六、妖刀「鬼灯」現る!
平良は目の前で繰り広げられたその光景を、瞬きひとつせずに見ていた。
結論から言えば、「華鏡堂」と彫られた立派な看板は、平良を避けるように綺麗に真っ二つになって地面に落ちた。しかも、落ちる前にふわりと宙に浮いたことによって、真っ二つになった以外の破損はない。
「大丈夫ですか? お怪我は?」
識の声が下の方からする。
それが一瞬すべて途切れ、時が止まったかのような感覚を覚えた。今目の前で起こった光景こそその原因だろうと思う。
頭上まであと二メートルという所に迫ったその時、長方形の看板のちょうど真ん中に縦に一線が入った。それは真っ二つに割れ、左右に離れていく。看板に隠れて見えなかったその先。それが左右に分かれたことで、看板を真っ二つにした犯人の姿が露わになったのだ。
「し、紫紋さん?」
黒い刃の刀を手に持ち構えた状態で、看板と一緒に落ちてくるのが見えた。あの一線は、紫紋が刀で一刀両断した時に見えたものだろう。二つになった看板は、識が手を翳して起こした風の力によって、ゆっくりと地面に着地する。同時に、紫紋も身軽な様子で地面に舞い降りた。もしかして、あの短時間で二階に駆け上がり、看板と一緒に飛び降りてきたのだろうか。
いや、無理だろう······。
しかしそれ以外考えられない。なぜなら店先には平良しかいなかったし、横をすり抜けて地面からあそこまで飛んだのなら、さすがに気付く。現に、識の姿は視界の端に映ったから。
(あれ? でもなんか······雰囲気が、)
いつもにこやかで爽やかな彼の雰囲気が、なんだか鋭くてどこか冷ややかな雰囲気に思えた。それに気を取られ、心配する識の声にすぐに反応することができずにいたのだ。不敵な笑みを浮かべる紫紋に対して、なんだか後ろに下がりたくなるような衝動を覚える。
「クソガキ、今すぐ土下座してこの俺に感謝しろ」
ええっと、これは幻聴?
それとも、空耳?
「し、紫紋····さん?」
顔は確かに紫紋なのだが、よく見えれば瞳の色が赤い。赤い瞳は"
「俺、人間だった時に色々あってね。門派のひとたちを皆殺しにして"
「それは確かに不思議っすねー、」
その時はものすごく軽い感じで言っていたのだが、あまりに"なんでもない"といういつものにこやかな顔と声音だったため、さらっと聞き流してしまったのだ。よく考えたらヤバヤバなひとなのでは? と、今更思い直す。
「地面に額付けて感謝しろって言ったんだけど?」
「あ、はい! 紫紋さんが看板を真っ二つにしてくれなかったら、俺、マジで死んでたかもっす! 感謝します!!」
土下座で許してもらえるなら(なにを?)、とプライドの欠片もない平良は正座し、そのまま額を地面にくっつけて頭を下げた。
その様子を見下ろしていた紫紋が、「はは!」と上機嫌に声を上げて笑った。
「なんだこいつ、馬鹿なのか? でも気に入った! 特別に俺の下僕にしてやる。光栄に思うがいい」
「ありがたき幸せ!」
ノリで「ははーっ」とさらに手を伸ばしてお辞儀をしてみせる。まるで時代劇でお殿様に頭を下げる家臣のようだ。その様子を、識がものすごく冷たい目で見ていることなど露知らず。
「
梓朗は大きく嘆息して、紫紋の頭を後ろから引っ叩いた。いて! と顔に合わない台詞が紫紋の口からでる。もうなにがなんだがわからない。
「お前も、いつまで地面に這いつくばってるつもりなんだ?」
呆れた顔で見下ろして、梓朗が吐き捨てるように呟いた。あはは····と自分のノリの良さに後悔しつつ、すくっと平良は立ち上がる。
「えっと、俺を助けてくれたのは紫紋さんじゃなくて、鬼灯さん?」
「妖刀を手にしている時に出てくる変態だ。気にするな」
変態?
梓朗はさらりと鬼灯を貶す。しかし鬼灯は梓朗には逆らえないようで、不服そうな顔をしているが、先程とは打って変わって大人しくなっている。
「鬼灯さん、識ちゃん、ありがとう。今まで看板が落ちて来て無傷だったのは初めてっす! ふたりのおかげっすねっ」
「え······?」
「は?」
「はは! なんだそれ、まるで何回か落ちてきたことがあるような言い方だな」
ああ、そうっすよね! と平良はぽんと拳で手の平を叩いて、思い出したかのように言う。
「普通のひとは、看板が頭上に落ちてくるなんて非日常、経験することないっすもんね。俺、自慢じゃないっすけど、工事現場の看板に十数回襲われた経験があって。まあ、全部未遂で、怪我は驚いて尻もち付いた時の擦り傷くらい······ってあれ?」
平良は自分を見つめてくる三人の眼差しに気付き、首を傾げる。
「タイラ······本当に不運に愛されてますね」
識が同情に満ちた瞳で呟く。その言葉に同意するように、梓朗と鬼灯がそれぞれ右と左の肩をぽんと叩く。
「お前、残念な奴だな」
「どうでもいいが、看板は直しておけよ」
「了解っす! あ、でもあそこまで持ち上げるのは無理なんで、手伝ってもらえるとありがたいっす」
それから二時間後————。
看板は元の形を取り戻し、いつもの場所にしっかりと固定されましたとさ。
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