三十、暗躍する者
紫紋と識は、雪女である
外観はまさに洞窟と言っていいだろう。観音開きではなく片側だけの扉で、辺りは日陰になっており、ひんやりと涼しかった。
当然、そこには例のオコジョ三兄弟も共に生活していた。来客と思い油断していたオコジョ三兄弟の三男、ハンが開けた扉を速攻で閉めようとするが、紫紋が扉の隙間に足を入れていたので、どうやっても閉まることはなかった。
見下ろしてハンが掴んでいる場所をよく見ると、普通の高さについている取っ手とは別に、扉の下の方に小さな取っ手が付いており、おそらくオコジョたち専用のものだろう。
「い、いじわるなのですっ」
「なんのことかな?」
惚けた口調で紫紋は肩を竦める。ハンのまんまるの黒い眼にうっすらと涙が浮かぶ。識は少し罪悪感を覚えるが、致し方ないとなんとか同情心を引っ込めた。
「あなたたちの主、
感情の起伏がない口調で、識は淡々と述べる。ぎくり! とわかりやすくハンは毛を逆立てて反応した。本当に、この子は嘘が付けないのだな、と識は口元が緩みそうになるが、なんとか堪えた。
「どうした、ハン?」
「あ、あなた方は!」
騒ぎを聞きつけたのか、長男のテンと次男のシンも奥から姿を現す。
「君たちには色々と訊きたいことがあるからね。それにすべて答えてもらうまでは、悪いけどここから動かないよ?」
「な、なんのことですか? 私たちにはまったく身に覚えのないことです」
と、言いつつも、かなり視線が泳いでいる次男のシン。
「と、とにかく! そんな所に居られても目立つので、中へ入ってくださいっ」
紫紋の足で閉められない扉の隙間から、外の様子を気にするように辺りを見回して、長男のテンが堪らずふたりに中に入るように促す。
「じゃあ、遠慮なく」
まだ取っ手を握り締めていたハンのことなど気にも留めずに、紫紋は扉を開けて中に入る。開いた扉と一緒に、取っ手を掴んだままのハンの白い体躯が外に持っていかれ、びろんと無防備に入口で伸びていた。
(うぅ······ホントは簡単に開けられたんじゃないですかぁ)
やっぱり意地悪なのです! とハンは起き上がって地団駄を踏み、紫紋の背中に向けて心の中で悪態をついた。兄たちは諦めたのか、洞窟の中の客間にふたりを座らせて、正面に自分たちも座った。遅れてハンも自分の席に着く。
洞窟の中は外以上にひんやりとしていて、少し寒いくらいだった。窓は天井にある木枠でできた天窓だけだが、いくつも置いてある蝋燭の灯りだけで、明るさは十分だった。
「あの依頼は、本当は誰からのもの?」
紫紋は前置きなど不要と、一番大事なことを訊ねた。それが誰であるかということが、なによりも重要な気がしたからだ。
「····黒い外套の小柄な老人です。お面で顔を隠していたので、誰かはわかりません」
次男のシンが言いにくそうに呟く。
「そいつが数日前にここに現れ、
長男のテンが忌々しそうに言い放つ。
「私たちがここに来ることは、たぶん計算済みでしょう」
「まあ、君たちが隠し事をできるような子たちじゃないことは、わかっていただろうからね。となると、目的は俺たち、もしくは特定の " 誰か " を氷室に誘導する、ということになるけど、」
識と紫紋は嘆息しつつ話を進める。その老人がお面を付けていたという事は、間違いなく神と名の付く者の類。しかも老人。思い当たる人物の中で一番可能性がありそうなのは、前に鐘楼守の
「
梓朗が言っていた、神の名。黄泉の穢れから生まれた神で、災厄を司る神。
「その可能性が高いかもね。氷室に棲みついたっていう妖は本当なのかな? どんな妖かわかるかい?」
「俺たちは、言われた通りに依頼しただけだから、なんにも知らないんだ」
「華鏡堂に依頼さえすれば、次の日には瑞花様を返してくれると」
「嘘ついて、ごめんなさいなのです」
しゅんとした面持ちで、おそらく反省しているだろうオコジョたち。しかしそんな三兄弟を前に、紫紋は眼を細めて不敵な笑みを浮かべた。
「いいかい? 君たちを責める気はないけれど、もし梓朗や平良くんになにかあったら、俺はなにをするかわからないよ?」
ひぃいっ!!?
オコジョ三兄弟はその怖い笑みに恐怖を覚え、三匹くっついて抱き合い震えあがった。責める気満々じゃないか! と心の中で訴える。
しかし誰が一番悪いかといえば、それをやらせた者なので、紫紋ももちろんその辺りはわかっている。オコジョたちの様子に満足し、あとは興味を失った。
(一応、お灸は据えておかないとね)
穏やかな笑みに戻った紫紋を横目で見つつ、識ははあと嘆息する。
「紫紋さん、弥勒様たちが心配です」
「ああ、俺たちも氷室に向かおう」
連れ去れた瑞花のことも気がかりだが、こちらの情報は得られそうにない。災いの神が関わっているのなら尚更だ。まずは目下の危機を回避する方が先決だろう。
「も、もし、瑞花様が帰って来なかったら······」
不安そうにハンが呟く。同じようにテンとシンも落ち込む。本当に戻ってくるのか、返してくれるのか。そう思うとどんどん不安が大きくなった。
「····約束はできませんが。もちろん、手がかりがあれば助力します」
「よろしくお願いします!」
三匹は声を揃えて言い、くるんと同時に丸くなり、ふたりに頭を下げた。
一体何が起きているのか。なにも全貌が見えてこないのが不穏だった。
「じゃあ、君たちは大人しく待ってるんだよ。
にっこり。
紫紋の笑みに再び三匹は震えあがる。こくこくこくと、素早い動きで何度も上下に頭を動かして頷く様に、識は思わずほわわと表情を崩す。どんな動作をしても可愛らしく見えてしまうオコジョたちの姿に、完全に虜になっていた。
(
鬼灯は紫紋には共有されないように、自分の頭の中で呟く。
その神の名は、遠い昔にもどこかで聞いた気がするが····。
思い出したとしても、良いことはなさそうだし、どちらにしても嫌な予感しかしなかった。
(まあ、どうせ戦うのは俺だからな)
神と戦う。
これ以上楽しいことはないだろう。
鬼灯はひとり、漂う意識という名の空間の中で、ほくそ笑むのだった。
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