三十八、黄泉平坂への道
識は
黄泉の国の入口は、
「
識は確かめずにはいられなかった。
「黄泉の国になんて連れて行かれたら、タイラはもう、ここには戻れなくなります。魂だけの存在なら、なおのこと」
本来の"死"の概念とは、肉体が死んで魂が抜ける。魂は三途の川へと導かれ、罪を犯した者は地獄へ、それ以外の魂は輪廻の準備をするために天国とか浄土と呼ばれる、所謂"あの世"に送られる。その境界線を"黄泉"と自分たちは呼んでいる。
だが平良はどうだろう。
梓朗が言うには、平良は死ぬ間際に魂が抜けて、この
どういう理由でそうなったかも、なにがその直前にあったかもわからない。本人も憶えていないのだから、確かめようもない。しかし、その曖昧な状態の平良が黄泉の国になんて逝ってしまったら、恐らく、どこへも逝けない。天にも地にも。
(そうなれば、生まれ変わることすらできないかもしれません。肉体がないまま
誰にも認知されず、触れることも叶わず、声も届かない。ただの彷徨える霊体になってしまう。そういう霊は、やがて地縛霊や悪霊になり、人に害を成す"穢れ"の一部となる。つまり、自分たちの知る平良ではなくなってしまうのだ。
「
黄泉平坂。そこへと続くと言われている、洞穴の入口付近だった。
「ありがとうございました。
挨拶もそこそこして、識はその嫌な気配を纏う入口を真っすぐに見つめた。この先は、自分でもどうなるかわからない。平良がどこまで連れて行かれたかによって、間に合わない可能性だってある。
(それでも、私は······、)
平良を取り戻したい。それは自分のためでもあり、主である梓朗のためでもあった。平良がいれば、これから先もきっと、みんなが笑っていられる気がする。
駆け出したその足を止める者は、誰もいなかった――――。
******
――――
黄泉の穢れから生まれた神で、災厄を司る神。本来なら、祀ることで災厄から逃れられるといわれている。
「鷹羽殿は、鷹羽家の始まりを知っておるか?」
黒い外套を頭からすっぽりと纏った、小柄で背の曲がったひょっとこの面の老人が、そのしゃがれた声で訊ねる。
「あ、えっと、すごく古い家系で、本家は京都にあるって昔父さんが言っていたような?」
平良は幼い頃に、父親の
「始まりは遥か昔、平安の世。当時、その家に生まれた者は、皆、不思議な力を持って生まれた。鷹羽殿が持つ壊れた物を元に戻す修復能力。その力は村で重宝され、神の御使いとして祀り上げられていたのです」
ひょっとこ面の黒い外套の小柄な老人は、平良さえ知らないことを語り出す。平安? そんなに前なの? と逆に驚いた表情を浮かべる。
「平和ボケした呑気な村でしてね。そんな村に、ある日、都からの使者と名乗る者が訪れます。その者は、あるモノを直して欲しいと、当主に取引を持ちかけます」
「その事と、俺となにか関係があるんすか? なんで急にそんな話を?」
広い洞穴の中央に置かれた氷の檻の前で、平良は正面に立つ異様な雰囲気のひょっとこ面の老人に、珍しく遠慮がちに訊ねる。どうして、自分にそんな話をするのか。自分が鷹羽家の人間だから? それとも、なにか他に理由が?
しかし、老人は平良の質問には答えずに、そのまま独特なしゃがれ声で紡いていく。
見えないのに、にやりとお面の奥で笑ったような気配がした。
「村人たちの命を奪われたくなければ、ある"香炉"を直して欲しいと」
(いや、それ取引じゃなくて脅迫っすよね······?)
正直、話の意図がわからない。
そもそも、それと自分と何の関係があるというのか。遠い昔の、誰も知らない話を聞かされても、いまいちピンと来ない。
「当主は約束通り香炉を元通りに直し、その使者に渡しました。が、その香炉は壊れた香炉と全く同じ見た目の"模造品"で、その本来の効果は半減しており、それに気付いたその使者は、当主を呪い殺しました」
話がどんどん不穏な方向へと流れていく。平良は口を挟む余裕もなく、雪女の
「その"呪い"は当主だけでは終わらず、鷹羽家の子孫、そして能力者に対して延々と齎され、親から子へ受け継がれるというものでした。"呪い"とは、まさに鷹羽殿、お前さんが父親から受け継いだ"絶対的な不運"のことですよ」
え、と平良は目を瞠る。父親が失踪した後のことだが、母親が言っていた気がする。父親は昔すごく運が悪くて、けれども自分が生まれた瞬間から解放されたかのように、好転し始めたのだという。
しかし、なぜそんなことを赤の他人であり、そもそも会ったこともないこの老人が知っているのか。この
「申し遅れました、儂の名は
ある意味無表情とも呼べる、歪んだ顔のひょっとこの面が、薄暗闇の中で不気味に笑っているように見えた。
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