十八、かけがえのない時間



 梓朗が彼岸橋に辿り着いた時、すでに事は終わっていた。そこにいたのは紫紋だけで、噂の山伏も識の姿も消えていた。""の気配がし、駆け付けてみたがその必要はなかったようだ。


 欄干に凭れて座り込んでいる紫紋の姿に、眼を細める。彼があんな状態になるなど、よっぽどの力の持ち主だったのだろう。ゆっくりと歩を進めるが、こちらを見ようともしない。目を閉じて集中し、体力を回復しているのだろう。


 橋の上に残る氷の気に、梓朗は鬼灯が大技を使ったのだと確信する。そうなれば、討伐に向かう前に彼に与えた法力では足りなかったのだろう。結果、紫紋が今の状態に陥っている。


「無様だな、」


「······ああ、君か。こういう時は、嘘でも大丈夫? って訊くのが"友"としての礼儀だと思うよ?」


 正面に立ち、見下ろしてくる眼帯の少年に、紫紋は苦笑を浮かべる。正直、こうやって会話をするのもしんどい状況ではあるが、梓朗を前に軽口を叩いてしまうのは、もはやであった。


「····状況は?」


「例の特異な怪異、まさにそれだったよ。倒して意識が無くなった途端、穢れが奴の中に戻っていった。そして、堕ちたはずの""の状態から、元のただの亡霊に戻った。けど、またいつ""になってもおかしくないだろうね、」


 そして亡霊は識がすでに捕らえ、結界牢に入れに行ったということを報告する。

 梓朗は紫紋の横に腰を下ろし、膝を抱えて座った。あの巫女装束は纏っておらず、いつもの椿の花が描かれた黒い羽織を纏っている梓朗が、慌ててここに来たのだという事がわかる。


「式の契約を、変えたら良い。そうしたら、もう少し多く法力をやれる」


 今の方法では梓朗が堪えられず、満足に法力をくれてやることができない。そのせいもあり、鬼灯が好き勝手に動けば、結果、紫紋はこの有様になってしまうのだ。


「いや、今のままでいい。あいつを抑えておくにしても、貰いすぎるとこちらが手を付けられなくなってしまうからね。それに、」


 紫紋はわざとらしく片目を閉じ、ふっと口元を緩めた。


「普段は見られないような、君の可愛らしい顔を拝めるしね、」


「————帰るっ!」


 心配して損した!


 梓朗は真っ赤な顔ですくっと立ち上がり、どかどかと大股で来た道を戻って行く。その後ろ姿に、紫紋はくつくつと肩を震わせて腹を抱え、笑う。

 本当に面白い子だなぁと心の中で呟きながら、しきりに笑った後に、はあ、と大きく嘆息した。


「さて、そろそろ俺も帰ろうかな」


 ゆっくりと立ちあがり、まだ少し疲労感のある身体を無視して歩き出す。帰ったら、またいつものような不愛想な顔に戻っていることだろう。


 幽世かくりよで今起こっている不穏な怪異。


 この先、何が起ころうとも。

 迷わずこの力を揮うだろう。

 彼の式として、命を懸けるのもいい。


 でも今は、ただ、彼の友として。

 ここにいたいと思うのは、贅沢だろうか。


「あ、おかえりなさい、紫紋さん!」


「ただいま、平良くん。良い香りがするけど、なにか作ってくれてるの?」


「はい、お夜食っす。柚と三つ葉の粥、紫紋さんも好きですよね? 弥勒さんと識ちゃんは先に食べちゃってますけど、一緒にどうですか?」


 もちろんいただくよ、と紫紋は笑みを浮かべる。彼が来てから、華鏡堂は前以上に心地好く、まるで本当の家のようだと錯覚する。梓朗と識、もちろん紫紋自身も、平良に対しては感謝している。


 だからこそ、この場所を守りたいと思う。

 あの時、できなかったことを、幽世ここで。


「そういえば、"夜"の鐘が鳴った時、夜香蘭やこうらんからお使いのひとが来て、わざわざこれを届けに来てくれたっす」


 三人は粥を啜りながら、同時に首を傾げる。平良は懐からそれを取りだして、長机の上に並べた。その四枚分の書状にはそれぞれ大きく文字が書かれており、平良には全く読めない。識はその中の一枚を手に取ると、眉を寄せる。


「これは······果たし状?」


「なにか変わった催し物でもするのかな?」


「差出人は、」


 梓朗は自分の名が書かれた文を取り、書状の裏を見る。


「座敷童子たちからだな、」


「深冬くんと小春ちゃんからっすか?」


 平良は嬉しそうに残った書状を手に取った。たぶん、だが、これが自分宛のものなのだろう。他の三人は、それぞれ自分宛のものを手にしていた。


「なんて書いてあるんすか?」


 一番近くにいた識に訊ねる。識はその果たし状のような表紙の書状を開き、中に入っていた文を確認する。そこには意外にも達筆な妖文字が並び、周りには可愛らしい似顔絵が添えられていた。


「どうやら、招待状のようです」


「明後日、夜香蘭を貸し切りにするから、遊びに来てくださいだって」


 その横で紫紋が内容を簡単に説明してくれた。


「紫紋さんも妖の文字が読めるんすね~」


「文字というか形で覚えると、なんとなくだけど解るようになるよ」


 確かに象形文字に似ているこの妖文字は、規則性さえ解れば解読できなくもなさそうだ。識や紫紋に今度教えてもらおう、と平良は頷いた。あの可愛らしい双子の座敷童子と遊べるのも楽しみだし、自分たちのために招待状まで用意してくれた気持ちも嬉しかった。


「ご馳走様でした」


「ごちそうさま、」


 識と紫紋がほぼ同時に同じように手を合わせて言った。梓朗も満足そうに頷き、手を合わせる。簡単な夜食だったが、喜んでもらえたようだ。


「ただの粥なのに、お前が作るとなぜか美味い······なにか変わった調味料でも使ってるのか?」


「さすが弥勒さん、よくぞ気付いてくれたっすね。そう! この粥には、" 愛情 "という名の調味料が入ってるっす!」


 満面の笑顔で平良はそう言い切る。その言葉に、三人は顔を見合わせてそれぞれ口元を緩ませた。平良が来てから、こうやって皆で食事をすることが多くなった。それは三人にとって、新鮮で不思議な感覚。食事は皆で! という平良の言葉が、最近よくわかるようになってきた。


 同じ机を囲み、同じものを食べ、他愛のない会話をして。

 


 そんな日々が、いつの間にか三人の"当たり前"になっていたのだ――――。



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