二十七、教えてやらない



 幽世かくりよへの道を作るのに、あの"童子切安綱どうじきりやすつな"を鬼灯は使うと言い出した。あれは元々紫紋の屋敷の蔵に封印されていたはずだったが、今はなぜか自分の中にあった。


 あの妖刀の影響を受けることがないと知ってからは、完全に忘れていたが、もしかしなくてもかなり危険な事なのでは? と思う。


 いや、そもそもその妖刀を封印していたのはこの"冰紅蓮ひょうぐれん"なのだ。共に在るのは自然なのかもしれない。鬼灯が制御してくれているのだろう。それについてなにか語られることもなく、ただ紫紋の意思では取り出すことは叶わなかった。

 

 ひとつの疑問が浮かぶ。


 紫紋は自身が行ったとされる虐殺は、どちらの妖刀に魅入られた結果なのだろうか、と。どちらも妖刀で、どちらも厄介な業物わざもの。だが、扱えているのは冰紅蓮ひょうぐれんのみだった。


 本当に今更だが、余裕がなかったこともあり、まったく気にも留めていなかった。それが当然で、当たり前すぎて、疑問を持つ必要がなかったからだ。在るなら在るで構わない。また暴走するなら話は別だが、ただ在るだけなら問題はないと。


幽世かくりよへの道は実はどこにでもあって、けど、誰もが行けるわけじゃないのさ。もちろん、幽世かくりよから現世うつしよに行くのも簡単じゃない。行って戻って来られる見込みは皆無。つまりは、片道だけってことだ』


「戻ったところで、この通り。俺にはもう、なにもない」


 三上家として生き残った自分の役目と思い、この五年間生きてきたが、本来の自分は、名も知らない他人を守るなどという崇高な精神など、持ち合わせていなかった。


 それがこの数年でよくわかったのだ。父や兄が生きていたら、もしくは自分に大切なひとでもいたならば、その考えも変わっていたかもしれない。


 だがもはや、そんなものはこの世には存在しないし、今の自分がそんな存在をつくれるとも思えない。文字通り、なにもない・・のだ。


「行こう、幽世かくりよへ」


『初めて意見が合ったな。じゃあ冰紅蓮ひょうぐれんを出して、俺と代われ』


 紫紋は鬼灯の言う通り、冰紅蓮ひょうぐれんを右手に呼び出す。途端、落ち着いた穏やかな表情が消え、口の端が嫌味ったらしく吊り上がったような笑みが浮かぶ。双眸が赤く染まり、鬼灯は左手に意識を集中させた。


「イカれ変態クソ妖刀、童子切どうじきり。この役立たずのれ者。少しは役に立てよ」


 そんな酷いいみな、たとえ妖刀だろうが嫌だろう。

 左手に収まった童子切どうじきりの刀身に、ぐるぐると黒い靄が螺旋を描くように絡みつく。鬼灯はその反抗的な態度などなんとも思っていないのか、肩を竦めてにやりと口の端を上げて嘲笑った。


「まあまあそう怒るなって。お前をくさびにして俺たちはここから消える。あとは好きにどこへでも行けばいい」


 その時には、妖刀としては使い物にならなくなってるだろうけど、と心の中で呟いたのを紫紋は聞き逃さなかった。つまり、力を使うだけ使って捨てるということだ。妖刀ではなく、ただの刀になるなら、そもそもひとりではどこへも行けないだろう。


『それを信じるのもどうかと思うが······妖刀であろうと騙すのは気が引ける』


(いいんだよ、この馬鹿のことは気にするな。最悪の不運を呼ぶ妖刀でなくなれば、逆に降魔剣ごうまけんになるかもよ?)


 妖刀が、魔を降伏させる降魔剣に?冗談も休み休みに言え、と紫紋は嘆息する。


「じゃあ、同意も得たってことで、」


 その後の事はよく憶えていない。

 あの妖刀、童子切を使い、どうやって鬼灯がその幽世かくりよへ紫紋を連れて行ったのか。いつの間にか童子切は左手から離れ、その気配すらなくなっていた。



******



 目を開けて、その次の瞬間には奇妙な感覚を覚えた。同じようで違うその街並みと、雰囲気。

 先程までの夜の深い暗闇とは違い、ぼんやりと薄暗い。どこを探しても空に月はなく、燈は所々に灯された提灯の明かりだけだった。


(ここが幽世かくりよ? 元居た場所とほどんと変わらない。ただ、路を歩いているのは妖や霊たちみたいだけど、何かしてくる様子もないようだ)


『まあそうだろうよ。なにせ、ここは人外が集まる幽世かくりよだからな』


 ""はひとではないのだから、周りの者たちも気に留めていないのか?


『俺も元はここにいたからな。言ってもかなり昔だが、初見のお前よりは詳しいぞ』


 得意げに鬼灯は言うが、紫紋は首を傾げる。

 なぜ幽世かくりよにあったはずの妖刀が、現世うつしよに流れてきたのか。


「異なる世を渡る道を作るために、同じように何かを捧げたのか? そもそも、一体誰が、君のような厄介な妖刀を持ち帰ったんだい?」


『お前んちの先祖』


 その答えに、紫紋は思わず「は?」と、間の抜けた顔で訊き返す。


『俺は妖刀だが、ひとは殺していない。そもそも妖者を殺すために作られた刀だからな。ただ殺しすぎて穢れまくったのと、三上家の奴らが本来の能力を失ったから、使わなくなっただけ。けどお前は、憑鬼師ひょうきしとしての能力と、その特異な体質のおかげで俺と契約できた。しかも共存してるってわけだ』


 鬼灯が言うのには、本来の能力があっても契約はしないらしい。なぜなら穢れが強すぎて宿主が""に堕ち、結果、魂を喰われてしまうから。故に、鬼灯と契約して共存できたのは、三上家の初代当主と紫紋のたったふたりだけ。


 確かに、自分の知る限りだが、鬼灯はひとを殺していない。この五年間、妖者たちを何百と殺したが、ひとの血は浴びていないのだ。黒鉄の刀身が禍々しく穢れているのは、すべて妖者たちの血のせいだった。


 そんなことを考えながら妖たちと逆方向に歩いていたら、あんなに賑わっていた路から、いつの間にか誰もいなくなっていた。そういえば、その前に鐘が鳴っていた気もする。よく、憶えていない。


『面白いことになったぞ、俺に代われ』


 何が面白いものか。


 目の前にゆらりと現れたそれは、明らかに良くないモノであった。懐をあさってみたが術符もなく、在るのは妖刀だけだった。はあ、と嘆息して仕方なく紫紋は妖刀を抜いた。途端、瞳が赤く染まる。


幽世ここの""は格別なんだ。余計なことはするなよ、紫紋!』


 そうは言ったものの、なぜか本領を発揮できず、鬼灯は内心苛立っていた。

 現世うつしよで使っていたあの氷技ひょうぎが出せないため、防戦一方になってしまっている。


 そんな中現れたのが、識と弥勒梓朗だった。識の手により""に堕ちかけていた妖は、なんとか元の理性を取り戻した。


 せっかくの獲物を取られ、不機嫌になっている鬼灯に、梓朗は契約をしろと言ってきた。


 しかし、面倒なことは任せると言って紫紋に素早く変わると、自分はだんまりを決め込んだ。諦めてもらおうと、適当に契約の条件を言ってみたら、なぜか承諾されてしまう。


『馬鹿紫紋、なんで俺と契約しているのに、さらに契約をするんだ! しかも相手はあの弥勒だぞ! 俺がお前を使ってやるはずが、どうして使われる側になるんだよ!?』


(仕方ないだろう。こっちだってあんな条件に応じるとは思わなかったんだから、)


 こうして、紫紋は万事屋の一員、というか梓朗の式に下る。鬼灯の言う通り、自分のこの身が特異で、稀であることを思い知る。


(ここにいれば、なにか思い出すだろうか。この馬鹿は何も話す気はなさそうだし、こういうのは気長にやるのがいいだろうな)


 紫紋は気付いていない。今の自分が、誰を模しているか。その前の自分がどんな人間であったか。どこからが嘘でどこからが本当か。


 これが""に堕ちたせいなのかはわからない。何かしらの影響はあるのだろうが。あの日からある違和感。

 紫紋の口調や振る舞いは、紛れもなく、自分がかつて理想としていた兄、そのものであることを――――。




 鬼灯はひとり、思う。


(本当のことを知れば、こいつはどうなるかわからない。あの時、こいつの兄が口にした言葉も、それが誰に・・向けられたものなのかも)


 だから、教えてなどやらない。

 これは、もちろん自分のためだ。

 だってそうだろう?


 こいつの器があってこそ、今も自分は存在していられるのだから――――。



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