ようこそ、万事屋「華鏡堂」へ 〜拝啓、妖の皆様。手に負えない危険な怪異は、ぜひとも当店へご依頼ください〜
柚月なぎ
一、これが異世界転移ってやつ?
俺の名前は、
いつものように母親と弟に玄関先で見送られ、近くの駅に向かっていたところまでは憶えている。人も車も行き交う、賑やかな通りを歩いていたはずだった。それが気付いたら夜になっていて、俺は知らない場所に立っていた。
立ちながら眠っていたかのように、時間の感覚が麻痺している。
周りをよく見渡してみれば、そこは、映画とか時代劇なんかで見るような、豪華なセットの中にいるとしか思えない街並みで。例えるなら、なんとか映画村とか江戸の街並みを再現したテーマパーク。
これ以上ない、実に解りやすい例えだろう。
ただ少し違うとすれば、そこを行き交うのはコスプレしたひとたち。昔の着物を着ているのはいいとして、なんで顔や姿形まで妖怪のコスプレ?
「セットだけじゃなくて、特殊メイクまで······お金がかかってるっすね! って、俺、いつの間にこんな所に?」
この時代劇風のセットの中で、白いフード付きのパーカーの上に黒い学生服を着ている、場違いな自分が言えた義理ではないが、広い路を歩くそのコスプレイヤーたちは、それの比ではない。
「あのぅ、今日ってハロウィン? なんで妖怪みたいな格好してるんすか?」
とりあえずその辺りを歩いている"ひと"に、声をかけてみた。
後ろ姿が他の"ひと"たちよりは普通だったので、肩に手を置いて訊ねる。その"ひと"は、縦線の入った白と黒の着物を着ていて、時代劇の脇役Bって感じの髷姿をしていた。
しかし彼がゆっくりと振り向いた時、俺は前言撤回を余儀なくされる。
「お前、人間の子か? こんなところにいたら喰われちまうぞ?」
にたぁと横に開かれた口はまだいいとして、その男には口以外なにもなく、目も鼻もつるんつるんだった。
「の、の、······のっぺら坊って口あるんすね!」
全然、普通じゃなかった。とても有名な妖怪のコスプレイヤーさんだった。
本当によくできてるっすねーと、とりあえず褒めてみたり。
声をかけてしまった手前、俺の性格上、叫んで逃げるという失礼なことはできず、思わず出た言葉がそんな言葉だったので、笑うしかない。
そんなことを何十回と繰り返し、疲れ果ててその場にしゃがみ込む。まともな"ひと"がいないなんて、どういう悪ふざけなのだろう。行き交うコスプレイヤーのみなさんは、それぞれ妖怪になりきっていて、まともな会話ができない。
いや、そもそもどうしていきなりこんな場所にいたのか。それさえもわからない。
もう家に帰りたい、と呟いたそんな時だった。
妖怪のコスプレイヤーたちで賑う通りを、綺麗な長い黒髪を揺らしながら歩く、白い着物上に白と赤の椿の花が咲いた黒い羽織を着た、細身の少女の後ろ姿が急に視界に飛び込んできた。
振り向かずとも絶対的美人! とわかるその姿に、俺は希望しかなかった。
なぜなら、等間隔でぶら下がっている提灯の燈しかない暗い江戸風の街並みの中で、彼女は光り輝いて見えたのだ。まさに希望の光。
俺は声を掛けようと猛ダッシュで少女の後ろ姿を追う。しかし、例の如く運の悪い俺は、その直前でなにかに足を取られて大きく躓き、勢い余ってそのまま前に飛び込むような格好で身体が浮いた。
地面に顔面から飛び込む危険を感じた俺は、思わず手を伸ばしていた。その手が助けを求めるかのように、何かを掴んだ、その瞬間――――。
「え?」
「あ、」
まるでスローモーションのように俺の眼に飛び込んできたのは、ゆっくりと振り向いたその少女の顔。思っていた以上の超絶美少女に、本当に一瞬の出来事だったが目を奪われた。俺は心の中で思わず叫ぶ。
(美少女コスプレイヤーさんだ!)
その美少女は右眼に黒い眼帯をしていおり、左眼は濃い紫みのある青色をしていた。その瞳は大きいがどこかキツめ。ツンデレ系とみた!
そのままばたんと地面に倒れ込む。顔面はなんとか無事だったが、右手に掴んだままの布に対して思うところがあった。掴んでしまったそのすぐ後、ビリビリという嫌な音がしたからだ。
案の定。
「この俺の袖を掴むとは良い度胸だな······、」
声は少女にしては低く、少年にしては高い。口は、ものすごく悪い。でもものすごく美少女! そして黒い羽織の左袖が綺麗に破けて、その半分が俺の手の中に!?
「あ、す、すみません! 弁償します! あ、でも今お金持ってなくて······なんなら俺が直します! 裁縫は料理の次に得意っす! とにかく、俺にできることならなんでもしますからっ」
うちは母子家庭で、兄がひとり弟がひとりいる。父親は幼い頃に失踪。祖父母も他界していたこともあり、母を助けるために自立するのが早かった。何事も基本は自分でするのがうちの家訓だ。
おかげで俺は、高校二年生にして特技は"家事全般"である。
「言ったな?」
眼帯の美少女はその綺麗な顔に、ものすごく怖い笑みを浮かべて俺を見下ろして来た。なんだろう、嫌な予感しかしない。
「ここでは目立つ。さっさと立って、ついて来い」
ざわざわと他のコスプレイヤーさんたちがこちらに注目し始めていて、それを気にしたのか、そのまま踵を返した眼帯美少女が、小声で呟き視線だけこちらに向けてきた。
俺は袖の半分を握り締め、なんとか立ち上がる。制服が土で汚れていたが、置いて行かれる方が嫌なのでそのまま駆けた。
少女は思っていた以上に細身で、背も俺の肩くらいまでしかなかったが、色白で睫毛も長く、見れば見るほど綺麗だった。
「お前、魂だけでここに来たのか?」
ぽつりと少女が零した言葉の意味を知るには、俺は少し浮かれすぎていた。
こんな状況下でも、俺はまだ、ここがどこかのコスプレ会場だと信じて疑わなかったのだから。
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