六、妖刀「鬼灯」現る!



 平良は目の前で繰り広げられたその光景を、瞬きひとつせずに見ていた。


 結論から言えば、「華鏡堂」と彫られた立派な看板は、平良を避けるように綺麗に真っ二つになって地面に落ちた。しかも、落ちる前にふわりと宙に浮いたことによって、真っ二つになった以外の破損はない。


「大丈夫ですか? お怪我は?」


 識の声が下の方からする。幽世かくりよには陽が昇ることがないらしく、ずっと薄暗闇の空が広がっているのだが、所々に等間隔で飾られている橙色の灯りのせいか、外にいても暗いとは思わない。


 現世うつしよで言えば、都内の飲み屋街に似ている。この数日ここにいて、妖が路を歩いていない時間はほんの一時、決まった時間だけ。今は路の先から賑やかしい声が聞こえてくる。


 それが一瞬すべて途切れ、時が止まったかのような感覚を覚えた。今目の前で起こった光景こそその原因だろうと思う。


 頭上まであと二メートルという所に迫ったその時、長方形の看板のちょうど真ん中に縦に一線が入った。それは真っ二つに割れ、左右に離れていく。看板に隠れて見えなかったその先。それが左右に分かれたことで、看板を真っ二つにした犯人の姿が露わになったのだ。


「し、紫紋さん?」


 黒い刃の刀を手に持ち構えた状態で、看板と一緒に落ちてくるのが見えた。あの一線は、紫紋が刀で一刀両断した時に見えたものだろう。二つになった看板は、識が手を翳して起こした風の力によって、ゆっくりと地面に着地する。同時に、紫紋も身軽な様子で地面に舞い降りた。もしかして、あの短時間で二階に駆け上がり、看板と一緒に飛び降りてきたのだろうか。


 いや、無理だろう······。


 しかしそれ以外考えられない。なぜなら店先には平良しかいなかったし、横をすり抜けて地面からあそこまで飛んだのなら、さすがに気付く。現に、識の姿は視界の端に映ったから。


(あれ? でもなんか······雰囲気が、)


 いつもにこやかで爽やかな彼の雰囲気が、なんだか鋭くてどこか冷ややかな雰囲気に思えた。それに気を取られ、心配する識の声にすぐに反応することができずにいたのだ。不敵な笑みを浮かべる紫紋に対して、なんだか後ろに下がりたくなるような衝動を覚える。


「クソガキ、今すぐ土下座してこの俺に感謝しろ」


 ええっと、これは幻聴?

 それとも、空耳?


「し、紫紋····さん?」


 顔は確かに紫紋なのだが、よく見えれば瞳の色が赤い。赤い瞳は""になった者に現れる印のようなものらしい。そういえば、さらっと紫紋が自己紹介の時に言っていた"あること"を思い出す。


「俺、人間だった時に色々あってね。門派のひとたちを皆殺しにして""に堕ちちゃったみたいなんだけど。それから色々あって、幽世ここに転移して来て。でも、俺自身はあんまりそのことは憶えていないんだ。なんで同じ門派なのに、全員殺しちゃったんだろう? 不思議だね、」


「それは確かに不思議っすねー、」


 その時はものすごく軽い感じで言っていたのだが、あまりに"なんでもない"といういつものにこやかな顔と声音だったため、さらっと聞き流してしまったのだ。よく考えたらヤバヤバなひとなのでは? と、今更思い直す。


「地面に額付けて感謝しろって言ったんだけど?」


「あ、はい! 紫紋さんが看板を真っ二つにしてくれなかったら、俺、マジで死んでたかもっす! 感謝します!!」


 土下座で許してもらえるなら(なにを?)、とプライドの欠片もない平良は正座し、そのまま額を地面にくっつけて頭を下げた。


 その様子を見下ろしていた紫紋が、「はは!」と上機嫌に声を上げて笑った。


「なんだこいつ、馬鹿なのか? でも気に入った! 特別に俺の下僕にしてやる。光栄に思うがいい」


「ありがたき幸せ!」


 ノリで「ははーっ」とさらに手を伸ばしてお辞儀をしてみせる。まるで時代劇でお殿様に頭を下げる家臣のようだ。その様子を、識がものすごく冷たい目で見ていることなど露知らず。


鬼灯ほおずき、いい加減にしろ」


 梓朗は大きく嘆息して、紫紋の頭を後ろから引っ叩いた。いて! と顔に合わない台詞が紫紋の口からでる。もうなにがなんだがわからない。


「お前も、いつまで地面に這いつくばってるつもりなんだ?」


 呆れた顔で見下ろして、梓朗が吐き捨てるように呟いた。あはは····と自分のノリの良さに後悔しつつ、すくっと平良は立ち上がる。


「えっと、俺を助けてくれたのは紫紋さんじゃなくて、鬼灯さん?」


「妖刀を手にしている時に出てくる変態だ。気にするな」


 変態?

 梓朗はさらりと鬼灯を貶す。しかし鬼灯は梓朗には逆らえないようで、不服そうな顔をしているが、先程とは打って変わって大人しくなっている。


「鬼灯さん、識ちゃん、ありがとう。今まで看板が落ちて来て無傷だったのは初めてっす! ふたりのおかげっすねっ」


「え······?」


「は?」


「はは! なんだそれ、まるで何回か落ちてきたことがあるような言い方だな」


 ああ、そうっすよね! と平良はぽんと拳で手の平を叩いて、思い出したかのように言う。


「普通のひとは、看板が頭上に落ちてくるなんて非日常、経験することないっすもんね。俺、自慢じゃないっすけど、工事現場の看板に十数回襲われた経験があって。まあ、全部未遂で、怪我は驚いて尻もち付いた時の擦り傷くらい······ってあれ?」


 平良は自分を見つめてくる三人の眼差しに気付き、首を傾げる。


「タイラ······本当に不運に愛されてますね」


 識が同情に満ちた瞳で呟く。その言葉に同意するように、梓朗と鬼灯がそれぞれ右と左の肩をぽんと叩く。


「お前、残念な奴だな」


「どうでもいいが、看板は直しておけよ」


「了解っす! あ、でもあそこまで持ち上げるのは無理なんで、手伝ってもらえるとありがたいっす」



 それから二時間後————。

 看板は元の形を取り戻し、いつもの場所にしっかりと固定されましたとさ。


 

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