傾国妖討伝

佐江木 糸歌

第1話 百鬼夜行の黄昏に……。

 ――もし、今日という日を生きて終えられたなら、明日の朝日をこの目で拝むことができたなら、この身は大層な幸せ者だ。とすらも思ってしまう。


 体力も妖力もすでに底をつきかけ、止まることなき鳩尾みぞおちからの流血が、竹林を赤く染めていく。身体中が徐々に寒気を覚え、指先を動かすことすらままならぬ状態に、彼女はむしろ笑いがこみ上げてくる。


「…………ははっ、私たちってほんとバカだなあ。結局、人に付こうが『あやかし』に付こうが、こうなることは分かってたはずなのに……」


 自分たちの愚かさ、ニンゲンたちへの失望と恐怖、そして『奴ら』への憤り……。


 数えきれぬほどの感情が胸の内にうず巻いていたが、遠のいていく意識のなかで何よりも強く心にあったのは、愛しい姉たちへの思いだった。


「お姉ちゃんたち、無事に逃げきれたかなあ。私はこんなザマだけど、ふたりが生きているなら……それでいい」


 未来へ思いを託すかのようにつぶやいた彼女は、残った力を振りしぼり、身体の向きを反転させ仰向けになる。


 竹林の奥で人知れず命の終わりを迎えるのなら、せめて最期に空を仰ぎたい。そう思った。

 

 彼方に見える空は漆黒で、遠くから未だに爆ぜる火の音と、人間のざわめきが聞こえてくる。


「……最後に聞くのは穏やかな自然の音と、お姉ちゃんたちの優しい声が良かったなあ」


 美しい朱色の瞳から一すじの涙が流れ、静かに頬を伝う。彼女はそれを感じながら、数時間まえの地獄を走馬灯のように思い返していた。


***


 ――六刻以上にも及んだ激戦にようやく終止符が打たれたが、今なお『妖し』の百鬼夜行により燃えさかる京の都に、雷鳴のような怒号が轟く。


 身体の芯が強張こわばうなりをあげた男の恐ろしい眼光が、狐の耳と尾を持つ三人の少女を突きさした。


「やはり貴様らは『妖し』だ! その妖艶なる姿と強大な妖術のために、我ら『妖討師ようとうし』は今宵こよいその袂を分かち、京の都は壊滅した。結局のところ、貴様らは人類の敵というわけだ」


 敵意と殺意に満ちた言葉と、鮮血に濡れた刃が、満身創痍の少女たちに突きつけられる。


「そ、そんな……。私たちは、貴方たちを信じて力を貸したのに……」


「黙れ! もはや妖魔には騙されぬわ。貴様らはここで斬り殺す! おぬしら、一切の遠慮はいらぬぞ!」


 男の怒鳴どなりつけるような命令が飛び、生き残った彼の部下およそ五百人が、悲しみに暮れる少女たちに襲いかかる。


 残酷なきらめきを放つ金の刃が届く直前、長女がふたりの妹たちに向かって叫んだ。


「ふたりとも、逃げるよ!」


「うんっ!」「どうして、どうしてこうなるの……」


 末っ子の少女は、大きすぎる悲しみに押しつぶされそうになりながら、真ん中の姉に手を引かれて夜の山を疾走する。

 だが彼女たちは、先の戦いの終盤に強大な封印術を使ったあとで、逃げきれる力など無いに等しかった。


「ハア、ハア……! ね、姉さん! もう……体力が」


「私も……もう、走れないよう」


「いたぞ!」「こっちだ!」


 次女と三女の苦しげな声を押しつぶすような男たちの叫び。周囲を取り囲むようにして、松明の明かりとおびただしいざわめきが近づいてくる。


「まずい、追いつかれちゃう! ふたりともお願い、もう少しだけ頑張って!」


 長女の励ましと迫りくる死の恐怖も手伝って、彼女たちがどうにか走っていると、行く手の闇の中に人影があった。


 しかし、それは人間であっても少女たちの敵ではない。


「あ、あなたは……」


「うむ、私の仲間が本当にすまぬ! 同じ人間として恥ずかしい限り。さあ、ここは私が防ぐゆえ、早く身を隠されよ」


 『火』の文字を手の甲に宿したその男は、ボロボロの身体で欠けた刀を構える。どう見ても、戦える状態ではなかった。


 妖狐の長女は、涙ながらに男のもとへ駆けよる。


「待って、それじゃあ貴方が殺される! それだけはいやよお!」


「よい、早く行かれよ! 私はこれでも安火倍やかべの当主だ。そう簡単にやられはせぬ。それよりも、そなたたちはこのような理不尽で死ぬべきではない。生きるのだ!」


「「「で、でも……」」」


 彼がいなければ、少女たちは一刻まえに殺されていた。その命の恩人を置いて行くなど、彼女たちには到底できないが、男は真剣そのものと言うべき表情で生きろと言う。


「見つけたぞ!」


 葛藤にさいなまれ、決断できずにいる少女たちの背後から、鋭い声が飛び掛かる。彼女たちは声をのみ込み、ぎょっとして振り返った。


 そこには、手に『金』の文字を宿す金髪の恐ろしい眼光を放つ男が、部下より先に追いついてきている。


「妖狐ども、成敗してくれる!」


「やめぬかッ!」


 少女たちを狙った鋭い横なぎの斬撃を、火の当主がかろうじて防いだ。ふたりの当主はそのまま鍔迫つばぜり合い、激しい視線を突き合わせる。


「いい加減にせぬか! 彼女たちの力があればこそ、奴を封印できたのだぞ? その恩を仇で返す気か!」


世迷言よまいごとをぬかすわ。こやつらは妖術を扱う狐ぞ! 現に貴様は惑わされ、人ならざる力と美しさで我らはたもとを分かったではないか。生かしておけば、どれだけの人を惑わすか知れたものではない!」


「ええい、この分からず屋めが! この娘らは断じてそんなことはしない! 彼女たちの和平への思いをこれ以上汚すな! そなたたち、さあ早く、早く行け!」


 懇願にも近い彼の叫びを受け、末妹まつまいの少女は震える手で姉ふたりを引っ張った。


「姉さんたち、早くいこっ!」


「う、うんっ!」「ごめんなさい! 私たち……」


「謝罪などいらぬ、さあ行くのだ!」


 三姉妹は苦しい思いで走りだそうとするが、まさにその瞬間。


「抜かせ、この裏切り者がああああッ‼」


「ぐああああっ!」


 金髪の男の刀が閃き、対峙する男を左わき腹から逆袈裟に斬り上げた。彼の肉体とともに宙を舞った鮮血が、思わず足を止めてしまった少女たちに飛散する。


「「いやあああああああああ!」」「きゃああああ! だめえ、しっかりしてえ!」


 彼女たちは目前に転がってきた若い男に、思わず駆けよった。


「…………ぐうっ、なにを……しておる、止まるな……!」


「逃がさぬぞ、妖狐ども!」


「――っ! ふたりとも、逃げるよ!」


「「うんっ!」」


 意を決した長女の叫びで、少女たちはようやく逃げ出した。金髪の男とその部下がついに迫ってきたが、彼らは恩人の男には興味がないようだ。


 であれば、今は逃げることが彼を死なせぬことだと信じて。


 残った妖力をもって何とか追っ手を振りきり、しばらく走ったところで、彼女たちはとある決断をする。


「やっぱり三人バラバラに逃げて、生きていたら都の門で落ち合いましょう」


「そうだね、お姉ちゃん。みんな殺されるよりいいし、単独で逃げたほうが生きる可能性はあがるわ」


「わかった。でも絶対、絶対に生きて会おうね!」


 いちばん下の妹が訴えるように言うと、彼女の姉二人はしっかりとうなずいて。


「ええ!」「もちろんよ!」


 三人は再度追手が来ていないことを確認し、接吻せっぷんを交わして三方へ散った。末っ子の少女は漆黒の竹林へと逃げ込んだが、不運なことに、その選択は間違いだったらしい。


 背後から嫌な気配が……金髪の男の狂気が凄まじい速さでせまってくる。


「う、うそ、やだ、やだあ! ……あっ!」


 後方をふり返りながら夜道を走ったため、彼女は木の根に足を取られ、倒れ込んでしまった。胸を強く打ち付けて息が詰まり、すぐに動けずにいると、無慈悲な男はついに追いすがり。


「さあ、観念しろバケモノ!」


「いやっ! やめて、来ないでえ! いたっ、あぐっ、ごぼっ⁉」


 最後の抵抗むなしく少女は捕らえられ、まず容赦ない殴打の雨に晒された。妖力をまとった拳が、身体中の急所を容赦なく責めてくる。


 少女のあかく美しい瞳から涙があふれ、小さな口から鮮血が噴き出す。


 ほどなくして、妖狐の少女は弱々しく痙攣するのみとなり、悲鳴すらも失った。


「う、ぐうう………」


「くくく。ここまで弱れば、生意気な不意打ちも叶わぬな。では……」


 刀を納めて迫りくる男の笑みには、この世すべての狂気を集約したような、直視しがたいおぞましさがあった。それを見て、血まみれの少女は理解する。


 今回の百鬼夜行を起こした『妖し』の王など比にならぬ。そんな恐ろしさを持つこの男の真の目的は、人の世のため、妖しである自分を討伐することではないと。


 そして、ただ普通に一生を終えることが、どれだけ平穏な最期であるかを……。


 本性を晒した男は周囲に『人払い・目隠しの陣』を張り、怯える少女を地面に押さえつける。


「いたっ! お願い、やめて! 放してっ、放してってばあ!」


「くっ、くくくく……。予想通り凄まじい妖力。これは使える。

 そして、やはり人にはない美貌だ。それに良い声でく。一度この手で試してみたかったのだ。妖しの中でも強く、そして妖しいほどの美しさを持つ妖狐。貴様らがどれほど我が拷問に耐えられ、いつ壊れるのか。ということをなア!」


「――いやあ! どうして、どうしてこんな……」


「ふん、拷問はただの私の趣味よ。他の一族に悟られぬようにするのは、これまで苦労したがな。奴らは抵抗できぬ妖しどもを拷問し辱め、最後に殺す快楽を知らぬ愚者どもであった。ゆえに今宵、妖討師が分裂したことは私にとって非常に都合がよいのだ」


 妖討師……いや、人間にあるまじき男は狂気の笑みで語り、さらに恐ろしい野望を口にする。


「だが真の目的は、貴様を捕えその力を人間に利用できぬかどうか調べること。妖狐の力を取り込んで扱うことができれば、我が金剛一族こんごういちぞくの力と合わせて私は最強の術師になれる! そうすれば、妖しも妖討師も私の思うまま。引いてはこの国を手中に収めることすら可能! 

 貴様はそのための資源に過ぎぬのだ! くはははははははは‼」


 その狂じみた笑いにおびえながら、妖狐の少女は改めて理解した。ニンゲンをひとつの基準で測ることはできないと。自分たちを身を挺して守ってくれる者もいれば、鬼よりもなお恐ろしいこの男のような者もいる。


 少女を恐ろしい力で押さえつける人の姿をした悪魔は、必死にもがく彼女の手足を大の字に開かせ、四肢に金の鎖をかけた。


 その鎖を杭で地に打ちつけると、少女の着物の帯を小刀で引き裂き、唐衣からぎぬ一枚を残して着物を脱がせる。


「まずは貴様がどれほどの力を秘めているのか、どれほどのモノなのかじっくり調べ尽くしてやる。さあ、覚悟はよいな? 小娘」


「――っ! いやッ、いやだあ! やめっ……ああ、きゃああああああああッ!」


 それから数刻のあいだ、彼女は、妖狐でなければ到底耐えられぬであろう凄惨せいさんな拷問に晒され、悲痛な絶叫をあげ続けた。


 男に一切の手心はなく、素手の暴行や刃物による責め苦は序の口である。


 人払いの陣が消えたとき、少女はピクピクと絶え間なく痙攣し続け、美しい純白の狐耳や尾は斬られて血に染まり、周囲には、絹糸のような彼女の白髪が散らされていた。


 返り血まみれの男が、そんな少女の泣き顔をのぞき込む。


「お願い……もう許してえ。絶対に、悪いこと……じないからあぁ!」


「ほう、それはなんとも……良い心がけだ!」


 たかぶる口調とともに、男のかかとが少女の腹部に落とされた。


「おぐッ⁉ やだ……もうやだあ! お姉ちゃああん‼」


「くはははははっ! 良い、良いぞ女狐。そうだ、もっと嬌声をあげろ! ははは、はははは!」


 男は実験後、あろうことか血を欲する己の激情に身を任せ、少女に残虐の限りを尽くしたのだ。


「く、くくく……。っと、少々やりすぎたか。これ以上痛めつけては持ち帰る前に死にかねん。――では、これで終わりにしてくれる!」


 抗いがたい興奮に突き動かされるがごとく刀を抜き放ち、男は最後の一撃とばかりに脱力した彼女を引き立たせて胸を刺すと、そのまま夜空に蹴り上げた。


 だが男の想定を越え、少女の身体は宙を舞って街道の下へ続く断崖を転げ落ちていく。


「うぐう、きゃああああああッ!」


「ちっ、しまった! 崖下に落ちたか。おぬしら、アレは貴重な獲物だ。拾いに行くぞ!」


「はっ!」


「ですが、周囲に血の雨が降るほどの出血。すでに死に絶えているのでは?」


「なあに、我の目に狂いがなければ、あの程度では死なぬ。仮に死んでいたとしても、使えぬことはない。

 くくく、アレこそ我ら金剛一族を最強たらしめる切り札だ。髪の毛一本、爪の一かけらに至るまで利用してやる。

 おぬしら、生死は問わぬ。が、生きていれば極力殺さずあの女狐を持ってこい!」


「「はっ!」」


 残虐な男の怒号が夜の街道に響き、その部下たちが崖下へ降りるべくその道を探す。


 ――こうして少女は竹林に落ちたが、唐衣が竹に引っかかって墜落による即死をまぬがれ、今に至る。だが、もはや生きているのが不思議だった。


 深く心に刻まれた人間への恐怖。それを思い出すと全身に悪寒おかんが走り、嗚咽とともに視界がぼやけるほどの涙があふれる。


「……お姉ちゃん、ううう、ひぐっ、えぐっ! 助けて……ッ! ――あっ……」


 ついに体力が限界に達し、意識が暗闇へと堕ちかけたとき、彼女はぼやける視界に何者かの影を見た。


「だ……れ? おねえ……ちゃん、な……の?」


「おお、なんということだ、可愛そうに。わ……の名は……。安心するとよい、わ……は――だ、きっとそなたを助けて……」


 朦朧もうろうとする意識のなかで、少女が断片的に聞き取れたのはそこまでだった。彼女は直後、誰かに優しく抱えられるような感覚を覚え、凍てついた心が少しだけ温かさを取り戻す。


「あ……りが……とう」


 消え入るようなそのつぶやきを聞き逃さなかった男は、ふっと微笑んで彼女の涙を優しく指で拭き取った。


「この状況で『ありがとう』とは、なんと心優しき娘か。このような少女を傷つけるとは、まったくひどい輩もいたものだ。安心せよ、そなたはわしが面倒をみてやるゆえ。――いまはゆっくり眠れ」


 そう言葉をかけた謎の影は、傷だらけの少女を抱えて静かに歩きはじめる。その腕のなかで、彼女の意識は完全に闇へと落ちていった。

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