第35話 詰みへの一手

「――!」「うそ……」


 戦場に満ちた煙のすべてがようやく消え失せて視界が戻ったとき、晴秋たちは愕然と目を見開いた。


「――ぬ……ぐ、うぅう……。き、きさま、らあぁ‼」


 現状で出力可能なありったけの妖力を結集して放った一撃。にもかかわらず、酒吞童子の姿がそこに在ったのだ。実体はなく、魂と妖力が形を成した存在ゆえ、すでに半ば消えかかり、立ち上がることもままならぬ状態ではあれど、彼は、梨乃たち妖狐姉妹が誇る最強威力の術。それに妖討師一族当主の血を引く晴秋の力を合わせた一撃に耐えたのである。


「――だが、このままでは終わらぬぞぉ!」


 唸るように叫んだ彼はなんと立ち上がり、さらに周囲に満ちた妖力を吸収して回復を図り。


「させるか!」


 察した久遠が妖力を込めた錫杖を投擲とうてきする。



「天尊師、貴様あァ!」


 だが彼の放った錫杖は、巨大化した酒吞童子の左手の一振りで持ち主へはじき返された。


「うぬっ!」「ううっ!」「――久遠、麗乱っ!」


 恐ろしい速度で舞い戻ってきた錫杖が爆ぜ、弱っている天尊師とその横にいた四尊大師の女性を巻き込む。その間にも鬼の首魁は懸命に回復を試みている。


「お姉ちゃん、晴秋! こうなったらもう一発……」


「そ、そうね……うぐっ!」


 妹の提案にうなずき、再び魔力を全身に充溢させ始めた一葉が、ふいにがくりと膝をついて座り込む。それに伴い、晴秋の目前で白狐が光の粉と消える。


「なっ……母上!」


 すぐさま彼女に駆け寄り、その身を抱き支えた。はあはあと息遣いは荒く、震える手で息子の手を握る。


「は、晴秋……わた、しは大丈夫。ちょっと妖力を使いすぎただけ、だから――あ……」


「は、母上!」「一葉お姉ちゃあん!」


 少年の腕のなかでがくりと気を失う一葉。だが無理もなかった。彼女は晴秋と梨乃の妖力を活性化させるために妖力を多量放出し、現時点において奥義と言うべき術を発動。


 さらに、晴秋たちふたりが一歩及ばぬ部分を感覚的に補っていたとなれば、妖力切れで倒れても仕方ない。


 だが酒吞童子を完全討伐していない段階でのこの状況は、絶望的と言うほかなく。


「く、どうする。久遠が本気で放った錫杖……それを叩き返された一撃をまともに受けたんだ。久遠と麗乱はしばらく動けぬ。それに俺も梨乃も、さすがにもう決定打を放てるだけの妖力は、もう……」


 現状を言葉にして連ねたところで、それが好転するわけでもなかった。


「く、ククク……。残念だったな、安火倍の小僧。一手足らずに詰みとは。我も消滅寸前、しばらく動けぬ身とはいえ、今しがた貴様が口にしたとおり、決定打はありえぬ。なればその間に消えかかっている身を再生させ、都へ攻め入ることは十分可能。そこで人間どもの魂を食らって回復し、改めて貴様らに引導を渡してくれよう」


「く、っそおおっ!」


 晴秋は最悪というしかない奴の計画を耳にして走り出した。梨乃や美久の制止も振り切り、辛うじて絞り出した妖力をもって式神・白虎を召喚。ともに酒吞童子へ突撃する。


 が、妖狐の力を解放した身とはいえ、妖力不足は致命的であった。きらめく鬼の爪が白虎を引き裂き、その膝蹴りが晴秋の腹を蹴り上げる。


「がはっ!」


「いやあ!」「は、晴秋‼」


「ふん、容易に動けぬとはいえ、そのような無謀な特攻など効かぬわ!」


 酒吞童子の嘲笑を受けながら母と幼なじみのもとへ転がっていく少年。少しずつ、だが確実に回復していく敵。晴秋の中で不快なほどの焦燥が爆発し、再び無謀な突撃に及びかけたとき、何者かの腕が立ち上がる寸前で少年の腕を掴み、それを阻止する。


「――バカめ、頭を冷やせ晴秋!」


「み、道風! おまえ、意識が戻ったのか!」


 安火倍の少年は自分の腕を掴んだ相手を振り返り、そこにいた長身の少年に驚きの声をあげた。酒吞童子の『妖鬼酒』が放つ強烈な妖気で意識を失っていた道風であったが、ようやく気が付いたのだ。


 現状を晴秋が説明すると、長身の少年も顔をしかめる。


「……なるほど、確かにマズいな。お前がバカな特攻に走るのもうなずける」


 そう言ったうえで彼は背負っていた長刀を外し、晴秋に投げ渡した。


「――?」


「幼少期からの愛刀だが、今この瞬間だけお前に貸してやる」


 なぜと問う晴秋の言葉を無言で制し、わずかな自嘲に言葉を続ける。


「お前の言うとおり、久遠さんたちも含めヤツに止めを刺すだけの余力はない。それは俺も同じ……いや、それ以上に酷い。あのふざけた酒の妖気が思ったより強かったらしくてな。こうして上体を起こしているのがやっとだ」


「だが……お前の刀を俺が使えるとは」


「人の話は最後まで聞け。その刀は確かに普通の刀としても良いものだが、妖力を込めることでその力を飛躍的に高める妖刀だ。お前のその姿、推測するに妖狐の力であろう? なぜそんな姿になったのかは気になるが、それは後でも聞ける。まずはあいつの浄化だ。

 お前も知っていると思うが、妖狐の力は浄化力が桁違いに強い。それを込めて振るえば、あるいは……いや、現状それしかない!」


「……」


 力強い彼の言葉を受け、晴秋は長いさやを払った。透明の刀身には呪術的な文字が刻まれ、柄には特殊な力を感じる。両手で柄を握り、試しにわずかな妖力を流してみると、無色であった刀身が金色に染まり、凄まじい妖力を放った。


「――こ、これは! 俺の妖力か?」


「そうだ。わずかな妖力でもそれを増大して刀身に込めることができる。浄化力も上がっているゆえ、今のヤツならそれで胸部きゅうしょを斬れば倒せるはずだ!」


 酒吞童子もその危険性を感じ取ったらしく、苦い表情を浮かべた。


「ええい、貴様ら! ふざけた真似を……ぐっ!」


 脅威を払おうと手に妖力を集約するが、その光弾を放つ前に消え失せる。


「見たか晴秋! やつが置かれた状況もまさに土壇場、ぎりぎりだ。ならばまだかろうじて動けるお前に分がある。最後の好機を逃すな!」


「――分かった!」


「待って、晴秋」


 うなずき、晴秋が刀を構えたとき、幼なじみの少女が彼を止めた。


「梨乃?」


「背中かして。私ももう、これ以上術は使えそうにないけど、あなたに妖力を分けるぐらいなら!」


 彼女はそう言って幼なじみの背に両手を当て、純白の妖力を送る。これまでずっと、彼の不調を治してきたように。


 それは晴秋の体内で彼自身の妖力と一切の拒絶反応なく交じり、その手を介して道風の妖刀に流れ込んだ。金の刀身は空のような青へと変わり、そこに燃え盛る炎のごとき朱色の妖力がほとばしる。同時に、晴秋の左目が梨乃と同じ朱色へと変化した。


「……ふん、弾き合う気配すらなくそこまで綺麗に混じり合うとは。愛ゆえと言うべきか」


 ふっと微笑し、羨望と納得が混じり合ったような表情でふたりのやり取りを眺める道風。


「確かに、これなら!」


 晴秋は長刀のつかを力強く握り、地を蹴った。焦りの表情をにじませる酒吞童子に真っ向から斬りかかり――。しかし、彼もまたむざむざ斬られる瞬間を待つことはなく、両腕で急所を守り、妖力を腕に集約して少年の斬撃を受け切ってはじき返す。


「――ふう、やるな!」


「そう簡単に斬られてなるものか!」


 晴秋は宙で身をひねり、態勢を立て直して着地する。そして間を置かず再び突撃し、だがこの攻撃も辛うじて受け切られ、そこから七度にわたって際どい攻防が展開された。


 それが両者にとって大きな結果を結ぶことなく終わり、晴秋が跳躍をもって梨乃たちのもとへ戻ったとき、彼も相対する鬼もついに妖力の限界が迫っていた。


 道風の妖刀によって増幅された二色の妖力も、消えてこそいないが急速に勢いを失いつつある。


「ちっ、これでも互角なのか」


 道風の舌打ち。すると、それまで重症である久遠や麗乱のそばに居た晴秋の直属使用人である少女、美久が駆け寄ってきた。


「晴秋さま、お待たせしました!」


「美久。おまえ、もういいのか?」


「はい、最低限の回復をする暇はありましたし、可能な限り妖力を解放してきました」


 そう言うと、彼女は武具を封じて持ち歩くための巻物を出して妖力を込めて封印を解き、そこから純白の妖刀を取り出す。


「皆さまが出せる全力をもって戦っておられるのですから、私もこれを使う時です」


 美久の持つ妖刀それは、一定量の妖力を込めて使うことで、触れるたび敵の防御力を低下させるもの。


 彼女が普段この妖刀を使用しない理由は、必要な妖力が莫大で戦闘中一度でも使えば戦えなくなる可能性が極めて高いためである。


 だが幸か不幸か、今回彼女は力を出し切るまえに長く気を失っており、比較的妖力を残している。なにより美久は、晴秋のために大した仕事もできていないことがたまらなく気に入らないのだ。

 表情からそれを察した彼女の主は、ふっと微笑した。


「そうだな。この局面で王手に続く詰みの一手を指すには、お前の力が必要だ。俺とともに来てくれるか? 美久」


「はいっ、お任せください! はあああああああああああ――ッ‼」


 輝く表情で晴秋に応じた美久は、全妖力を出し切る勢いで放出したそれを、白い刀身に込めていく。やがてその刀身が輝く銀色に変わるのを合図に、晴秋と美久はうなずき合った。

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