第4話 火と風の邂逅
――晴秋、お願い。父上を継いで当主になったら、人と『妖し』を繋ぎ、ともに平和を目指すその懸け橋になって――
帰路を歩くなか、ふと脳裏に思い出される愛しい母の声。だが、今となってはそれを聞くことは叶わぬ。
晴秋の母は彼がまだ幼きころ、屋敷を急襲した妖しどもに攫われて以降その行方は知れず、梨乃をのぞいた多くの者は、彼女はすでに殺されたとの見解を曲げようとしない。
「……母上。俺はまだ、貴方が死んだとは思わない。必ず見つけ出してお救いします。そしてともに、平和の道を……」
晴秋はそこで口を閉ざした。まもなく竹林を抜ける分岐、そのそばにある立派な桜の大木の影に、何者かの気配がある。
彼は戦いに身を置く者として反射的に構えるが、そこに潜む者の正体はおおよその見当がついた。
「……またおぬしか。こそこそせずに出てこい」
「…………よく気づいたな、
晴秋が声をかけて
左目を隠す明るい色の髪と、突き刺さるような光を放つ鋭い眼。彼は長身であり、晴秋と比べ頭ひとつ分の差があった。
妖討師の一族に連なる者たちは、その身を包む狩衣の色によってどの一族の者か判別でき、その色はそれぞれが司る能力にちなんでいる。
火を操る『
その狩衣を軽く整え、彼はため息交じりに相対する少年に目を向ける。
「
「黙れ。俺があえてそう呼称するのは、ここで貴様を討ち果たしてしまえば、ひとつの一族が滅ぶも同然ゆえだ。それは我が父の悲願成就に一歩近づくことになる」
彼が豪語すると同時、その身の内側から緑色の炎のようなものが激しく燃え上がった。これが妖術の源である『妖力』であり、その色も一族によって異なる。
木と風の力を使役する『
「待て、道風。これも会うたびに言っておるが、俺たちに戦う理由などないはずだ。他の一族は互いに滅ぼしあおうと暗躍するが、それになんの意味がある? 父上も特に『金』『水』『土』の一族は愚かであると、常にそう申されている。妖討師同士で争うものではないだろうに」
「抜かせ! では貴様や貴様の父は、あの百鬼夜行の日より我らは敵対しているにもかかわらず、戦うべきではないと申すか?」
「そうだ。三十年まえの百鬼夜行でなにが起きたのかは知らぬ。
だがそれも済んだ話であろう? 分裂こそしているが、無駄な血を流すべきではない。我らは同じ妖討師ではないか!」
真剣に紡がれるその言葉を受け、芦屋一族の少年、道風はふっと冷笑した。晴秋に対する殺意や敵意はないように思えるが、同時に好意的な視線でもない。
言えば、甘ったるいその考えを愚かしいと侮蔑するような類の笑み。
「ふん、確かに妖討師同士の争いは醜い。なぜならそこには、明確な我欲の塊があるからだ。そのくだらぬ闘争に何人が巻き込まれ死のうが、一切関知しない」
口調を強めてそう言った少年は、そこで口調を転じた。落ち着き、冷徹さすらある。
「……そうだ、妖討師の醜き争いを終わらせる。それが父と俺の悲願。
貴様ら
愚者たる今の妖討師たちは、我らが名のもとで新たに生まれ変わるのだ」
表面上だけ聞けば、袂を分かった妖討師一族を統一し、五つの一族がひとつであった本来の姿に戻そうという聞こえの良い文句だが、結局のところ、実際のやり方は過激な一族と何も変わらない。
彼らにとって愚かな一族や、妖討師の権威を私欲のために使おうという
出会った他の一族を、その場で粛清しようとしない所が過激派と比べてましなだけで、結局、相容れぬ一族を滅ぼして取り込もうという根幹は、彼らと同じである。
そう抗議したい晴秋だが、ふと彼は今後の予定を思い出した。
「とにかく、今日は夕刻より重要な会合がある。道をあけてくれ」
「否! 貴様はいつもそうだ、そうやって戦いを避ける愚か者め」
長身の少年はそれ以上言葉でのやり取りを望まず、袖口から特殊な文字が刻まれたお札を取り出した。
それに自らの妖力を込め、側に落ちていた手ごろな小枝にお札を結びつけて放り投げる。
「『
彼が両手で印を結ぶと、お札が緑の輝きを放って五芒星が浮き上がり、周囲に激しい風が吹き荒れた。その風が止んだとき、ふたりの妖討師の間に天狗の式神が顕現する。
「風乱天狗、やれ」
道風が厳かに命じると、無言ながらわずかにうなずいた赤顔白髪のまさに天狗というに相応しい式神が、晴秋に襲いかかった。
「くっ、どうしても戦えというのか! ぬぐう――っ!」
晴秋がやむを得ず応戦するべく式神を出そうとしたが、それよりわずかに早く天狗が八手の
晴秋は辛うじて空中で体勢を整えるが、彼を舞い上げた風は突如として地に向かって下降する気流へと変化し、晴秋の体勢が再び崩された。
「まずい、このままでは――っ!」
受け身も取れぬ状態で大地に叩きつけられるだろう。
――が、実際に己を待ち受けるものは地ではなく、そこに叩きつけられることすら幸いに思えた。
落下地点と思われる場所にあらかじめ狙いを付け、天狗の式神が刀の柄に手をそえ、居合いの構えを取っている。
「チッ、一切の容赦なしか!」
晴秋は大地に到達するまでという刹那のうちに、忙しく思考を巡らせた。道風は自分をこの場で『討ち果たす』と口にしたが、それを言葉どおりにとらえる必要はない。
彼とも、ある意味で幼なじみと言えるほどの長い付き合いがあり、『お前を討ち果たす』というのは、道風の幼少期からの口ぐせのようなもの。すなわち本気で殺されることなど無い。
――だが、あわよくば自分を妖討師として再起不能にし、父の悲願を叶える一助になればよい。と企んでいる可能性はあった。
どうあれ、ここで式神の『居合抜刀術』を喰らうことは避けた方がよい。妖力で身を守ったとしても、最悪の場合四肢のうちいずれか、あるいは数本を斬り落とされることすらもある。
「…………っ!『
晴秋は天狗にぎりぎりまで近づいたとき、風の奔流のなかで術式を発動させる。両手に金と赤銅色の異なる炎の塊を生み出し、それらを融合させて地に向けて打ち放った。
「――む!」
自身とその式神の勝利を確信していた道風は、相手をのみ込む風のなかに、ボッと輝く二種の光を目の当たりにし、直後、その明るさが数倍になる光景を見る。そのとき、彼の思考が一瞬止まりかけた。
眼前で突風に呑まれた安火倍一族の少年は、ここ十年近く、どこで会おうとも勝負を仕掛けてきた相手であり、視えた光の正体が火の妖術、『業火爆裂』だと理解するのは
だがまさか、それをこのような状況で使ってくるという予想は、頭の片すみにすらあり得なかった。吹き荒れる気流のなか、恐ろしい威力の爆ぜる炎を使う。それは自殺行為に他ならないからだ。
「あやつ、多少の自己犠牲をもってして窮地を脱するつもりか!」
好敵手の少年にわずかな恐ろしさを感じつつ、長身の少年は自らの式神に向かって怒鳴る。
「風乱天狗、一度退け!」
が、その声と同時に晴秋が放つ炎の塊が爆ぜ、業火は風によってその威力と爆破範囲を恐ろしく拡張。気流もろとも大爆発を起こした。
「ぐわあああッ!」
「な、なにい――っ! おわあああ!」
二人ぶんの絶叫が爆発音とともに竹林を駆け抜け、周囲に黒煙が立ち込める。晴秋は爆風により吹き飛ばされたが、辛うじてその場に踏みとどまった。
だが、渾身の妖力で身を守ったとはいえ、周囲の竹が数本へし折れるほどの爆発。無傷というわけにはいかない。
「ぐっ! やはりこうなるか」
黒煙が風に流れて消えると、長身の少年もまた地に伏し、彼の式神は木片と化していた。決して軽くない代償はあったものの、これは致し方ない。
「き、貴様、よくも――ッ!」
よろよろと起き上がった道風が、苦痛の表情を浮かべて対峙する少年をにらみつける。
「すまぬが、ここでやられるわけにはいかない。おぬし、俺を本気で殺すまではせずとも、手足を斬るぐらい考えていたであろう?」
「――ふんっ! だがいったい何なのだ貴様は! 争いを望まず、無害とあれば妖しですら助け、あまつさえ
……いや、違うか。だからこそ、と言うわけか」
そこで道風は疲れたように言葉を切り、ふらふらときびすを返した。
「おい、道風――」
思わず呼び止めようとする晴秋をわずかに振り返り、長身の少年はふんと鼻で笑う。
「興が削がれたゆえ、今は退いてやる。だが、これだけは忘れるな。貴様は他者を思いやるが、優しさなどという甘さは後悔しか生まぬ! 強大な愚者どもを制するには、奴らに勝るだけの力と非情さが必要だ。
――それがなければ、大切なものをなにも守れない」
彼は吐き捨てるようにそう言うと、身を引きずるようにしてその場を去って行った。
その後ろ姿を見送った晴秋は、ほっとしたのもつかの間、身体に走る激痛を思い出し、そばの石垣に背を預けて座りこむ。
「――っ! やはりいささか無謀がすぎたか……。これでは屋敷まで歩けぬ、仕方ない」
ぼやきつつ、袖口から鳥の文様が刻まれたお札を取り出し、左指に火を灯してお札を燃やす。
「出でよ、『
赤いお札が激しく燃えあがり、それを
金と朱の美しい羽毛からは、煌く火の粉が絶えず舞い散っている。
「朱雀、すまぬが俺を屋敷近くまで運んでくれ。父上は必要以上に術を使うなと仰るが、今回は仕方ない……よな?」
晴秋がそう言って式神に飛び乗ると、朱雀は主人の疑問に答えるようにピイ! とひと声鳴いて空へ舞いあがり、都の方角へと飛び去っていった。
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