七、遊郭の女主人は噂話がお好きなようです



 座敷童子たちが世話になっている遊郭は、この幽世かくりよに存在する娯楽場のひとつである。それを取り仕切っているのは女主人で、もちろん"ひと"ではない。そして遊郭といえども身体を売るような場所ではなく、彼女たちが売るのはあくまでその洗礼された舞や歌である。


 この幽世かくりよにおいて、妖たち同士が情を交わすという行為は稀である。契約のためにそれが必要な神は存在するが、そこに感情はなく、あくまで契約という括りの中で交わされるものであった。


小春こはるちゃん、いつもお手伝いありがとう。本当はこんなことしなくてもいいのに、」


「いいえ。お世話になっているので、せめてその分は働かせてください」


 雑巾を水に沈めると、その短い腕の中にたらいを持ち上げる。小春こはると呼ばれた五歳前後の白髪の少女は、大人しそうな顔に小さな笑みを浮かべた。


「そう? だったら、遠慮なくお手伝いしてもらおうかしら。なにせ万年人手不足なものだから、とっても助かるわ」


「大好きな菖蒲あやめ姐さんの頼みなら、私たち、なんでもします」


 この遊郭の女主人、菖蒲。彼女は美しくも妖艶なひとの姿をしている妖であるが、その正体は女郎蜘蛛である。ひとの姿を取れるくらい妖力が強く知性も高いため、この大きな楼閣で働く大勢の妖たちを纏めているのだ。他の建物よりもひとつ分くらい高いこの楼閣で、人気の遊郭を開いているのだから、集まって来る噂話は絶えない。


「そういえば、梓朗ちゃんのところに、久々に新人さんがやって来たとか」


「あの弥勒様の所にですか? 一体、どんな方でしょうか、」


 控えめに小春は小さな声で呟くが、興味があるようだった。


「今度一緒に遊びに行ってみる?」


 いいんですか? と小春は嬉しそうにはにかむ。


「小春、菖蒲姐さん、ただいま戻りました!」


深冬みふゆ、どこにいっていたの?」


 ちょうど昼を知らせる鐘が、カンカンと外で鳴り響いていた。朝の鐘が鳴ってからずっと外に出ていた双子の兄に、小春は首を傾げる。


「小春! 弥勒様の所で、あの髪飾りを直せるかもしれないって言ってくれたひとがいて、今、お願いしてきたんだっ」


「本当? 本当に、直せるの?」


「まだわからないんだけど、やってみるって言ってた。色んな所で断られちゃったから、最後の頼みの綱って感じなんだけれど、」


 深冬と呼ばれた同じく五歳前後の少年が、希望に満ちた眼差しで目の前の双子の妹に報告する。それを聞いていた菖蒲は、不思議そうな顔で訊ねる。


「あら、面白そうなお話ね。私にも教えてくれないかしら?」


 華鏡堂に新人、というか居候が増えたという情報は得ていたが、あの堂にそんな器用な者がいただろうか?


 あの髪飾りとは、きっと小春がいつも付けていた髪飾りのことだろう。あの繊細で複雑な作りの髪飾りを直すのは、職人でも難しいはず。


 菖蒲のその有無を言わさない美しくも恐ろしい笑みに、深冬と小春は「はわわ」と抱き合って震えあがる。彼女がなによりも欲するもの。それは"情報"である。この辺りに張り巡らした"糸"によって、さまざまな情報が耳に入って来るのだが、あの華鏡堂の周りはそれが不可能なのである。


 故に、入って来る情報はわずか。


「え、ええと、直せると言ってくれたのは人間の子で、あ、そうだ、これ!」


 大事なことを思い出して、深冬は手に持っていた風呂敷を床の上で広げる。そこには小さな箱があり、蓋を開けると長方形の黄色い物体が三つほど綺麗に並んでいた。その大きさは物差しで測ったかのように均等で、切れ目が薄っすらと見えるだけなのだが、確かに三つあった。


「"いもようかん"といういうものらしいです。すごく甘くて美味しいお菓子で、そのひとが、お土産にって持たせてくれたんです」


「あら、素敵! ちょうどいいわ、とっておきの玉露があるから、一緒にいただきましょう。ついでにその親切な彼の話を詳しく教えて頂戴、」


 箱を手に取り、菖蒲はふふっと楽しそうに微笑む。小春と深冬はそれぞれ手を握り、その後ろに続くのだった。



******



 華鏡堂。


 よし、と平良は大きく頷いた。あれから一週間もかかったが、髪飾りは完全に元の形を取り戻した。修復能力とその器用さを屈指し、修復できないところは手作業でなんとかなった。知識の足りないところは、紹介してもらった職人さんに教えてもらったりして。ようやく、だった。


「すごいです。こんな複雑な飾り、本当に直してしまうなんて」


 普段あまり表情の変わらない識だが、布の上の髪飾りをまじまじと眺めて目を輝かせていた。最初の頃の彼女は敵対心しかなかったが、平良の家事能力もそうだが、自分にできないことを簡単にできてしまうところを、素直な心で尊敬していた。


「いやぁ、俺もどうなるか不安だったんすけど、なんとかなって良かったっす!」


 実のところ、今までで一番大変だった。


 おまけに花飾りにぶら下がっていただろう、緑色の房飾りの部分のパーツが足りず、職人さんに無理を言って似たものを作ってもらった。あとは聞いた通りに手作業で繋ぎ合わせて、なんとか無事に完成したのだ。


「すごいすごい、よくできました、だね」


 紫紋がよしよしと小さな子供にするように頭を撫でてくる。平良はあの看板の一件以来、紫紋に鬼灯のことを重ねてしまう。この優しい笑みの美青年が、同じ顔で豹変したらある意味トラウマ級だ。だが、意外にも平良は平気で、むしろちょっと気になっていたりする。


「紫紋さんって、お兄ちゃんって感じっすよね。逆に鬼灯さんは弟って感じ」


「そうかな、」


 そうかな、と言った時の紫紋の細められた眼が、どこか懐かしさを感じさせて、平良はそれ以上言うのを止めた。色々複雑そうな事情を抱えてそうな彼は、言いたくないことは誤魔化すふし・・がある。


「無駄話は後にして、さっさと依頼人に届けに行ってこい。報酬はそこの女主人から搾り取って来るんだぞ」


 いつもの長椅子に座ったまま、梓朗は頬杖を付きながら言う。自分は行かないぞと言っているようなもので、それを察した紫紋が「はいはい、では俺が行ってくるね」と手の平を振った。


「あ、あの、俺も一緒に行っても?」


「勝手にしろ。いや、ちょっと待て。その着物で行くつもりか?」


 この幽世かくりよに来た時と同じ、制服に白いパーカー姿の平良を指差して、梓朗は言った。特に気にもしていなかったが、今更どうしたというのだろう。


「あの女主人にそんな姿を見せたら、質問攻めされて帰って来れなくなるぞ」


「ああ、じゃあ俺のを一着あげよう。平良くんなら裾上げも簡単にできるだろうから、それまで待っててあげるよ」


 言って、二階の奥の自分の部屋から一着持って来てくれた。


 身長差というか、紫紋の袴は平良には少し丈が長い。着物を着るのはたぶん七五三以来だと思うが、平良の目から見ても、紫紋が持って来た着物はかなり上等なものだった。その青い上衣の袖と黒い袴の裾を簡易的に仕立てて、紫紋と共に遊郭を目指す。一緒に行きたいと、思わず我が儘を言ってしまったのは、あの座敷童子の男の子が喜ぶ顔を、どうしてもこの目で見たかったのだ。



 自分の奇妙な能力が、ちゃんと人のために役に立てたかどうか。


 それを見たらきっと、何かが変わるのではないかと、そう、思いたかったのだ。



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