第23話 驚愕の結末

 そして正午が迫るころ、晴秋と梨乃はようやく店を後にした。幸せそうな笑みを浮かべて跳ねるように歩く少女は、頭に揺れる赤いりぼんを終始気にかけている。


「……そんなに嬉しいか、それ」


「ええ、だって晴秋からの思わぬ贈り物よ? しばらくは寝る時も外せないわ、むふふふ」


 そこまで言われると、何とも言えない嬉しいような感情がこみ上げてくるもので、少年はその心に従ってふっと笑みを作った。


「まあよかった。そこまで喜んでくれるなら、選んだ甲斐はあったと言うものだ。……で、どうする? もうすぐ昼時だが、朝から団子食いすぎたしな。――さすがに梨乃もまだ入らないだろう?」


「――⁉ ふぇぇん……悪い冗談だよね?」


 弾けるような幸せの笑顔を一転し、半泣き状態になる少女。


「あ、ああ、そうだ冗談だ! ………じゃ、じゃあなにか食べたいものは……」


「ええっと……。あっ! あそこのおうどんがいい!」


 それは、恐ろしい速さの即答だった。晴秋は好意的なため息をふうっと漏らし、梨乃がうどんを五杯平らげるのをおどろきながら見守るのだった。


 その後ふたりは充実したひと時を過ごした。多くの神社を巡り、劇場で芝居を楽しみ、都の街並みを散策する。八つ時には茶店にも寄った。


 さすがに遊び疲れ、大きな神社の境内で休んでいると、梨乃は満足そうな笑みを浮かべて。


「ふい~、今日はホントにいろんなことしたわね、もう最高よ」


「そうか、ならよかった。……まあ俺も楽しんでたしな。ここ最近、討伐任務ばかりだったから、丁度よく息抜きにもなった。誘ってくれてありがとな」


 晴秋がそう幼馴染の少女に笑みを返すと、彼女は元気よく笑ってうなずいた。その笑顔は、本当に満ち足りていただろう。


「……梨乃、けっこういろいろ回ったが、やり残したことはないか?」


「えっ、やり残したこと? ……う~んそうね……」


 ふいに問われた少女は、右手の人差し指を形のいいあごに添えて考え込み、やがて答えを見出してぱっと視線を晴秋に向ける。


「――そうだ! ちょっと前におじいちゃんが言ってたんだけど、この近くに新しい温泉ができたんだって。……私、歩き回って汗かいちゃったし、そこだけ寄っていこうよ、ねえ~いいでしょ」


 まるで菓子を催促する子どもだな。と、晴秋は内心で苦笑し、幼馴染の要求を受け入れた。彼自身、久しく温泉に行く機会がなかったし、むげに断る理由はない。


「で、その温泉ってのはどこにあるんだ?」


「……ええっと、たぶんあっち――かなぁ?」


「そ、そうか……。俺は場所が分からぬゆえ、すまぬが案内してもらうぞ」


 わずかに不安を覚えつつ、晴秋はそう言った。そして予想どおり迷って都を放浪し、一刻後ようやく目当ての場所にたどり着く。


「……はあ、はあ、やっと見つけたけど……疲れたあ」


「まったく、おぬしの方向音痴は折り紙付きだな。よく見てみろ、ここ明らかに五回は目の前を通ってるぞ」


「……うぐっ」


 痛烈な指摘を受けた少女は、ぎくっとして言葉を失った。普段であればこういう時、苦しみ紛れの弁明があるのだが、梨乃もさすがに今回は責任を感じているらしい。


「…………ごめん」


「……ま、まあいい。疲れてむしろ丁度いいじゃないか」


 晴秋はそう言って入店を促した。せっかく一日を楽しく過ごせたのに、最後の最後で雰囲気を壊したくはない。


「う、うん、そうね。ありがとう晴秋」


「あ、ああ、じゃあ行くぞ」


 そうしてふたりは、仲良く風呂屋の敷居をまたいだ。


 ――外に掲げられた、とある看板に気づくことなく……。


「わああ、すっごい綺麗!」


「そうだな。さすがはできたばかりというだけある」


 と、ふたりは建物の内装に目を見開いた。高級旅館と比較すると、お世辞にも広いとは言えないが、庶民の大衆浴場として見れば充分と言えよう。木のぬくもりを肌で感じられ、実に良い雰囲気を醸し出している。


 見たところ他に客がいない事だけには違和感を覚えたが、ふたりはそれよりも早く体の疲れを癒したかった。


 受付に向かうと、感じのよさそうな四十後半あたりのご婦人が笑顔で対応する。


「あらいらっしゃいませ。お二人さまですね? こちら、温泉でご利用いただけます手拭いです。では、ごゆっくりどうぞ……おほほほほ」


「「……?」」


 なぜか終始含みのある笑顔で上機嫌な受付のご婦人。妙な心配はあるが、とにかく風呂場へ向かう。


「じゃあ梨乃、あまり長湯し過ぎるなよ?」


「――わ、わかってるわよ。そんなの良いから早く行きましょ、ねっ、ねっ」


「……はいはい、わかったわかった」


 小さな足踏みを伴い、我慢できずそわそわしている少女。その様子に、晴秋はふっと笑って言葉を切り、歩みを進めた。


「……本当に貸し切り状態か、これ」


 青い暖簾のれんをくぐって木製の引き戸を開け、少年は思わず声をあげる。そこには人の気配など一切なく、脱いだ着物を納めるための籠が綺麗に整頓され、ヒノキ製の長いすが置かれていた。


「――う~ん、商い中……だよな?」


 と、無意識につぶやいてしまう晴秋だが、いつまでも脱衣所に突っ立っているわけにもいかない。少年は心にそう言い聞かせ、浴場へ向かった。


「……ああ、これはいい湯だなあ」


 彼は室内と露天風呂どちらを優先するかわずかに悩んで前者に定め、次いで室内にふたつある湯船のうち広い方を選択すると、ゆっくり腰を下ろした。


 湯加減もまさに最適というべきで、長時間歩きまわった疲労感がじわじわと解きほぐされていく。


「いやあ、温泉はやはり良い!」


 と、高い天井に声を響かせたとき、平穏な時間が予兆もなく一瞬のうちに崩れ去った。


「――わあぁ、すっごく広~い! って、うそお……やだ露天風呂もあるじゃな………い?」


「――――はっ? 梨乃……………?」


 引き戸が開く音がしたので、晴秋はなにげに音のした方へ視線を向ける。――が、そこにいたのは、彼が予想した初対面の男性客にあらず。互いをよくよく知る幼馴染の少女ではないか。


 あまりにも唐突な遭遇だったため、ふたりはぽかんと顔を見あわせた。しかし、徐々に正常な判断力が復活し、互いの顔面が急速に紅潮していく。


「うおわああああああああああっ!」「きゃああああああああああ――っ!」


 やがて空気を貫くような絶叫がふたつ同時にした。晴秋は慌てふためいて視線を逸らし、梨乃はしゃがみ込んで身体を隠す。

 


 ……さて、少し経って一応は互いに落ち着いたが、晴秋はふと幼馴染の少女に視線をむけ、ぎょっとした。


 全身を長い手拭いで隠した梨乃は、真っ赤な顔で涙目になりつつ、ヒノキの桶を持って震えている。まさにそれを投げつけてきそうな勢いだ。


「――お、おい梨乃……おぬし、やめろよ? 絶対やめろよ!」


 ――と、少年は相手をなだめようとするが、一瞬でも裸体を見られた当の少女は、心穏やかではない。


「な、なんで……。なんで晴秋が女湯にいるの⁉」


「ま、まて! 違うぞ梨乃、早まるな。……そんなはずはない、これは何かの間違いだ!」


「――この、変態っ!」「ちょ、それは投げるものじゃな――フガアァッ!」


 ……果たして晴秋少年は、豪速で飛来したヒノキの洗い桶に鼻面はなづらしたたかに打たれ、飛沫しぶきをあげて湯船の底へと轟沈していった。


「…………いってええ……。おい梨乃、せめてもう少し手加減をだな……」


 少年は、顔面において猛烈な痛みを帯びている二か所をさすり、幼馴染の少女に抗議の視線を向ける。それを向けられた梨乃の表情には、わずかな申しわけなさと、ほか大半を占める疑惑・警戒の念が混じり合っていた。


 晴秋のなかで、このままではならんと焦りが積もる。


 あらぬ誤解をどうにか解くため、少年はまず腰にしっかりと手拭いを巻きつけた。それが完了すると、びくびくしている少女にゆっくりと歩みよる。


「いやっ、ダメ! いま来ないで……」


「り、梨乃、おまえ急にどうしたんだよ。いま思ったが、なにか隠してないか?」


 晴秋は、ここで幼馴染の少女に明らかな異変を感じた。すっ裸を見られた羞恥心で思わず桶を飛ばす。ここまでは違和感などなかったが、梨乃はそれ以降、頑なに近づかれるのを拒んでいる。


「と、とにかく、私、受付の人にどうなってるのか聞いてくる。だから――……あ、あれえ?」


 しかし、足ばやに浴場を去ろうとした瞬間、彼女は急に足を止めた。同時に今度は、その口から拍子抜けたような声が上がる。


「……? つ、次はどうしたんだ、梨乃」


 少女は問われてなおしばらく無言を貫いたが、そのすえにぷっ、と我慢していたらしい笑いを噴き出した。


「――あは、あはははは、な、なによそれ……あははははお腹痛いよお」


「……り、梨乃……?」


 晴秋が爆笑し続ける少女をいぶかしげに眺めると、梨乃は呼吸を落ち着け、ようやく普段の笑みを取り戻す。


「うん……。ほら、この立て札見てよ」


 彼女は笑い涙を拭き、自分が入ってきた脱衣所へ通じる扉のまえに立つ木の板を指さした。


 晴秋が不思議に思いながらヒノキの良い香りがする立て札を覗くと、次のように記載されていた。


――ご家族や恋人どうし、どなたとでもご一緒に楽しんで頂ける混浴温泉『愛の湯』

 存分にご堪能いただけましたか 大切な方と愛は深まりましたか わずかでも、そのお手伝いができたのなら幸いです――


「……なんだよこれ。――じゃあ、受付の人が嬉しそうなのも、夕刻がせまるのに人がいないのも、ここが混浴温泉だったからかよ!」


 行き場を失い、口から飛びだした少年の大声は、広い浴場内にこだました。その声によりまた少し笑いをこぼす梨乃は、このような推測と意見を述べる。


「……だって、『愛の湯』なんて名前で混浴じゃあ、家族連れとか一人でゆっくりしたい人ぜったい気まずいでしょ。せっかく気持ちのいいヒノキの温泉なのに、すっごいもったいないじゃん」


 晴秋は苦笑をもって応じたが、人気が出ない理由についてはまったく同意見だった。


 その後ふたりはどうしようかと悩んだが、せっかくなのでもう少しだけ温まっていこうと結論を出す。晴秋はともかく、梨乃に関してはまだ湯に浸かっていないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る