三十八、黄泉平坂への道



 識は大太法師だいだらぼっちの肩に乗せてもらい、平良が連れて行かれた方角を一緒に見据えていた。その先に在るのは、黄泉平坂よもつひらさかへと続く、長く暗い洞穴の入口。その先は黄泉よみの国と言われているが、実際にここを通る者はほとんどいない。


 黄泉の国の入口は、現世うつしよのあらゆるところにあるらしいが、幽世かくりよからあちら側に逝く者は稀だ。あちら側からこちら側にやってくることはよくあるのだが、その場合、人ではなく地獄界隈の役人たちや、天界にいられなくなった邪神の類。


 幽世かくりよは曖昧な場所。天界、現世うつしよ、黄泉のちょうど真ん中にある。それぞれの時間軸は違えど、すべてが交わる場所でもあるのだ。


大太だいだらさん、本当にタイラはあの方向に連れて行かれたんですか?」


 識は確かめずにはいられなかった。


 大太だいだらは大きく頷く。山のような大きさに変化している今の状態で、見失うということはないだろう。それでも、識が訊ねたのには理由がある。


「黄泉の国になんて連れて行かれたら、タイラはもう、ここには戻れなくなります。魂だけの存在なら、なおのこと」


 本来の"死"の概念とは、肉体が死んで魂が抜ける。魂は三途の川へと導かれ、罪を犯した者は地獄へ、それ以外の魂は輪廻の準備をするために天国とか浄土と呼ばれる、所謂"あの世"に送られる。その境界線を"黄泉"と自分たちは呼んでいる。


 だが平良はどうだろう。


 梓朗が言うには、平良は死ぬ間際に魂が抜けて、この幽世かくりよに転移してきたのだという。つまりその時点では生きていた。生きたまま魂が幽世かくりよにやってきたのだ。


 どういう理由でそうなったかも、なにがその直前にあったかもわからない。本人も憶えていないのだから、確かめようもない。しかし、その曖昧な状態の平良が黄泉の国になんて逝ってしまったら、恐らく、どこへも逝けない。天にも地にも。


(そうなれば、生まれ変わることすらできないかもしれません。肉体がないまま現世うつしよに戻される可能性も····)


 誰にも認知されず、触れることも叶わず、声も届かない。ただの彷徨える霊体になってしまう。そういう霊は、やがて地縛霊や悪霊になり、人に害を成す"穢れ"の一部となる。つまり、自分たちの知る平良ではなくなってしまうのだ。


大太だいだらさん、あそこまで私を運んでくれませんか? その先はひとりで大丈夫です。弥勒様たちが近くまで来たら、私は先に行ったと伝えてください」


 大太だいだらは大きく頷く。数歩歩くだけで指定した場所まで辿り着くと、肩に乗っていた識を手の平に乗せ、ゆっくりと地面に降ろした。そこは森の木々が陰になっているせいか薄暗く、陰気な雰囲気を放っている。


 黄泉平坂。そこへと続くと言われている、洞穴の入口付近だった。


「ありがとうございました。大太だいだらさん、後のことは、頼みます」


 挨拶もそこそこして、識はその嫌な気配を纏う入口を真っすぐに見つめた。この先は、自分でもどうなるかわからない。平良がどこまで連れて行かれたかによって、間に合わない可能性だってある。


(それでも、私は······、)


 平良を取り戻したい。それは自分のためでもあり、主である梓朗のためでもあった。平良がいれば、これから先もきっと、みんなが笑っていられる気がする。



 駆け出したその足を止める者は、誰もいなかった――――。



******



 ――――禍津日神まがつひのかみ

 黄泉の穢れから生まれた神で、災厄を司る神。本来なら、祀ることで災厄から逃れられるといわれている。


「鷹羽殿は、鷹羽家の始まりを知っておるか?」


 黒い外套を頭からすっぽりと纏った、小柄で背の曲がったひょっとこの面の老人が、そのしゃがれた声で訊ねる。


「あ、えっと、すごく古い家系で、本家は京都にあるって昔父さんが言っていたような?」


 平良は幼い頃に、父親の快音かいねが教えてくれたことを思い出す。かなりざっくりしていたので、それくらいしか思い出せないが。


「始まりは遥か昔、平安の世。当時、その家に生まれた者は、皆、不思議な力を持って生まれた。鷹羽殿が持つ壊れた物を元に戻す修復能力。その力は村で重宝され、神の御使いとして祀り上げられていたのです」


 ひょっとこ面の黒い外套の小柄な老人は、平良さえ知らないことを語り出す。平安? そんなに前なの? と逆に驚いた表情を浮かべる。


「平和ボケした呑気な村でしてね。そんな村に、ある日、都からの使者と名乗る者が訪れます。その者は、あるモノを直して欲しいと、当主に取引を持ちかけます」


「その事と、俺となにか関係があるんすか? なんで急にそんな話を?」


 広い洞穴の中央に置かれた氷の檻の前で、平良は正面に立つ異様な雰囲気のひょっとこ面の老人に、珍しく遠慮がちに訊ねる。どうして、自分にそんな話をするのか。自分が鷹羽家の人間だから? それとも、なにか他に理由が?


 しかし、老人は平良の質問には答えずに、そのまま独特なしゃがれ声で紡いていく。

 見えないのに、にやりとお面の奥で笑ったような気配がした。


「村人たちの命を奪われたくなければ、ある"香炉"を直して欲しいと」


(いや、それ取引じゃなくて脅迫っすよね······?)


 正直、話の意図がわからない。

 そもそも、それと自分と何の関係があるというのか。遠い昔の、誰も知らない話を聞かされても、いまいちピンと来ない。


「当主は約束通り香炉を元通りに直し、その使者に渡しました。が、その香炉は壊れた香炉と全く同じ見た目の"模造品"で、その本来の効果は半減しており、それに気付いたその使者は、当主を呪い殺しました」


 話がどんどん不穏な方向へと流れていく。平良は口を挟む余裕もなく、雪女の瑞花ずいかとお互いに不安げに視線だけ交わす。


「その"呪い"は当主だけでは終わらず、鷹羽家の子孫、そして能力者に対して延々と齎され、親から子へ受け継がれるというものでした。"呪い"とは、まさに鷹羽殿、お前さんが父親から受け継いだ"絶対的な不運"のことですよ」


 え、と平良は目を瞠る。父親が失踪した後のことだが、母親が言っていた気がする。父親は昔すごく運が悪くて、けれども自分が生まれた瞬間から解放されたかのように、好転し始めたのだという。


 しかし、なぜそんなことを赤の他人であり、そもそも会ったこともないこの老人が知っているのか。この幽世かくりよで、自分の事をまるで見てきたかのように語るその不気味さに、さすがの平良も引いていた。


「申し遅れました、儂の名は禍津日神まがつひのかみ。単刀直入に言いましょう。鷹羽殿、お前さんを、否、その魂、回収させていただく」


 禍津日神まがつひのかみはそう言って、平良を見上げる。

 ある意味無表情とも呼べる、歪んだ顔のひょっとこの面が、薄暗闇の中で不気味に笑っているように見えた。



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