第2話 妖討師と巫女

 ――妖討師たる者、世に蔓延はびこる妖しを掃討し、人の世に平穏を保つべし――


 この言葉は、『妖討師ようとうし』一族の屋敷であれば必ず玄関先で目にすることができる。

 なぜなら、『妖討師歴伝ようとうしれきでん・十か条』と呼ばれる、彼らの掟が記された絵巻の一番目にある項目であるためだ。


 だがここ三十年の間、大切にされるべき掟の第一条は、ただの飾りと化していた。 


 日ノ国ひのくにと呼ばれる、極東の島国。


 その都である『きょう』に設置された極秘組織、妖討師ようとうし。彼らは本来、妖しにのみ使用できる妖力ようりょくを人ながらその身に宿し、その力をさまざまな『妖術』として扱い、世の平安を脅かす妖しと戦う者たちである。


 三十年前までは五つの妖討師一族がひとつとなり、一枚岩の組織であった彼らだが、現在それぞれの一族に分裂し、本来の敵である妖しを討伐するだけでなく、他の一族と争い続けていた。


 その原因を含め、三十年前の百鬼夜行の真相は、当事者たちのみが知り得ることだと世間に伝わっている。



 ――妖討師のある一族に生を受けた晴秋はるあきは、午前中の修行を終え、静かな竹林を歩いていた。さっぱりとした黒い短髪で、髪と同色の瞳には、昼の陽光を受けて優しい光が湛えられている。


 彼が足取り軽く竹林の小道をしばらく歩いていくと、ふいに竹林が開け、小道の先に神社が現れた。


 それを視界に捉えた少年はふっと微笑して歩調を早め、その下まで進んだ。境内けいだいまでは五十段にもなる石段があり、はるか上空に朱色の鳥居が見える。


 晴秋がその場で丁重に頭をさげて神社へと石段を上がり始めると、ふいに春の風が優しく流れた。それに流され、境内から桜の花弁がひらひらと舞い降りてくる。


「……ああ、これは良い」


 彼は穏やかな笑みを浮かべ、落ちてきた花弁をそっと手で受けた。ふと空を見上げると、心が安らぐような木漏こもれ日が降りそそぎ、その心地よさからまた少し足を止めて風の匂いを堪能する。


 ようやく境内にあがると、桜の花弁と木漏れ日のなかに、ひとりの少女の姿があった。紅白の巫女服に身を包み、竹ぼうきを手に拝殿まえの参道を掃除している。

 彼女が舞うように身を動かすと、長麗な黒髪がふわっと春風に揺れた。


「――――っ」


 晴秋はその姿をみて思わず言葉を失ったが、自身を落ち着けて少女に歩みよる。


梨乃りの、今日も相変わらず巫女さんだな」


 他に言葉があったのではないか、と自分でも思ってしまうが、平静を装うにはこれが精一杯の表現だ。


 彼の呼びかけに気づいた麗しい少女は、嬉しそうな笑みを浮かべて少年にかけより、桃色の柔らかな唇を動かした。


「あら晴秋はるあき、来てたのね。ほら、お茶出してあげるからこっちきて」


「ん、気にするな、いま掃除中だろう」


 妖討師の少年はそう言ったが、巫女服が似合う彼女はせかすようにその袖口を掴む。


「いいから、ほら遠慮しないで」


「――っ、わかったわかった、行くからそう引っ張るな」


晴秋は幼なじみの少女、梨乃りのにそのまま袖を引っ張られ、拝殿横の住居に向かう。


「はい、じゃあ座って桜でも眺めててね。すぐにお茶持ってくるから……って晴秋、ほら狩衣かりぎぬちょっと乱れてるよ」


「ちょっ、おい梨乃……」


 黒髪の巫女は慌てる幼なじみを気にすることなく、彼の服装を正した。それが終わると、彼女は改めて。


「はいできた! じゃあ今度こそお茶れてくる」


「……はいはい、それじゃあお言葉に甘えてそうさせてもらうよ」


 その言葉を聞くと、梨乃はにこりと嬉しそうな笑みで答え、部屋の奥へ駆けていった。


「……まったく、本当に世話好きだな、昔から」


 彼女の足音が遠のいていくなか、晴秋は静かに言葉をもらす。


 今年で十五になる自分と彼女の歳は恐らく同じ。仮にその予想が外れていたとしても、差は一、二歳ていどのはず。


 この妖炎神社ようえんじんじゃで出会ってはや十年。お互い大人になったが、彼女の天真爛漫な笑顔と、見た者を一瞬で惹き付ける愛らしさは変わらない。

 それどころか、近年余計に女の子らしく成長しており、えも言えぬ美少女になりつつある……。


「……き……はるあき……ちょっと晴秋、聞いてるの?」


「ん! あ、ああ、すまない」


「もう、お茶と羊羹ようかん持ってきたよって言ってるのに」


 彼が慌てて意識を現代へ戻すと、むうっとした顔で自分を見下ろす幼なじみと目があった。


「すまぬすまぬ、ちょっと考えごとをしていた」


「なあに? 考えごとって」


 純粋な好奇心と、無邪気な光を湛える視線を向けられ、少年は言葉を詰まらせる。ふと昔を思い出し、ずっと梨乃のことを考えていた。などと素直には白状できない。


「いや、おぬしと初めて会った日も、今日のように穏やかな日だっただろう? あの時と同じような情景ゆえ、ふいに昔を思い出してしまってな」


「そう言えばそうね。ふふ、晴秋ってば、半泣きになりながらここにかけ込んできたものね」


 周囲の景色を見渡し、梨乃はそう言ってむふふと笑った。


「やめろ、その黒歴史を掘り返すな」


 晴秋は、少女の笑みを見て顔をしかめる。彼女が口にしたことは、思い返すだけで頭が痛くなるようなむべき記憶であるからだ。


 幼いころ、父と口喧嘩のすえ屋敷を飛び出して近くの竹林に迷い込み、無様にも帰り道を失ってさまよったところ、この妖炎神社にたどり着いて事なきを得た……。


 というのがその黒歴史であり、同時に梨乃との出会いだが、今になってみれば何とも恥ずかしい。


「でも、本当にこの辺りは穏やかよね~。三十年まえは地獄だったなんてうそみたい」


 取り分の羊羹を口に運びながら、巫女服の少女は急に話題を変えた。晴秋はそれに応じ、静かにうなずく。


「ああ、本当にな。でも事実は事実だ。三十年前の百鬼夜行のために、妖討師は袂を分かったわけだから」


「あっ、ごめん……」


「いや、梨乃が謝ることではないだろ」


 彼女が自分の立場を思って謝罪したことは分かるが、別に三十年も前のことを気にはしない。


「だいたい俺は生まれていなかったし、俺は真実を明らかにして、妖討師のあり方を変えたい。父上にいくらお尋ねしようと、当時のことも、なぜその夜に組織が分裂したのかも教えてくださらない。きっと何かあるはずだ」


 少年はそう言って右手を握りしめた。


 彼は自分が知り及ばない……いや、知ることを阻まれた歴史の闇があると思っている。なぜなら、それまで揺るがぬ一枚岩な組織であったという妖討師が一晩で、それも敵の大将を封印した後に仲間割れなどあり得ない。


 当時から当主である父に真相を聞いても、とある一族が裏切ったと答えるだけなのだ。


「それに、害のある『妖し』を討伐するのはむろん仕事だが、父上の仰るとおり無害な妖怪たちを殺す必要などない。彼らとて、この地に暮らす命なのだからな」


 晴秋はそこで言葉を切り、幼なじみが淹れてくれた玉露ぎょくろをひと口すすった。程よい温かさとともに、まろやかなうまみが口の中に広がる。


「ふう、やはりここの茶と茶菓子はうまいな」


「ふふ、そうでしょ。って言っても、おじいちゃんがどっかから貰ってくるだけなんだけど」


 そう答え、梨乃も湯飲みを口に付ける。それに倣って少年はまた茶を飲み、ふと幼なじみのほうを見やった。


 ペタンと座るたおやかな身体と、そこから生まれる柔らかな所作。その美しさは十年も隣で見ているが慣れることはなく、気付いたときには、全ての思考を放棄して彼女に見とれてしまう。


「――っ」


「ん? どうかした?」 


 自身へ向けられる視線を感じた少女のきょとんとした表情。それを受け、彼は視線をそらす。


「な、なんでもない――っ」


「……そう? ならいいけど。じゃあそろそろはじめちゃおっか」


「ああ、頼む」


 晴秋は梨乃にうなずいて立ち上がった。

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