬼灯はその隙に後ろへ飛んだ。


「さて、どうするよ?」


『それは君が決めることだろう?』


 冷たいな、と不敵な笑みを浮かべ、肩を竦める。今は意識を共有しているので、頭の中で紫紋が突き放す。いつもそうだが、自分に対する態度は常にこのように冷たいのだ。もう随分と経つのに、あの時の事を根に持っているのだろう。


 門派の奴らを皆殺しにした理由?もちろん、一生語るつもりはない。


「じゃあお言葉に甘えて、好き勝手にやらせてもらうぜ!」


 赤い瞳の奥が微かに光る。

 黒い靄の頭上まで飛び上がると、そのまま刀を脳天に突き立てるように真っすぐに下降する。そしてその切っ先を、靄の頭らしき場所に思い切り突き刺さすと、そのまま力任せに引き抜いた。


 辺りに悲鳴に似た慟哭が響き渡る。

 鬼灯は靄の頭上から飛び、地面に降り立つ。


 それとほぼ同時に、鬼灯の横を強い風が吹き荒れる。それは黒い靄の四肢を切り刻むように襲いかかった。


 だが、鋭い風の刃によって切り裂かれたはずの大きな靄の四肢は、何事もなかったかのように、すぐに元の形に戻ってしまう。


「遅くなりました」


 後ろに降り立つように現れた識に対して、余計なお世話、と鬼灯は口の端を歪める。いつものことなので、それに対して特に何か思うことはない識は、そのさらに離れた所にいる主に指示を仰ぐ。


「残念だが、それ・・は手遅れだ。完全に""へと堕ちた妖は、あちら側に送らなければならない」


 いつもの椿の絵柄が入った黒い羽織ではなく、白い上衣と赤い袴という巫女装束に似た衣裳を纏った梓朗は、無感情な表情で黒い靄と化している""を見据える。

 

 花を模した飾りが付いた紫色の帯が特徴的で、赤い紐飾りと一緒に結ばれていおり、前に垂らしたままの余った二本の帯には、赤と青の花のような模様と、金色の輪が描かれている。長い髪の毛の左側に、赤い花飾りがふたつ飾られていて、その艶やかな黒髪によく映えて見えた。


「では時間を稼ぎます」


 簡潔に答え、識はその右手に水を左手に風を宿すと、元の姿をすでに取り戻している靄を見上げた。


 強く両手を合わせると風と水が混ざり合い、水が踊るように風に巻き込まれた。それをそのまま黒い靄に向かって放つと、ひとつの大きな輪から次々と分裂し、いくつにも増えた回転する水の輪が、不規則な動きで襲いかかった。


 蝶の髪飾りがとまっている、絹糸のような青銀色の髪の毛が、吹き荒れる風によって肩の辺りで左右に無造作に揺れ動く。金色の大きな瞳が、暗い闇の中で光っているように見えた。


「ひゅう~♪ やるじゃん、識」


 さらに細かく切り刻まれた靄を眺め、鬼灯が茶化すようにそう言った。


弥勒サマ・・・・、俺にも法力くれ」


 言って、梓朗の着物の左右の合わせの部分を掴むと、有無を言わさずに、自分よりもずっと細く背の低い主を引き寄せた。

 そして――――。


「······っ··········ふっ······っ」


 自分の唇を梓朗の唇に重ねる。

 吸い取るかのように強く重なる唇に、梓朗は鬼灯の黒い上衣を掴んで引き剝がそうとするも、力負けしてしまう。しかし十数秒ほど経ったその時、


「······んのっ! ど変態!!」


 もういいだろう! と言わんばかりに右の拳が鬼灯の顎に思い切りヒットする。


「いってっ!? あっぶねぇだろう! 舌噛むところだったぞっ」


「調子に乗るなよ、廃物が····っ」


 吐き捨てるようなその言葉に、鬼灯は「ははっ」と笑う。


「法力の貰い方は、力のある式であれば自分で選べる。これ・・を承諾したのはあんた自身だろ。おかげでこの俺を存分にこき使えるわけだ。そもそも、紫紋の奴が断るために言った無茶苦茶な契約を、真に受けたあんたが悪い。おかげで俺は毎回おいしい思いしてるけどなっ」


 ふるふると顎を殴った拳を握り締めたまま、梓朗は人生最大の選択ミスを指摘され怒りに震える。


「さっさと行け、馬鹿!」


 もはやただの悪口でしかない台詞を吐き、梓朗はぐったりと疲れた表情を浮かべる。鬼灯は水を得た魚のように、再び靄の方に向かって行く。その黒い刃が、閃光の如く靄を何度も真っ二つにするが、それと同じ数だけ元に戻ってしまう。


 そうやって、繰り返し削るように力を削いでいく。識と鬼灯に靄の攻撃は掠る程度で済んでいるようだが、長引けばいずれふたりの法力の方が先に尽きるだろう。


 だが、もう充分だ。


(調子に乗りやがって······、)


 口許をごしごしと何度も拭い、梓朗は右眼の眼帯を剥ぎ取り懐に収めると、胸元で複雑に指を絡めて印を結んだ。


「我、古の扉の鍵を持つ者なり――――、」


 呟くように古の言葉を紡いでいく。眼帯で隠されていた、濃い紫みのある青色の右眼に梵字のような模様が浮かび上がり、同時に梓朗の足元を中心にして、大きな青く光る陣が現れる。そして、渦を巻くように吹き荒れる見えない強い力が彼の周りを巡り、長い髪の毛や纏っている衣裳を大きく揺らす。


「弥勒の名において、彼の扉を開きたまえ」


 その言葉の終わりとほぼ同時に、闇空に突如大きな黒い鉄の扉が現れ、その重たそうな左右の扉がゆっくりと開かれていく。それを確認した鬼灯と識は左右に分かれ飛ぶと、梓朗と黒い靄から距離を取り、それぞれ地面に降り立った。


 梓朗と大きな靄が真正面で対峙する。新たな標的を見つけ、靄はじりじりと間合いを詰めてくるのが見えたが、梓朗は気にせずに印を結んでいく。

 

「""に堕ちし悲しき存在よ、その尊い命を"無"にすことを、我に赦したまえ」


 梓朗が最後の印を結び、そのまま前に突き出す。すると、それを迎えるかのように扉が完全に開かれ、先の見えない奥から勢いよく降ってきた数本の鎖が、大きな靄の首や四肢を一瞬で拘束する。


 靄は必死にもがき逃れようとするが、鎖が降ってきた速さと勢いそのままに、鉄の扉の向こう側へと強制的に引きずり込まれて行く。


 そして姿が完全に見えなくなると同時に、問答無用とでも言わんばかりに、その鉄の扉は大きな音を立てて閉じられるのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る