四十四、記憶なんていらない
識たちの行動を視界の隅に入れながら、紫紋と鬼灯は再び妖刀を構える。
「弥勒殿、面白いことを教えてあげましょうか?」
代わりに、またその口を開き始める。ひょっとこ面はずっと同じ表情を浮かべ、薄暗闇の中で、より気味が悪い印象を与える。
「また適当なことを言うつもりだろう? 聞く必要なんてないぜ、」
「そうですか? 弥勒殿にとって、きっと興味深い内容だと思うのですがね。そう、例えば、"失った記憶"に関すること、とか」
もったいぶるように言って、梓朗の方にその顔を向けた。顔色は変わらないが、内心動揺しているのがおそらくバレていたのだろう。
「そうですよね、興味がないわけがないですよ。誰しも、神ですら、自分自身のことを、本当の意味で理解している者なんていないのです。記憶がないだなんて、ますます不安でしょうに。弥勒殿、お互いにこれが最後の邂逅となるのなら、その真実を知りたいとは思いませんか?」
「俺の記憶とお前が今までしてきたことが、何か関係があるとでも言いたいのか?」
その問いに、
これでは奴の思う壺だ。だが同時に、自分の記憶が抜け落ちている事ですら、この厄災の神の仕業なのだとしたら、本当に
『あまり長引かせない方が良い、おそらく、
紫紋は、鬼灯にその時間が迫っていることを警告する。無駄に話を延ばし、長引かせている理由はただひとつ。自分が圧倒的に有利な時間帯へ持ち込むこと。そういうことか、と鬼灯は舌打ちをする。
「······もういい黙れ、くそじじい」
話を遮るように、梓朗と
「あんたの狙いは"逢魔が時"だろう? さっき紫紋に言われなかったら、気付かなかったぜ」
「····しかもここは黄泉平坂に通ずる道。それもすべて計算済みという事か」
感覚から言って、逢魔が時まであと
「おや、宿主はお主と違って賢いようですね。その通り、この香炉が強まる逢魔が時まで、あと少し。このまま、ここにいる者たちを黄泉へと誘うのも一興ですね」
本来の目的は、鷹羽家の者を黄泉に連れて行き、その魂を回収すること。香炉が本来の姿を取り戻すための、最後の仕上げ。
「おしゃべりはここまで。では、この儂と戯れていただこう」
ぼこぼこと皮膚が大きく波打ち、形自体が変わっていく。その姿を目にした時、その場にいた者たちは皆、驚愕した。
「······これが、
それは、ひとつの個体から分裂し、ふたつの柱の如く生まれ落ちた。黒い衣を纏いし災厄。ゆらりとふたつの影が揺らぐ。禍々しいその気配に、梓朗も鬼灯も指先が痺れる感覚を覚える。
「我々
ひとの形をとっているが、それは明らかにひとならざる者。禍々しく、荒々しく、背筋がぞくりとするような冷ややかな気配。黒い衣を頭からすっぽりと被っているせいで顔は見えず、口元だけがはっきりとわかった。
「相手が神であろうと、
言って、梓朗は口の端をにっと吊り上げて笑う。
これ以上、好き勝手にはさせない。
「すべての因果を断ち切る」
梓朗の右眼に刻まれた文字が、くっきりと浮かび上がる。袖からあの
その瞬間、眩い白い光が辺りを覆う。
「弥勒の名において、この地に
「
それは、
「これで終わりだと思わない事です。我々はすぐに戻ってきますよ。
にたりとその口が開かれる。それはまるで呪いのように、梓朗の耳にしつこく残る。この無の扉はあくまで"
それでも。
「喧しい。その時は、今度こそ黄泉の淵に追い返してやる」
「ははは! 己の愚かな過ちを後悔するといい! 永遠にその記憶は戻らない! 願いは叶わない! あははははははっ!」
「知るか。もはやそんなことはどうでもいい。俺は俺だ。他の誰でもない」
梓朗が最後の印を結んだその瞬間、鎖は勢いそのままに、扉の奥へ獲物を引きずり込んでいった。
そして、大きな音を立てて閉じられたその扉は、まるで何事もなかったかのように、地面からすぅっと消え失せてしまうのだった。
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