四十二、真実が、必ずしも良いものとは限らない



 オコジョたちは派手に暴れている鬼灯を横目に、大神おおかみのすぐ後ろまで迫っていた。こんな状況でもこの大きな黒い狼は微動だにせずそこに座っている。


 主がどうなろうと知った事かということなのか、それとも命令がないから動かないのか、どちらにしてもそんな大神おおかみが自分たちに反応してくれるのかが不安になる。


 意を決して、テンがその立派な尻尾を引っ張った。途端、ぎろりとその視線がこちらに注がれる。一瞬、お互いに目が合って時が止まった気がした。


「ど、どうも、はじめまして?」


「ちょっ、挨拶してる場合じゃないでしょう!」


「に、逃げるですっ」


 テンが混乱したのか、丁寧に挨拶をしたのに対して、シンとハンは事態をすぐに把握して兄を引っ張る。しかしテンが大神おおかみの尻尾を掴んだままだったので、思い切りその立派な尻尾の黒い毛を毟り取ってしまった。


 大神おおかみにしてみれば、突然尻尾を引っ張られた挙句、その毛まで抜かれて怒らないわけがない。当然、逃げる白い影たちを追って、洞穴内を駆け回り始める。


 大きな体躯はすぐに白い影に追いつくが、彼らは途中からそれぞれ左右真ん中に分かれて走り出し、大神おおかみは困惑する。


 後ろ姿はほとんど見分けがつかず、自分の毛を毟った犯人がどれかわからなくなってしまったのだ。


 そうしている間に、それぞれが洞穴の壁にできた小さな穴にするりと入っていき、一匹、また一匹と見失ってしまう。


 イライラしながら穴のひとつに前脚を入れてみても、途中で詰まってしまい奥までは届かない。


 ひとつの穴に気を取られていると、違う穴から飛び出てきた白い影に気付いてそちらを追う。


 違う穴に入ったと思えば、また違うところから白い影が出て来て、ちょこまかと走り回ってを繰り返すので、集中できなくなる。


(あまり期待はしていなかったが、上手くやってるじゃないか)


 そんな様子を見ていた梓朗は、心の中でオコジョたちを褒めてやる。あの調子なら、禍津日神まがつひのかみがなにか事を起こさない限りは、こちらには戻って来ないだろう。


「これはこれは、ご挨拶ですな」


 鬼灯の氷技ひょうぎのひとつ、冰蓮華ひょうれんげ。氷の蓮の花が咲く時、その場の空気が絶対零度となり、標的を完全に停止させる。つまり死に至らしめる技のはず、だったが。


「こりゃ驚きだ。まさかの無傷かよ」


『物質を構成する精力、つまり活動の源になる力がまさにゼロになる氷技ひょうぎ。本来なら、それをくらった者に齎されるのは"死"のみ。それが傷どころか凍傷のひとつもつけられないなんて。やはり、一筋縄ではいかないか』


 妖刀の黒鉄くろがねの刃を横に振って、鬼灯は嘲笑を浮かべる。


「なあじいさん、俺を憶えているか?正しくは、俺の宿主を、だが」


 ひょっとこ面の小柄な老人は、はて?と首を傾げる。それからその手に握られた妖刀に視線を移し、自分の真下で咲いている氷の花を交互に見比べて、興味深そうに頷いた。


冰紅蓮ひょうぐれん、三上家、"あの時"の生き残りですか。行方知れずになって、とっくの昔に死んだと思ってましたが」


「その前の話だよ。それはどうでもいい。お前のくだらない恨みを買って殺された、紫姚しようのことさ」


 紫紋は「どうでもいい」と言われた方の話を聞きたかったが、鬼灯が訊ねている紫姚しようという名の人物に心当たりがあった。


 それは、三上家の初代当主の名で、長い家系図の一番上に書かれており、憑鬼師ひょうきしの歴史の中で最強と謳われた人物。


 冰紅蓮ひょうぐれんは、初代当主以外で扱えた者はいなかったと聞く。紫紋がなぜその妖刀を扱えているのか、あの日に何があったのか、それがすべての記憶の鍵になるというのに、今はどうすることもできない。


「そういえば、良く似ていますね、今のその器。あの美しく強かった"鬼姫"と、」


 鬼姫?と紫紋は思わず繰り返す。初代当主は女性だったのか、と初めて知る真実に正直驚く。鬼より恐ろしく、誰よりも強かったという、伝説のようなものだけが残っていたので、てっきり男かと思っていたのだが。


「そうそう、思い出しましたよ。冰紅蓮ひょうぐれん、お主はあれを好いておったのでしたね。あの時、お主が迷わなければ、鬼姫はあの場にいた全員を殺して生き延びれただろうに、本当に滑稽な茶番劇でしたね」


 鬼灯の表情がいつもの嫌味ったらしい余裕のあるものから、一変する。それは、憎しみと後悔と困惑と、色んな感情が混ざったものだった。


「あれは儂が用意した舞台だったが、あやつが死んだのは自業自得。儂の計画を邪魔するならまだしも、台無しにした代償は払うべきでしょう?」


「喧しい。その口閉じやがれ」


「まったく、話せと言ったり話すなと言ったり、我が儘ですね」


 鬼灯と初代当主との間になにがあったのかは、わからない。きっとはらわたが煮えかえるような胸糞の悪い話だろうと、紫紋は悟る。


 この神は、どこまでも人間ひとを馬鹿にしているような、まるで絶対に負けない遊戯でもしているような、そんな雰囲気がある。


 鬼灯から流れ込んでくる感情は、紫紋も共有していた。そのもどかしさは、言葉では言い表せない。


今生いまの宿主は、お主の力を"使う"のではなく、お主に"使われて"いるのか。あの三上家も落ちぶれたものです。まあそのおかげで、あの愚かな青年も操るのは簡単でした」


「その話はいい。さっさと俺に殺されろ」


 禍津日神まがつひのかみは、鬼灯が先程からこの話をしようとすると、なぜか遮ろうとしていることに気付いていた。故に、あえて口を開く。ひょっとこ面の奥でほくそ笑みながら。


「強くなりたいと言うから願いを叶えてあげた、あの愚かな青年は、文字通り強くなって皆殺し。結果、一番守りたかった者に殺された。なんと愚かしい。人間ひととは、誠に面白可笑しい矛盾した生き物ですね」


 紫紋はその言葉で、すべてを悟った。記憶は戻っていない。けれど、わかった。鬼灯がなぜ真実を隠したのか。その理由を。


『······俺が、兄上を殺したのか。童子切安綱どうじりきやすつなに魅入られ、父上や門派の皆、あの家にいた者たちを殺した兄上を、』


 真実を知れば、あの頃の自分は耐えられないだろうと思ったのか。それともただ話すのが面倒だったのか。鬼灯は口を噤んでなにも答えなかった。


「それにしても、三上家も鷹羽家も平安の頃に儂の恨みを買い、今、ここに同時に存在しているという偶然。深いえにしを感じますね」


「それがすべて偶然だと本気で言っているのなら、おめでたい奴だな」


 梓朗は肩を竦めて嘆息する。


「弥勒殿、飼い犬の躾がなってませんな。仮にも神と名の付く儂に、この態度。本来なら跪いて地に頭を付けるのが礼儀では?」


「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ。この幽世かくりよにおいて、"仮にも神"であるお前が、俺を前にして挨拶もなしとは。礼儀がなってないな」


 平良と識は、その梓朗のああ言えばこう言う態度に、もっとやれ! と心の中で煽る。正直、鬼灯とあの厄災の神の会話は聞くに堪えなかった。


(弥勒さんも来てたんっすね····って、わんこは平気なのかな?)


 そういえば、と平良は辺りを見回す。そして奥の方でなにかとじゃれている姿を目にして、あれ? と首を傾げる。気のせいだろうか、ちらちらと目に入る白い物体、あれは····?


「オコジョさんたち?」


「え? 今なんて?」


 瑞花が平良が何の気なく口にした言葉を、思わず訊き返す。


「え、あ、ほら、あそこの奥の方に、オコジョさんたちが、」


「あの子たち、まさか······私を助けに来たの?」


 ちょこまかと奥の方で動き回り、あの大神おおかみを翻弄しているオコジョたちの姿を見つけ、ほっとする。

 いや、ほっとしている場合ではない!


「って、いや、無理よ! あの子たちを助けないと! この檻、なんとかできない?」


「識ちゃん、なんとかできそう?」


「········やってみます」


 識は氷でできた檻を見回し、ひと呼吸おいて答える。ただの檻でないことは確か。現に、瑞花が内側から何度やっても壊れなかった。できる保証はないが、やってみる価値はある。


 平良と瑞花が見守る中、識はその両手に螺旋を描くように風を宿した。



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