第28話 主の少年と、使いの少女②

 場が落ち着いたとき、晴秋が再度尋ねるより早く道風が口を開く。


「……安火倍の跡取り。貴様きさま、先ほどいたな? その傷はどうしたと」


「あ、ああ……………」


 彼が短く返すと、長身の少年はなにかに失望したような態度で小道に座りこみ、足を投げ出した。


「この傷か。なに、簡単なことさ。我が父に刃を向け、その場に駆け付けた天尊師に斬られた。それだけだ」


 その言葉の意味が晴秋と美久のなかに浸透しきったとき、ふたりは驚いて目を見開く。


「そ、それって………」


「道風、おまえ。一族に謀反むほんしたのか⁉」


 静かにうなずく彼の背中は、目をそむけたくなるような哀愁を帯びて見えた。


「……………俺が貴様ら安火倍を毛嫌いするのは、妖しとの妥協を図ろうなどとするからだ。

 そうだ、俺は絶対に許せない。あいつを――美来みらいを殺した妖しも、それに肩入れしようとする貴様らもな!」


「道風、まさか……。使が」


「――えっ? どういうことですか、晴秋さま」


 愕然がくぜんとして立ちつくす晴秋に、美久が問うた。


「……ああ、これは父上に聞いたことだが……。妖討師が分断するまえは、全ての一族の当主とその跡取りには、年の差があまりない部下、つまり直属使用人を付けていたらしいんだ。

 ――が、分断してからはそれぞれの一族に新たな秩序が生まれ、直属使用人をなお継続しているのは俺たち安火倍だけと聞いていた」


「た、確かに……。私はあまり意識していませんでしたけど、金剛一族の少年も一人でした」


 その言葉にうなずく少年。そして直後、目の前で座りこんでいる道風に視線を向けなおす。


 すると彼は、観念した様子で語りを再開した。


「……そうだ、貴様の言うとおり、俺には直属使用人がいた。――そうだな、まあ貴様らのような……いや、あいつと俺はもう少し歳が近かったはずだ。

 ――綺麗な翠玉色すいぎょくしょくの髪と白い肌をした少女で、名を美来みらいといった」


 そこで一度言葉を切り、少年の指が美久を指し示す。


「まさにお前が主に従うように、まだ小さな身体を懸命に奮い立たせ、俺を慕ってくれていた」


 にぶい歯ぎしりの音と共に、言葉が切れた。


「……お前が、お前がそこまで、妖しを冷酷なほどに憎むのは、そのを殺されたから――だったのか」


 晴秋の口調にも、重々しさがにじみ出ている。


――まだ小さな身体――


 つまり道風は、彼自身も幼いころにそれまでずっと慕ってくれていた少女を殺されたのだ。そのとき受けた衝撃は甚だしいものだったのだろう。


 もし、その運命に自分があったとしたら……。晴秋は一瞬美久を見やり、悪夢を振り払うように視線を戻す。……わずかな想像であっても、全身に悪寒おかんが走った。


「――俺も。もし美久をそうやって失っていたら、お前のようになっていたかもしれぬ」


 わずかに震える安火倍一族の少年の声。それを黙って聞いていた道風だが、ふいに右手を握りしめ、地面に打ち付けた。


「そうだ! ……だから俺は妖しどもをことごとく討伐し、美来あいつの無念を晴らそうとこれまで活動してきた。だが、俺は弱かったんだ……」


「……………弱かった? お前の妖術は、充分精錬されていると思うが……」


 晴秋が正直な思いを口にすると、道風はふっと冷笑して続ける。


「そういった強さではない。――さっきの貴様らのふざけたやり取り……。あれを見て思い出したのだ。俺もむかしは、美来を大切にしようしていた。

 ……そうだ、屋敷の庭に自生する白詰草で、花輪を作ってやったこともある。あいつは……あいつは、目を真っ赤にして泣いて喜んでくれたんだ!」


「「………………っ」」


 ついさっきのやり取りを思い出し、晴秋と美久は静かに視線を交わす。もはや道風にどう言葉をかけてよいか分からなかった。


 長身の少年は静かに涙をぬぐい、口調を戻して続ける。


「……俺は、大切にしてきた部下を失う時の絶望に恐怖したのだ。ゆえに、部下には主従関係を徹底させた。貴様ら安火倍のやり方も、み嫌った。

 行き過ぎた信頼は、主従の秩序を乱す。……なんて理由にしがみついておきながら、本当は、大切な者を失うことを恐れてのことだったわけだ」


 そう告げて、自分自身に向けた嘲笑を放つ少年。そのまま視線を晴秋に向けた。


「……………な、なんだ」


「ふん、俺は昔からなにかと貴様に絡んできた。それは、貴様が安火倍の跡取りだったからじゃない。羨ましかったんだ。恐れげもなく部下との絆を深め、常に笑っている貴様がな」


 語りつくした道風の表情は、いくらか穏やかになったと晴秋は感じた。


「……道風。確かに俺も美久を殺されたら……と考えてたまらなく苦しくなった。だがお互いを信じていくことは、本当に素晴らしいぞ。

 それに、俺たちは妖討師として戦う身。そうでなくとも、いつ死ぬか分からぬだろう。ならば、大切な人が死んだら……と考えるより、今生きていてくれることに感謝してともに生きることを考えるのはどうだ? そのほうが良いに決まってる」


「……………ふん。貴様は本当に揺るがぬな。――だが、その生き方もありなのかもしれぬ」


 そこで初めて、道風の顔に笑みが浮かんだ。それにつられ、晴秋と美久も苦笑を交わしあう。


 長身の少年は、今回の謀反について次のように語った。


 彼の直属使用人、美来みらいは、当主の命によって見殺しにされたと。そのとき道風は、天尊師とともに屋敷の外で修行していたので現場を知らなかったのだ。


 当時、芦屋一族の屋敷を隠ぺいする結界が偶然弱まっていた。そこへ運悪く、強大な力を持つ鬼と、金剛一族の四尊大師が攻めてきたと言う。


 恐ろしい板挟みに遭った当主の男は、こう決断を下した。


「重臣や有能な部下を最優先で逃がせ。幼くまだ能力の低い使用人どもは、残念だが自力で生き延びてもらうしかない」


 ――と。


 そうして彼らは早々に屋敷を放棄して事なきを得たが、その代償として逃げ遅れた数人の使用人たちが鬼と金剛一族の刺客に惨殺ざんさつされ、その中に少年の直属使用人である美来も含まれていた……。


「――俺は今日、その記録の書たまたま見つけ、父に問い詰めた。そうすると、すべて真実だと。一族を存続させるために必要な犠牲だったと言われた。

 ……ゆえに一矢報いてやろうとしたんだが、まあ、天尊師や当主なんて敵に回すものじゃない――」


 失笑する少年に、美久がおずおずと謝罪する。


「………ごめんなさい。貴方のこと何も考えず、ご無礼を……」


「ふん、気にするな。弱い俺が悪いことだ。

 ――おまえ、たしか美久……と言ったな。ふっ、そこの心底優しい阿呆のこと、これからも慕ってやるがいいさ」


「――は、はい。……貴方、以外と良い人かもしれませんね。まっ、晴秋さまにはかないませんけど!」


「ふっ、抜かせ…………」


 ――ふたりのやり取りを見て、晴秋の脳は混乱を極めた。夜道で宿敵に襲われたかと思えば、いつの間にかその宿敵と自分の部下がすっかり仲良くなっているではないか。


 なんともおかしなことだが、少年は別のことを口にする。


「そうだ。……道風、これからどうするのだ? 今の状況では屋敷には帰れぬし、恐らく追っても放たれているだろ?」


「……………う……む……」


 と、さすがに道風もうなだれた。


――一族いちぞくの当主に刃を向けし者、何人であっても、その罪命をもって償うべし――


 これは安火倍一族ですら守っているいわば妖討師絶対の掟であり、長身の少年は完全に行き場を失っている。


 それについてしばらく考え、晴秋はひとつ飛んでもない提案をした。 


「なんなら……うちに来るか?」


「――はっ?」「……えっ、晴秋さま?」


 美久も驚いて声をあげるが、少年は臆さずに説明する。


「いや、道風。お前が知っているかどうか分からないが、今日の昼にでも俺の父とお前の父が戦う」


「なっ、どういうことだ?」


 驚きをあらわにする道風のため、晴秋は、四尊大師の香月が捕らえられていること、それがきっかけで全面衝突は避けられぬだろうことを説明した。


 それをおおよそ納得すると、彼はだがと続ける。


「それだからどうしようというのだ? 芦屋一族と決裂したのなら、なおのこと俺など受け入れられぬだろうが」


「……いや、だからこそ、だよ」


 なお怪訝けげんな顔を浮かべる道風に、晴秋はとある確認をした。


「お前、まだ父親に未練とかあるのか?」


「ふん、ふざけるな。今思えば、俺はあいつが……美来が好きだった。部下としても、ひとりの……異性としても。そう、誰よりもな。

 それを俺から奪った奴だ。もう父親とも思ってはおらぬ!」


「なら堂々と裏切れよ。香月が捕まっている場所……。見当ぐらいつくだろ? あとは、当主の弱点とか知ってたら強いんじゃないか?」


 それを聞いて、道風は困惑の表情を浮かべた。こいつがこんなことを楽しげに提案するか? と言いたげだ。


 だが、すぐに不敵な笑みを浮かべると。


「……ふん、確かに。このまま人知れず野垂れ死のたれじぬか、今は憎きもと父に殺されるよりはましだな。――いいだろう、こうなったからには、その話乗ってやる!」


「……ああ、そう来なくっちゃな! 俺、昔から思っていたぞ。……お前とは出会いかたさえよければ、気が合うだろうとな」


「――言ってろ。これでもし俺が貴様の父に殺されでもしたら、貴様の生涯にわたり呪ってやるからな」


 そうして三人は夜の小道を歩きだし、寅の刻には安火倍の屋敷に到着するのだった。

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