第3話 ふたりの儀式

 梨乃に逢いに来た……というのも、むろんこの神社を訪れた理由ではあるが、それとは別の目的がある。


 そのために彼らは一度拝殿のほうへ戻り、反対側からその裏手にまわった。そこには裏山へ続く小道があり、細い山道を五分ほど登ったところに目的の場所がある。 


 そこには巨大な岩がご神体のごとく鎮座し、その複雑な割れ目から清水が湧き出ていた。湧き水は岩の表面に刻まれた細い溝を伝って流れ、真下にある泉に注がれる。


 泉といっても、自然にできた岩の窪みに水が溜まってできたものだ。


 目的地に着くと、晴秋は袴を残して狩衣かりぎぬ単衣ひとえを脱ぎ、烏帽子えぼし浅沓あさぐつも泉のかたわらに整えて置いて入泉する。


「よし、じゃあ私も」


 梨乃も幼なじみに続いて裸足になり、巫女服が濡れないよう持ってきたおびで要所を固定し、できる限り服を濡らさないよう工夫を施すと、彼女も泉に入って晴秋の背後へまわった。


「それじゃあ、行くよ」


「ああ、すまぬな。よろしく頼む」


 梨乃は嬉しそうに「任せて」と言って瞳を閉じ、幼なじみの背中に両手を当てる。そのまましばらく自然の音だけが竹林を支配し、二人は無言を貫いた。

 


 妖討師として体内に妖力を宿す晴秋だが、昔から時おり身体に不調をきたすことがある。専門の医師に調べてもらうも原因はつかめず、苦悩の多い幼少期を過ごしてきたが、なぜか梨乃にはそれを改善する力があった。


 彼女の感覚では、体内に妖力の流れが乱れる場所があり、身体に触れることでその乱れを落ち着けるような感じだが、妖力に精通した専門医でも同じことはできない。


 梨乃に関しては、昔あまりにも苦しむ晴秋を見て思わず彼に手を触れたとき、偶然できたことだった。それ以来晴秋は、不調の兆しがあるとこうして幼なじみを頼っている。


 五分後、それまで集中し切っていた梨乃がゆっくと目を開け、ふうと息をはき出した。


「――んっ、よし。こんな感じでどうかな?」


「ああ、いつも通り全身の妖力がなぎのように安定していく感覚だ。ありがとうな」


「もう、いつも言ってるけどお礼なんていいよ。どうして私がこんなことできるのか知らないけど、誰かの役に立てるなら嬉しいもの。――それが晴秋なら、なおさらね」


「そうか、お前らしいな」


 彼は苦笑しながら立ちあがり、泉から出ようしたが、ふいに背後が騒がしくなった。


「――わっ、ちょっ、ああ! 晴秋――っ!」


「おい、梨乃どうした! って待て!」


 騒がしい水音の正体を確認しようとして振り返ると、そこには体の均衡を失い、今にも倒れそうな体勢で踏んばっている巫女がいるのだ。


 泉を形成するすり鉢状の岩がもともと滑りやすいことが最大の要因だが、梨乃が昔からそそっかしい一面を持つことも大きい。そのためこの事故は、数か月に一度起きる現象であった。


「おおい梨乃、何やってる! 早く掴まれ」


 どうにかして彼女の姿勢を立て直そうとするが、今回はあまりにも前触れなく起きたため、晴秋も反応が遅れて対応しきれず、ふたりは限界を迎える。


「きゃああ!」「梨乃っ!」


 彼は梨乃と泉の間に身をすべり込ませ、彼女を腕に抱えたが、その代償として仲良く泉に倒れ込み、ばしゃりと水しぶきが跳ねた。


「いたたた……。ああ~ん、昨日洗いたての巫女服があ~」


 と、彼女はびしょ濡れになった巫女服の長い袖を確認して声をもらすが、晴秋はそれどころではない。ただでさえ、近ごろ色気が増している美少女だ。そのうえ巫女服などという格好で濡れてしまい、薄い衣装が少女の白い肌に張りついて言葉にならない艶めかしさが出ていた。


 膝の上にぺたんと座る彼女のぬくもりが、冷泉の冷たさに影響されてよりはっきりと感じられる。


「ふええ、ちべたい……」


 梨乃が頭を左右に振ると、少し濡れた彼女の黒髪が左右になびき、果物のような甘い香りが少年の周囲に弾けた。


 さすがの晴秋であっても、これには心臓の鼓動の高鳴りを無視できない。


「――梨乃! いいから早く上がれ!」


「ううう……。ご、ごめんね? 晴秋」


 なんとも言えぬ恥じらいと申し訳なさの混じり合った表情に、またも心臓が跳ね上がるのを感じた少年だが、それを懸命に隠して自らの衣装をまとめる。


「ま、まあいい。とにかく戻って早く着替えるぞ。こんな理由で風邪を引くなど、『妖討師』としてあってたまるか」


「はっくちゅん! ……うう、そうね。寒いから私湯浴みする」


「……ああ、そのほうがいい」


 ふたりはさっさと荷物をまとめ、身を震わせながら急ぎあしで山を降りていった。


「それじゃあ、またいつでも来てね」


「ああ、済まぬな」


 晴秋は部屋を借りて正装の狩衣を着なおし、梨乃と別れて帰路についた。


 少々急いで帰らなければ、夕刻から屋敷で定例会議がある。出発前に父の配下から聞いた話では、近ごろ動きが活発化している妖しについてだという。


「はあ、どうして人と『妖し』は争うのだ。我らと彼らは、種族こそ違えど同じ地に暮らす命ではないか……。両者の架け橋となりたいところだが、今の俺には果たすべき使命がある」


 彼は誰に聞かせるでもなく、己に誓いを再認識させるようにつぶやいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る