十四、鐘楼守は見た!
黒い靄が大路を吹き荒れる風の如く通り抜けていく。それは小路に入ってみたり屋根の上を巡ってみたり、天辺に大きな鐘がぶら下がっている高い櫓を、ぐるぐると蜷局を巻くように上に昇ってみたり、とにかく縦横無尽に駆け回っている。
先程まで"夕"を告げる警鐘がけたたましく鳴り響いていたが、黒い靄が遠くに見えた時点で、鐘を鳴らしていた
「まったく······どうしてあんなモノが、この
あれに少しでも触れれば、その身が穢れ、最悪"
鐘楼守を担う彼は
身の丈に合わない上等な
この櫓の真下には邪気の侵入を防ぐ陣があり、ある意味一番安全な場所である。なので、隙間があろうが特に問題はなかった。
「なんだ、あれは······、」
路を駆け抜けていた靄が急に動きを止めた。よく見れば、その靄の前に人影がひとつ。その人影は遠すぎてはっきりと顔は見えないが、漆黒の外套を纏い、手に持っている何かを掲げていた。小柄で背の丸まった老人のように見えなくもない。
その光景は異様で、響海は思わず
あの迷惑な大きな黒い靄は、老人が掲げた何かに次々に吸い込まれて行き、しばらくすると、存在自体が初めからなかったかのように、消え失せてしまったのだ。
「······今のは、なんだったんだ?」
次に瞬きをした時、路には誰もいなくなっていた。
「とにかく、弥勒の
逢魔が時が過ぎるまでは待機する必要があり、その後に"夜"を知らせる鐘を鳴らさなければならない。もどかしい気持ちはあったが、自分の仕事はきっちりこなすタイプの響海は、時間が過ぎるのをいつものようにひとり、この櫓の中でじっと待つのだった。
******
「という、わけなんだが····、」
響海は先程目の前で起こった事を、見たまま一から話す。梓朗は"漆黒の外套を纏った老人のような人影"という言葉が出た時、一瞬だけ表情が変わった。それを見逃さなかった紫紋は、少なからずその特徴に関して梓朗がなにか知っているだろうことを確信する。その上で、口を開いた。
「その老人みたいな人影が掲げていたっていうモノがなにかは、今のところわからないってことだね」
「それに"穢れ"が吸い込まれて行ったというのも、気になります」
識もまた、もうひとつの気になることを確かめるように呟いた。
「そのひと、その"穢れ"をどうするつもりなんすかね。退治してた、ってわけでもないっぽいし」
前に見た黒い靄は"穢れ"に呑み込まれた妖、つまり"
「それを考えるのが、
「あ、それは酒粕入りのカステラっす」
「かすてら? 少年が作ったのかい? こりゃいい!」
ぼろぼろの袈裟を着た僧侶姿の無精ひげのおじさんは、話を終えるなりばくばくと出された菓子を口に入れていく。最後に茶で流し込み、「ご馳走さん」と空になった皿と湯呑に手を合わせた。
意外なことに、
「じゃあ、真相解明よろしく!」
「······ちょっと待て、生臭僧侶」
立ち去ろうとした響海に、俯いたままの状態で、めいいっぱいの低い声音で梓朗が呼び止める。
「どうした、
「だれが········、」
あまりに自然すぎて今までスルーしていたのだが、入って来た時からこの鐘楼守は、ずっと例の禁止ワードを繰り返していた。平良は「あ、まずい」と久々に見る光景すぎて、止める間もなかった。目の前に置かれた空の湯呑を握り締め、梓朗がぷるぷると肩を震わせている。次の瞬間、
「だれが、
「ぐはぁっ!?」
梓朗がぶん投げた湯呑が、おじさんの顔面に見事クリーンヒットした。顔面に当たり跳ね返ってきた湯呑を、平良は慌ててキャッチする。おじさんはそのまま反動で後ろにひっくり返り、床に沈んだ。
「その汚物を外に捨てて来い」
はーい、と紫紋と識が率先して動く。その一連の流れは明らかに慣れたもので、これが今に始まった事ではないということがわかる。
「こりないなぁ、響海さんは。もしかして、わざとやってるんじゃない?」
「わざとじゃなかったら、ただの馬鹿です」
床でのびている汚い僧侶の足を、それぞれ一本ずつ持つと、ずるずると店の外へと運び出すふたり。乱暴に足を放るとそのまま扉を閉め、ひと仕事を終える。"朝"の鐘まではまだ十分に時間があるので、問題ないだろう。
「さて、静かになったところで、本題に入ろうか」
紫紋は梓朗の正面に座って、その濃い紫みのある青色の右眼を見つめた。
「······その老人のような人影が、穢れを集めていたのなら、」
梓朗は嘆息して、重たい口を開いた。
「そいつは、
紫紋も識もその名に覚えがなく、眉を顰める。ただその名の響きを聞いただけで、良い神でないことだけはわかった。
「
「······なにか、問題が?」
平良は突然出てきた"神"というワードに、得体の知れない恐ろしさを覚えた。前に、梓朗が言っていた。妖も神も、例外なく"穢れ"の影響を受ける、と。
「穢れを集めているのだとしたら、奴は、災厄を呼ぼうとしている可能性が高い」
それこそ、なんのために、と紫紋は思ったが、神の考えなど下々の者にわかるはずはない。この
この途方もない仮説に、梓朗はそれ以上言葉を紡ぐのを止めた。
ただ、思い当たることがひとつだけある。
だがそれを口にするには荒唐無稽すぎて、この時はまだ、その確信が持てなかったのだ――――。
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