ようこそ、万事屋「華鏡堂」へ 〜拝啓、妖の皆様。手に負えない危険な怪異は、ぜひとも当店へご依頼ください〜

柚月なぎ

一、人生最大のピンチ⁉



 鷹羽平良たかばたいら、十七歳。

 俺は今、人生で最大のピンチに見舞われている、気がする。


 まるで立ちながら眠っていたかのように、時間の感覚が麻痺していた。


 周りをよく見渡してみれば、そこは、映画とか時代劇なんかで見るような、豪華なセットの中にいるとしか思えない街並みで。例えるなら江戸の街並みを再現したテーマパーク。


 ただ少し違うとすれば、そこを行き交うのはコスプレしたひとたち。昔の着物を着ているのはいいとして、なんで顔や姿形まで妖怪のコスプレ? 今日はなにかイベントの日なのだろうか。俺は挙動不審になりながらも道の端を歩く。


 この時代劇風のセットの中で、白いフード付きのパーカーの上に黒い学生服を着ている場違いな自分が言えた義理ではないが、広い路を歩く大勢のコスプレイヤーさんたちは、それの比ではなかった。


(うーん。これはいったいどういう状況? 俺、寝ぼけてる? ってか、ここどこ?)


 いっそ夢であったら良かったが、頬をつねれば痛いし、なんだか食べ物のいい香りもする。どう考えてもこれは現実としか思えない。


(いつものあれ・・の延長か、それとも俺、今度こそ本当に····)


 嫌なことばかり頭に浮かんだが、妖怪姿のコスプレイヤーさんに混じって歩いていたある人物の後ろ姿を見つけ、俺はほっとする。どうやらちゃんとした"ひと"もいるようだ。


 とりあえずそのまともそうな"ひと"に、軽い気持ちで声をかけてみることにする。その"ひと"は、縦線の入った白と黒の着物を着ていて、時代劇の脇役Bって感じの髷姿をしていた。


「すみません! あの~、ちょっとお訊きしたいことがありまし····」


「おや、俺になにか用かな?」


 言いながら、その"ひと"がゆっくりと振り向いた時、俺は思わず自分の目を疑う。訊ねた声に振り向いてくれたその"ひと"が、にたぁと笑いこちらを振り返ったのはとりあえずいいとして。今の状況を理解するのに数秒の時間を要した。


 なぜなら、普通の"ひと"と思っていたその男には口以外なにもなく、目も鼻もつるんつるんだったのだ。それを間近で直視してしまった俺は、その数秒の間に昔読んだ『のっぺらぼう』の怪談が頭をよぎった。


「の、······のっぺら坊さんって口あるんすね!」


 そして声をかけてしまった手前、叫んで逃げるという失礼なことはできず、思わず出た言葉がそんな言葉だったのでもはや笑うしかない。


「お前、人間の子か? こんなところにいたら喰われちまうぞ? で、俺になにか用かい?」


「ええっと、ひと違いでした(いろんな意味で!)。急に声をかけてしまってすみません」


「かまわねぇよ。じゃあまたな、人間の子 。悪いものに目を付けられないよう気を付けてな、」


 いいひとだ! と単純な俺は頭を下げ御礼とお詫びをすると、本来訊きたかったことを訊けないまま彼が去って行くのを見ているしかなかった。


 しかし気を付けろと言われても、悪いものと良いものの違いもわからない。とりあえず片っ端から声をかけるしかないと思った俺は、路を行き交うコスプレイヤーさんたちにおっかなびっくりしながらも、それを繰り返すしかなかった。


 そんなことを何十回と繰り返し、疲れ果ててその場にしゃがみ込む。最初に声をかけたのっぺら坊さんが一番まともだと思ってしまうほど、普通の"ひと"がいないなんてどういう悪ふざけなのだろう。


 行き交うコスプレイヤーのみなさんは、それぞれ妖怪になりきっていて、まともな会話ができそうにない。


 もう家に帰りたい、と呟いたそんな時だった。


 コスプレイヤーさんたちで賑う通りを、綺麗な長い黒髪を揺らしながら歩く、白い着物上に白と赤の椿の花が咲いた黒い羽織を着た、細身の少女の後ろ姿が急に視界に飛び込んできた。


 誰とも知らない少女は、今の俺にとって最後の希望だった!


「ま、待って····っ」


 迷わず声をかけようと少女の後ろ姿を追う。あと一歩、手を伸ばして数センチというところで、俺はなにかに足を取られて大きく躓き、飛び込むような格好で少女の方へと倒れ込んだ!


 その手が助けを求めるかのように何かを掴んだ、その瞬間――――。


「え?」


「あ、」


 ビリビリという嫌な音がした。


 次に俺の視界に飛び込んできたのは、ゆっくりと振り向いたその少女の顔。その美少女は右眼に黒い眼帯をしていおり、左眼は濃い紫みのある青色をしていた。


「うぐっ⁉」


 そしてそのまま、ずさぁぁあ! と地べたにうつ伏せでスライディング。


「······あいたたた、って······あれ?」


 俺は思いの外ダメージは少なく、薄目を開けて今の状況を確認する。そして倒れる寸前に右手で思わず掴んでしまった"あるもの"の正体を知り、青ざめるしかない。目の前に立つ少女の黒い羽織の左袖が綺麗に破けていて、その半分が俺の手に握られている。どう考えても間違いなく犯人=俺だ。


「この俺の袖を掴むとは良い度胸だな······、」


 声は少女にしては低く、少年にしては高かった。


「あ、す、すみません! これ、俺が責任もって直します! 裁縫は料理の次に得意なんで! とにかく、俺にできることならなんでもしますからっ」


 顔を上げて、その場に正座をし、俺はひたすら謝った。裁縫が得意なのは本当で、元通りに直す自信もあった。 


 うちは母子家庭で兄がひとり弟がひとりいる。父親は幼い頃に失踪。祖父母も他界していたこともあり母を助けるために自立するのが早かった。何事も基本は自分でするのがうちの家訓だ。おかげで俺は、高校二年生にして特技は"家事全般"である。


「言ったな?」


 眼帯の美少女はその綺麗な顔に、ものすごく怖い笑みを浮かべて俺を見下ろして来た。なんだろう、嫌な予感しかしない。


「ここでは目立つ。さっさと立って、ついて来い」


 ざわざわと他のコスプレイヤーさんたちがこちらに注目し始めていて、それを気にしたのか、そのまま踵を返した眼帯美少女が小声で呟き視線だけこちらに向けてきた。俺は袖の半分を握り締め、なんとか立ち上がる。制服が土で汚れていたが、置いていかれる方が嫌なのでそのまま駆けた。


 少女は思っていた以上に細身で、背も俺の肩くらいまでしかなかったが、色白で睫毛も長く、見れば見るほど綺麗だった。


「お前、魂だけでここに来たのか?」


 少女がぽつりと呟いたこの台詞の意味を後に知ることとなるのだが、その時の俺は特に深くは考えなかった。


 なぜならその台詞の真意を知る直前まで、ここがどこかのコスプレ会場であることを、信じて疑わなかったのだから――――。



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