四十五、おかえりなさい
「終わったな、」
「ああ、なんとかな」
鬼灯はふんとそっぽを向く。知りたかったこと、知りたくなかったこと。その半分くらいしか聞き出せなかったことが、今更悔やまれる。しかし、どれだけ後悔しようが、考えようが、時間は戻らない。らしくない、と鬼灯は首を振って、そのまま妖刀を消して自らも消える。
「本当に良かったのかい? 君の記憶が消えてしまったことの原因が、わかったかもしれないのに。と言っても、あの状況じゃ、それ以外の選択肢はなかったかもだけど」
「いい。あれが関わっていたとなれば、ろくなことはないだろう。それに、お前が言ったんだぞ。自分が何者か、それはそんなに大切な事か?と」
紫紋は「そういえば、そんなことも言ったかな?」ととぼけた口調で言い、笑みを浮かべる。自分自身、抜け落ちた記憶は戻っていないが、あの時、なにが起こっていたかはなんとなくだが把握した。今も心の奥で渦巻いているなんとも言えない感情が、波のように押し寄せてはひいていく。
「ひとつだけ、わかることがある。少し前に、何度か夢を見た。おそらく、誰かの意識を共有していたのだろう。時間軸も滅茶苦茶だった。その先で、ある少年に会った」
少年もまた、
「平良と関りのある者だと、思う。その夢の中で、少年に依頼をされた」
「どんな依頼?」
梓朗はその光景を思い出しながら、この
魂を
あの約束を、自分に果たさせるために?それとも、本当に偶然に?
「守って欲しいと。平良を知っているなら、彼を自分の代わりに守って欲しいと。自分の持っているものは全部あげるから、引き受けて欲しいとも。自分はもう、いなくなるから······と。同じ意識の中に存在したこと。これもなにかの縁だから、とも」
「そっか。平良くんにはそのことは言わないつもり?」
「わからない。いつか、話せる時に話す。あいつが信じるかどうかは知らんが」
その、共有していた夢の影響だろうか。平良を見て、なにか想うところがあったり、懐かしいと思ったりした、不思議な感覚。
(あれは、俺の記憶じゃなかったんだな、)
なんとも言えない表情を浮かべ、梓朗は遠くからこちらに駆けてくる平良たちを視界の隅に入れた。
(それに、
紫紋はそんな梓朗の様子を見て、よしよしと猫でも撫でるようにその頭を撫で回す。珍しく抵抗はされず物足りなかったが、よく頑張ったね、とひと言囁くと、目を細めて微笑んだ。
「弥勒さん!」
「弥勒様!」
間もなく平良と識が駆け寄ってきて、止まることなく梓朗に抱きつく。識は腰の辺りに、平良は身体ごと、左右から。目を細め、慈しむようにふたりの肩に手を伸ばそうとしたその時、予想もしなかったモノまでが、こちらに突進するかのように向かってきた。
「ちょっと待て! あれをなんとかしろ!!」
顔色を一変させた梓朗が、平良に訴えるように命令する。あれ、とは黒い毛に覆われた"あれ"である。やれやれと紫紋は肩を竦め、苦笑いを浮かべた。平良が手懐けたのであろう
穢れの元凶であった
「ああ、駄目っすよ、わんこ! 弥勒さんは犬が苦手なんだから」
平良は抱きついていた弥勒から離れ、両手を広げて前に立つと、「めっ」と軽く叱るように
「弥勒さん、このわんこ店で飼ってもいい?」
「駄目に決まってるだろ! でかすぎて店が壊れる」
「たしかに、飼うには大きすぎるよね······番犬としては有能そうだけど」
あはは、と紫紋はその体躯を改めて眺める。この大きさでは店の扉すら通れないだろうし。だが、かと言って捨て置くこともできない。
(それ以前に、弥勒様が犬と一緒に生活する姿が想像できません)
識は梓朗に抱きついたまま、そのやり取りを見て心の中で呟く。そもそも犬が苦手というか、無理というか、絶対に拒否すると思ったのに、理由が店が壊れるから? なのが不思議だったが、そこは黙っておこうと識は言葉を呑み込む。
「え、小さかったらいいってことっすか? わんこ、小さくなれる?」
わん、と
「弥勒さん、これならいいっすよね! 世話はもちろん俺がするっす!」
「······勝手にしろ、」
平良の満面の笑みには勝てず、梓朗は疲れた顔で渋々承諾するしかなかった。
「じゃあ、色々と問題も解決したところで、俺たちも帰ろうか。まあ、今まさに"逢魔が時"のようだけど」
あのけたたましい鐘の音が、洞穴の入口の方から微かに聞こえてきた。
紫紋が腰に手を当ててふっと笑みを浮かべる。こんな時に朝陽でも昇っていたなら、非常に美しい場面だったろうに、ここは生憎の
「タイラの不運がなくなったか、試してみるのもいいかもしれません」
元凶であった
「それは良い考えっすね、ちょっと怖いけど」
ずっと付き合ってきた不運も、こうなるとなんだか寂しい気もする。
「帰るぞ、俺たちの家に」
梓朗を先頭に、それぞれが後に続く。
洞穴を抜け、森を抜け、彼岸橋を渡り、あの古めかしいが思入れのある街並みが見えてくる。逢魔が時。"穢れ"がなくなったわけでも"
賑やかしくも怪しげなそのセカイは、平良にとってかけがえのないものになっていた。これからもずっと、ここにいてもいいのだろうか? いたい、と思ってもいいのだろうか?
「なんだか、ものすごく長い間帰ってなかった実家に、久々に帰ってきた気分!」
そんなに時間は経っていないはずなのに、そう思えてしまう。そんな平良に、梓朗は胸元で右手の手の平を翳し、ふっと口元を緩めた。
「おかえり、平良」
「おかえりなさない、タイラ」
「おかえり、平良くん」
三人のその言葉に、平良はなんだかじんわりと胸の辺りが熱くなる。
やばい、泣きそう! そんな気持ちが込み上げてくる。腕の中のちび
「········ただいま!」
喉から絞り出すように、やっと出た言葉。
帰る場所がある。迎えてくれる人たちがいる。
それは、当たり前すぎて忘れていたこと。
夜を告げる鐘が鳴り響く。いつもの趣のある街並みが、なんだか落ち着く。
こんな風に、「おかえりなさい」と「ただいま」が言える場所があるということ。
気付けばこの「
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