八、逢魔が時に現れしモノ



 この幽世かくりよにおいて、時間の概念というものは明確ではないが、鐘楼守しょろうもりという役割を担う者がいて、朝、昼、夕、夜に鐘を鳴らすことで皆、時間を知る。その中でも"夕"の鐘は特別で、その鐘の音自体が異なる。


 暮れ六つ。現世うつしよにおいては黄昏時、午後六時くらいをいう。その時刻は古くから魔物に遭遇する、あるいは大きな災禍を蒙る時とされ、大禍時おおまがときとされていた。


「あ、まずいかも」


 紫紋がいつも通り過ぎて、口に出したような『まずい』という表情にはなっておらず、平良は「?」と首を傾げた。


「平良くんに言っていなかったことがある」


 途端、頭上で響き渡ったその警告音に似た忙しい鐘の音に、今まで妖が行き交っていたはずの路が一斉に無人になる。その一瞬の出来事に、平良はますます「??」と驚きを隠せない。


「ほとんど店の中にいた君にはあんまり説明してなかったんだけど、今は所謂、"逢魔が時"と言って、ふつうの妖にとっては大変危険な時刻なんだ」


「なんか、聞いたことがあるような······、」


「俺にはあんまり関係ないから、時間を気にしていなかったけど。とりあえずその時はその時ってことで、なんとかするから安心して?」


 そういえば、だが。


 たまに紫紋や識が万事屋から姿を消すことがある。外出しているのだろうとは思っていたが、それが決まって、他の時刻とは違うこの鐘の音が鳴る頃だったと、今更ながら思う。


 その頃はいつも騒がしい外から音がすべて消え去り、しんと静寂が訪れるのだ。しばらくすると、夜を告げるいつもののんびりとした鐘の音が響く。途端、元の騒がしい音に戻り、平良は勝手に幽世かくりよ独特の休憩時間かなにかだと思っていた。


(それにしては、この"夕"の鐘の音、いつもけたたましいというか)


 いつも薄墨色をしている空は薄暗く、提灯の暖色がぽつぽつと等間隔で燈されていることで明るさを保っているのだが、その燈さえも一つずつ順番に奥から消えていっていき、とうとう辺りは真っ暗になってしまった。


 さすがのポジティブ思考も、ここにきて不安を覚える。


「あ、あのぅ····逢魔が時って、もしかしてなんかヤバイ時間ってことっすか?」


「そのやばい? がどういう表現かはわからないけれど、状況は良くないよ? 今日は依頼もなかったから、まだ梓朗から分けてもらってないんだ。やれやれ、これは少し厄介そうだ。法力、足りるかな」


 真っ暗になった路の真ん中で、ふたり。うすらぼんやりと見える程度の建物と、お互いの姿。そこに突如現れた、ゆらりと浮かんだ赤いふたつの光がやけに目立った。


「やっぱり、君。最高についてないね」


 あはは、と紫紋はこの状況下において不似合いな笑い声を立てる。それはどこまでもいつも通り呑気なものであり、余裕があった。しかしそれに反して、平良はその背中に隠される。


「あれが、この幽世かくりよの異物。""だよ」


 それは自分に向けて皮肉を言っているようにも思える。""に関しては最初の頃に梓朗から教えてもらっていた。


 ""とは。

 現世うつしよの影響を受けて流れ込んでくる"穢れ"に影響を受けた、存在。

 "穢れ"は、妖たちに害を齎し""を生む原因となる、モノ。


 現世うつしよ幽世かくりよは表裏一体。お互いのセカイを知ることはないが、確実に繋がっていることを意味する。故に、紫紋も平良もそれぞれ時代は違えど、転移してきた者としてここに存在する。違うとすれば、紫紋は身体ごと平良は魂だけ存在している、ということくらいだろうか。


 紫紋もまた、""を宿す者。現世うつしよで""に堕ちた人間という、特殊な存在。


 目の前の黒い大きな影は、紫紋の肩越しに見ても異様なモノで、この薄暗闇よりもずっと濃く黒い靄。大きさも強さも""によって違い、それに比例はしないらしい。小さくても強いモノもいるということだ。


 妖だけでなく、神さえも時に""に堕ちる可能性があるそうだ。


「俺が妖刀を手にしたら、君はあそこの楼閣まで走ってくれる? 万事屋って言えばたぶん入れてくれるから」


 そうこうしている内に、影の腕のようなモノが振り翳される。


「じゃあ、頑張って、」


 紫紋が自身の前に手を翳し、そこにあの黒い刀身の刀が現れる。途端、紫紋の漆黒の瞳も目の前の""と同じように赤く染まった。


「はは! 楽しい殺し合いの始まりだっ」


 でた! と平良はその台詞に思わず目を輝かせる。


「邪魔だから、さっさとここから離れとけっ」


「了解っす! 鬼灯さんっ」


 その言葉を合図に、平良は指し示された場所へと駆ける。背中越しになにかが激しくぶつかり合う音が響く。振り向きたい気持ちもあったが、鬼灯のい言う通りさっさと駆け抜けた方が良さそうだ。


 数十メートル先に見える、他の建物よりもずっと高い建物、その楼閣へと向かう。その固く閉ざされた扉に手をかけると、言われた通りに平良は声を上げた。


「すみません! 万事屋の者です!」


 どんどんと同時に扉を叩き、もう一度同じ言葉を繰り返す。すると奥の方から音がして、扉が半分だけ開かれる。


「あれ? あなたは····と、とにかく、早く入ってください!」


 そこにいたのはあの座敷童子の男の子と、彼に似た面立ちの可愛らしい女の子。そして、滅茶苦茶美人で色っぽい女性だった。半分開いた扉に身体を滑らせて中に入ると、一緒に扉を閉じる。中は最低限の灯りが燈されていて、なるべく外に灯りが漏れないようにしているようだった。


「初めまして、万事屋の新人さん。私はこの妓楼"夜香蘭やこうらん"の楼主、菖蒲よ。見たところ、ただの人間ひとの子ね? 逢魔が時に外に出るなんて、モノ好きにもほどがあるわよ、」


「はじめまして、俺は平良っていいます。華鏡堂でお世話になってる者です······って、それよりも紫紋さん、じゃなくて鬼灯さんがひとりで戦ってて!」


 ひとり焦る平良をよそに、三人は不思議そうにこちらを見てくる。


「あ、······紫紋様なら、ひとりでも大丈夫だと思います」


 菖蒲の後ろに隠れている、大人しそうな女の子が小さい声で囁くように言った。


「そうです、あの方がいれば大丈夫です。それに、""が現れたなら、弥勒様もすぐに来てくださることでしょう。なので、安心してください」


 座敷童子くんも同じように笑みを浮かべている。


「それはさておき、この辺りで""が出るなんて珍しいわね」


 ぎくり、と平良は思い当たることがありすぎて肩を揺らす。


 たぶん、いや、間違いなく、自分のせいかもしれない。職人に会うために店の外に出た時は、時間帯的に問題なかったのだろう。その時でさえ妖のいざこざに巻き込まれたが、梓朗も一緒だったのでなんとか事なきを得た。


(今回は、偶然? それとも俺の不運が原因?)


 紫紋はこの時刻に外に出ないという習慣がなかったため、危ないという認識がそもそも皆無だったようだ。万事屋の本来の仕事、それは"妖が手に負えない怪異"を解決することらしい。その他の厄介事は副業のようなものと言っていた。


 本業である""を"無"にす、特殊な仕事。

 それが、万事屋『華鏡堂』の役目なのである。



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