十七、紅蓮の華



 その一閃は、光の如く。


 黒い靄が真っ二つに切り裂かれるが、弁慶は身を翻してその一閃を薙刀で受け止めた。しかしその勢いは止まらず、橋の東側の方へと吹き飛ばされる。その反対側に立つ、黒い上衣と袴の青年の瞳が、薄暗闇の中で赤く光って見えた。


「遅いです、鬼灯さん」


「文句なら紫紋に言うんだな」


 道中のんびりとしていた紫紋だったが、途中から異変に気付いて駆けてきたのだ。鬼灯は不敵な笑みを浮かべて、黒い刃の妖刀を肩に預けるような恰好でその場に立っていた。


「久々に手応えのある強者との殺し合いだ。邪魔するんじゃねぇぞ、識」


 ゆらりと大きな身体が起き上がる。禍々しさが増し、黒い靄もさらに濃くなった。特異な怪異というか、もはや""に堕ちた亡霊と化している弁慶の姿を見つめ、欄干の上で識は想う。


(弥勒様がこの事態に気付いてここまで来るまで、あれをひとりで相手すると?)


 識より三倍は大きく、鬼灯よりも二倍近く大きい巨体。""としての格もかなり上だ。鬼灯は確かに強いが、ひとりで本当に大丈夫だろうかと不安は残る。だが手を出すなと言われても、彼は主ではないので聞く必要もなかった。なにかあれば手出しはする。識は仕方なく、鬼灯たちから少し離れた場所へ移動した。


「······その太刀······妖刀か? 血の匂いが濃い········欲しい、欲しい! それを儂によこせ!」


「馬鹿か。これは俺自身だ。だれがお前みたいな不細工にやるものか。気色悪い」


 うぇと舌を出して、鬼灯は顔を歪める。それから、紫紋これは顔だけは良いからな、と肩を竦めた。


『無駄口を叩いている余裕などないだろう?』


 頭の中で、紫紋が話しかけてくる。目の前の者は今まで戦ってきたどの""よりも強いことを、彼は鬼灯を通して感じていた。


『出し惜しみはなしだよ、』


 そりゃありがたい、と軽口を鬼灯は叩く。


「じゃあ、持ち主の許可も下りたことだし、本気で遊ぶか!」


 鬼灯は肩に預けていた妖刀を下げ、構えもせずに無防備な格好になった。その言葉とは裏腹のやる気のなさに、弁慶は眉間に皺を寄せる。


「······ふざけているのか? それとも怖気づいたか······ならば、その妖刀だけ置いて、貴様はさっさと消えるがいい!」


 一歩一歩がずしんずしんと重く、それがどんどん早くなり、弁慶は一気に鬼灯との間合いを詰めてきた。


 振り翳された薙刀の風圧で、辺りに風の渦が生まれる。背中で大きく靡く灰色の長い髪の毛には気にも留めず、鬼灯はまったく動く素振りさえ見せない。その大きな刃が脳天に触れるか触れないかという寸前、弁慶の薙刀がその腕ごと一瞬にして凍り付いた。


「な······んだっ!?」


「おめでたい奴だな、」


 鬼灯は身動きの取れない大男に対して、くつくつと笑いながら見上げた。そして下げていた妖刀をくるくると手の中で回して、再びその刃を肩に預ける。


八寒地獄はっかんじごくを知っているか?」


「か、身体が······凍る!?」


 武器と腕だけが凍り付いていた弁慶の身体は、みるみるうちにその氷に侵蝕されるかのように覆われていく。そして足の先まで凍り付き、残りはその顔だけとなった。


「俺の妖気は法力を得ることで本来の力を発揮できる。この妖刀、冰紅蓮ひょうぐれんの地獄、その身をもって知るといい」


 完全にその身が氷に覆われた時、鬼灯はその刃をぶんと軽く横に振った。その瞬間、弁慶を覆っていた氷が砕け散り、その巨体が後ろへそのまま倒れた。どすんという大きな音と振動が足元に響く。


 薙刀を握り締めたまま大の字になって倒れた弁慶の胸元が裂け、そこに大きな赤い紅蓮の華のような模様が浮かび上がる。焼け爛れたかのようなその酷い有様に、先程鬼灯が口にした『八寒地獄』の意味を知る。


 八寒地獄のひとつ、紅蓮地獄。その地獄の極寒により、身体の皮や肉が破れて紅蓮華のようになることから、この名が付いたらしい。まさにその紅蓮の華が巨体の胸に大きく刻まれていた。


『····鬼灯の八つの技のひとつ、紅蓮冰華ぐれんひょうか。名だけなら炎の技のように思えるが、この妖刀の属性は氷。やれやれ、入れ替わった時がだるいな』


「はは。お前が許可したんだから、文句はなしだぜ?」


 ただ刀を振るだけであれば、身体的負担はほとんどないが、法力を消費して妖気を使うと、技次第ではかなり負担がかかるのだ。だが、それを使わなければ勝てないと鬼灯が選択したのなら、仕方のないことだと紫紋は諦める。


 もちろん、彼の言う通り、許可をしたのは自分なのだから。


 弁慶は倒れたまま動く気配がなかった。ただ変化はあった。巨体を覆っていた黒い靄が、吸い込まれるようにその身体の中に入っていったのだ。

 途端、開いたままの瞳の色が赤から黒へと変化し、その異様な光景に識も鬼灯も眼を細めた。


「""に堕ちたのに、元に戻った?」


「つーか、この"穢れ"自体がが亡霊を制御してるのか?」


 ふたりは目の前で起こったその不思議な出来事に、首を傾げる。


『とりあえず、捕縛するのがいいんじゃない?』


 紫紋はまた動き出すとも知れない亡霊に対して、提案する。


「識、捕縛しろって、紫紋が言ってるぜ?」


「はい、私もそれが良いと思います」


 識は水の力を手に宿し、弁慶に向ける。すると、現れた細い水の縄が、蛇のように巨体を締め上げて、意識のない弁慶を捕縛した。それを確認すると、今度は風の力を宿してその身体を風船のように浮かせる。


「私はこれを結界牢に入れてから戻ります。紫紋さんと鬼灯さんは弥勒様に報告を」


 言って、識は捕縛した弁慶と共に姿を晦ました。


 鬼灯は妖刀を消し、面倒なので紫紋に交代する。途端、紫紋は身体から力が抜け、思わずその場に片膝を付く。頬に一筋の汗がつたった。


「······あの馬鹿。貰った法力をほとんど使い果たしていたのか、」


 紫紋は鬼灯に対して悪態をつきたい気持ちになったが、なんとか呑み込む。動けるようになるまで、少し時間がかかりそうだ。仕方なく橋に寄りかかり、体力が戻るのを待つ。ここでは法力がなければ戦えない。この身は、ただの入れ物に過ぎない。


 共存。響きは良いが、実際は紫紋の負担が大きい。だが本来、""に堕ちた時点で消えてなくなるはずだった自分が、まだここに在る。



 あの日、抜け落ちた記憶。

 鬼灯が隠していること。

 そのどれもが、紫紋にとって自分を知る大事なことだというのに。


 それを時折忘れてしまうくらい、ここでの日々は、案外悪くないのだ。

 


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