十六、武蔵坊弁慶という名の亡霊



 しん、と静まり返った大路の真ん中で、紫紋はひとり、ゆっくりと歩を進める。彼は、この先にある彼岸橋に向かって、西側からのんびりと歩いて来たのだった。


 どうやら最近、この辺りで特異な怪異が起こっているらしい。その反対である東側の大路から、こちらに向かっているはずの識とは別行動をしており、橋の上で合流する予定だ。


「武器をたくさん持ったおっかない奴が、彼岸橋の近くで待ち構えてて、武器を持ってる妖に問答無用で襲いかかって来るらしい。俺の知り合いもこの前やられて、今も怪我で寝込んでるんだ」


 "夕"の刻以外にも現れ、我こそは! と立ち向かっていった妖が、すでに十人以上も被害に遭っており、自分たちでは手に負えないということで華鏡堂へ依頼が回ってきたのだ。


 橋の上で待ち構え、武器を持った妖に襲いかかってくる、なんて。まるでお伽噺の"牛若丸"に出てくる弁慶のようだ、と平良は言った。紫紋も江戸の町にいた頃、何度か大衆演劇の演目でやっているのを見たことがあった。


 赤い眼はしていなかったということから、""ではなさそうだが、この幽世かくりよで堂々と争い事を起こすなど、どちらにしても良いモノではないだろう。紫紋はふうと嘆息し、辺りを警戒する。


 こちら側には、特に不穏な気配はないようだ。


 となると、識の方が正解だった可能性が高い。

 そう考察するが、紫紋の足取りはまったく変わらない。

 警戒しつつものんびりと、なんなら笑みさえ浮かべて無人の大路の真ん中を歩く。


「なら、俺たちの出番はないかもね、」


 燈の消えた街並みは、どこまでも不気味で不穏だというのに、彼の目にはそのどの色も浮かんでおらず、いつもの如く、穏やかな笑みを口元に浮かべていた。



******



 識は無表情のまま、それ・・を見つめていた。

 彼岸橋に足を踏み入れた瞬間、目の前に突如降ってきた・・・・・、識の三倍は上背のある体格のいい妖?は、白い頭巾のようなものを被っており、ものすごく厳つく怖い顔をしている。山伏のような恰好をしており、その背にはいくつもの武器を背負っていた。


(まさに、武蔵坊弁慶の姿そのまま、ということですね)


 平良が教えてくれた、なんとなくの物語。


 弁慶は非常に粗暴な大男で、千の太刀を集めるため、手当たり次第に武士を倒して太刀を奪うという、はた迷惑な悪事を働いていた。


 そのコレクションもとうとう九百九十九本となった頃、立派な太刀を下げた少年と遭遇する。しかし、弁慶は自分よりもずっと幼く細身の少年に返り討ちにあい、いとも簡単にやられてしまうのだ。負けた弁慶は、その日、その瞬間から、少年の従者となった。その少年が牛若丸で、後の源義経である。彼らの末路は、知っての通り。

 

 無念の死を迎えた彼らが、この幽世かくりよにいても不思議ではない。魂の格もかなり上だろう。現世うつしよで祀られていたり、名の付く場所があるような亡霊は、この幽世かくりよでも力が強く、特に厄介だったりする。


「あなたは誰ですか?」


 識は言いながら、その小さな両手に白い柄の小太刀を出現させる。ふたりの距離は約五メートルほど。短い二本の小太刀を握る識と、あらゆる長さの武器を持つ大男では、かなり分が悪いだろう。


 しかし、識は物怖じせずにまっすぐに大男を見上げていた。


「儂は、鬼若。武蔵坊弁慶なり。お前のような娘にも、その短い得物にも興味はない。怪我をしたくなくば、さっさと立ち去れ」


「それはできません。あなたは討伐対象になっていますので」


 この幽世かくりよにおいて、""以外でそこに存在する者たちに危害を加える者は、捕縛されるか、最悪討伐される。どれだけの規模で危害を加えたかが、運命の分かれ道でもあった。


「······お前は、なんだ?」


 弁慶と名乗った大男は、怪訝そうに識を見下ろして言う。青銀色の髪の毛。金色の涼し気な瞳。ひとではないだろうその姿に、今更ながら問う。


「私は識。弥勒様の式です」


 きっと弁慶が知りたいこととは異なるだろう答えを、識ははっきりとした口調で答えた。だが、識にしてみれば、それ以上の答えはないのだ。


「ではお互い名乗りましたので、もう無駄口は不要です」


 両腕を交差させ、識は小太刀を構えた。力を使っても良いが、相手の出方次第である。ただの武器使いか、それとも妖術使いか。


 弁慶もまた、言葉は不要と背中に背負っている武器の中から薙刀を手に取り、腰を屈めて構えた。お互い、間合いぎりぎりまで詰め寄り、重たい空気に対して最小限の呼吸を吐いた。


 次の瞬間、刃と刃が丁々発止ちょうちょうはっしする。その激しくぶつかり合う金属音は、静寂の中でよく響いた。識が高い位置に飛び、そのまま下降して首を狙うが、薙刀がそれを防ぎ同時に薙ぎ払う。


 その反動そのままに、識は後ろに飛んで一回転し、ひらりと朱色の橋の欄干の上に降り立つ。その身のこなしに、弁慶は気が遠くなるほど遠い、過去の自分を思い出していた。


「面白い······面白いぞ! 小娘!」


「小娘ではありません。それに、全然面白くはないです」


 ひとりで盛り上がっている弁慶を冷たい視線で見つめ、識は抑揚のない声で呆れたように呟いた。


 高笑いをし顔を歪めた弁慶は、片手で口を覆い、その眉間に皺を寄せて識を睨みつける。雰囲気が変わり、識は警戒する。途端、弁慶の身体を黒い靄が包み込んだ。その瞳が赤く光り、その顕現した姿に眼を細める。


「······これは、"穢れ"。では、やはり、このひとも、」


 最近、おかしなことが起こっている。


 妖ではなく、亡霊のような者たちが悪さをし、黒い靄に包まれたかと思えば、赤き瞳の""が姿を現すのだ。本来、""に堕ちた者は自我を失い、目の前にあるものを襲うだけの存在と化す。


 特に鬼灯のように"個"で意思を持ち、自我を保っている""は稀であったが、今目の前にいる者もまた、それに近い特異な存在と言っていいだろう。


 識はその事実に対して、思考を巡らせる。


 赤い眼をし、""と化した弁慶は、先程までの力とは桁が違う禍々しい気を放っていた。お互い、出方を窺いながら睨み合う。



 その沈黙を破るように、光の如き一閃が黒い靄を切り裂いた――――――。



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