第5話 妖討師の屋敷

 京の都は、三十年前の百鬼夜行と、その直後に勃発したという妖討師同士の殺し合いによって一度壊滅した。と語られる。


 なぜ三十年前という、比較的最近の事件が太古の伝説のごとく語られ、その詳細を知る者が限りなく少数であるかと言うと、単にその実体験を記憶する者が極端に少ないためだった。


 晴秋は当時を体験した数少ない者のひとりであり、実父でもある安火倍一族当主よりこう伝え聞く。


 ――あの日の夜、月が中天に昇ってなお都に生き残っていた者は、自分たちを含めても二千五百足らずだった――


 それは、一国の都であるという事実を加味して考えれば、当日の夜がいかに地獄であったかを想像するのは容易い。


 しかし三十年後の現在、京の都は美しく再興され、悲劇の面影はまったくない。その都の近くにある山奥に、妖討師・安火倍一族の屋敷は存在した。


 この山に、一族以外の人間が立ち入ることはない。


 おぞましい呪いがはびこり、入山した者は一週間以内に命を落とすか、山で神隠しに遭うと言われているために。


 もっともそれは虚実であり、その言い伝えの真実は、屋敷を隠すため安火倍一族が広めた方便である……。


「よし、今なら誰も見ていない。ここでいい、降ろせ朱雀」


 晴秋は上空から山の周囲を確認し、通行人や刺客がいないことを認めると、山のふもとに式神を降ろした。


「ありがとう、朱雀。『式神操術・解』」


 術式解除の印を結ぶと、朱雀の式神は炎に包まれてお札に戻り、やがてそのお札は灰となって消えていく。


 完全に朱雀の気配が消えると、晴秋は山頂へ続く朽ち果てた道を歩きはじめた。

 

 十分ほど歩いたところに石段があり、そこを上ると、いまにも崩れそうな鳥居がある。

 その鳥居には不気味な気をはらんだしめ縄が掛けられ、その奥には、数十年放置され、荒廃しきった神社の境内が広がっていた。


 実はこの神社も、一般人や他の妖討師から身を隠すための妖術による幻影である。晴秋は歩調を変えることなく石段を上って境内に入り、奥にある拝殿のまえで足を止めた。


「幻視結界よ。我が意に従い道を開け」


 詠唱して拝殿の扉に手をかざすと、光の五芒星が現れ、朽ち果てた木製の扉が立派な朱色の門へと変化する。


 ここに張られている『幻視結界』は、安火倍一族最強の隠形結界おんぎょうけっかいで、相当腕の立つ結界師でも看破することはほぼ不可能であった。


「結界の門よ、閉まれ」


 晴秋が朱門を抜けて施錠の印を結ぶと、重厚な両開きの扉がひとりでに閉まり、ガコンという音をともなって巨大なかんぬきがかけられる。


 そのようすを結界の外から見ると、突如現れた朱い門が、一瞬のうちにもとの朽ち果てた拝殿に戻ったように見えるわけだ。


 門を抜けた先は一族の敷地内で、整備された参道のような道が奥へ続き、その行きどまりに巨大な屋敷がそびえ建つ。これが彼の実家であり、安火倍一族の宗家であった。

 程なくして晴秋は、屋敷の敷居をまたいだ。


 暗い屋敷内は等間隔に松明や行灯が配置され、まさに天皇や貴族などが住んでいそうな屋敷から明かりを取り除いた感じだが、この雰囲気が妖討師一族の特徴である。


 玄関にあがると、音もなく闇の断片が動き、ひとりの少女が姿を現わした。紅白の着物に身を包み、群青色ぐんじょういろの美しい髪と瞳を持つ彼女がふっと微笑むと、えも言えぬ愛らしさがにじみ出る。


「晴秋さま、お戻りになられましたか。お帰りなさいませ」


「……美久みく、俺は嬉しいが、毎日毎日そう律儀に出迎えてくれなくてもいいんだぞ?」


 丁重に頭を下げる少女を見て、晴秋はそう言いつつ苦笑を浮かべた。彼女は自分にとって専属部下兼世話係という位置づけではあるが、実を言えば、四歳年下の少女に対してをしたくはない。


「……も、申し訳ありません。私のお出迎えはお気に障りましたか?」


 と、心底申し訳なさそうに上目遣いで確認を取る彼女に、晴秋は思わずドキッとしてしまったが、すぐに平静を装って言葉を返す。


「い、いや、そうじゃない。俺はただ、お前にもっと自由に生きてほしいと思ってる。俺に仕えることを望むのだとしても……そう、出迎えに限らず、もう少し俺と対等に近い感じで接してくれてもいいんだが……」


 偽りなき晴秋の本音であったが、それを聞いた少女は驚きをあらわに声を上げる。


「な、なにを仰るのです。私と晴秋さまが対等などありえませぬ。……この身も、この命もすべては貴方のもの。……ご命令とあればすべてを捧げます。私などに気を遣って頂くことはありません」


 そう言われ、晴秋は言葉を詰まらせた。 


 美久は代々安火倍家に仕える特殊な一族の娘で、三歳ごろから様々な武術と、使用人としての教えを叩き込まれている。


 あるじに対する忠誠心は折り紙付きで、たとえ深夜の妖し討伐から帰ったとき、それが丑の刻だろうが寅の刻だろうが、彼女は笑顔で出迎えるのだ。


 それでも時々、必死になって眠気を隠したり、うっかり出そうになったどんな小さなあくびも懸命に抑えたりするところをみると、本当に申し訳ないと思ってしまう。


 晴秋が続いて彼女にかけるべき言葉を迷っていると、屋敷の奥へ続く廊下から別の気配が現れた。


 妖討師の正装に身を包み、長く美しい黒髪を持つ若い男。その瞳には知恵の光が輝いている。


 彼、八条はちじょう 久遠くおんは父直属の妖討師で、一族に仕える妖討師すべての上に立つ存在。その名も『天尊師てんぞんし』という肩書を持っていた。

 晴秋個人の縁としては、妖術について指南を受けた師匠である。


 天尊師は当主に次ぐ妖術の使い手であり、一族の妖討師を統括する最強の術師だ。


「晴秋さま、お帰りでしたか。広間にてお父君がお待ちです、どうぞお出ましを」


「そ、そうだ会議! もう時間がないだろう? 助かったよ久遠」


「もったいなきお言葉、おそれいりまする」


 慌てた少年が、優秀な父の部下に礼を述べて暗い廊下へと駆け出すと、残る二名もそれに倣った。


「私もお供いたします」「では、わたくしも僭越ながら」


 晴秋は美久と久遠を引き連れて屋敷の広間を目指した。大宴会や大規模な作戦会議など多目的で使用され、今回のように定例会議も行われる場所である。


 この定例会議はひと月、もしくはふた月にいちど一族の本拠地であるこの屋敷で行われ、近況報告と当面の行動について決定がなされる場。


 当主とその息子である晴秋は言うまでもなく、天尊師の久遠と、彼の下に付く『四尊大師しそんだいし』。そして、それなりに実力のある十人ほどの妖討師たちが固定の参加者となる。


 広い廊下を進み、三度にわたって角を曲がったところで目指す部屋が見えてきたが、すでに何かを話すような声が聞こえてきた。


「久遠、会議って何時からだっけ?」


「はい、もう間もなくです。お急ぎください」


「まじか!」


 久遠の言葉を聞き、晴秋は焦った。他の面子は多少の遅刻を許容してくれるが、誠実さに厳しい父だけはそういうわけにはいかない。


 五分も遅れようものなら、以前三日ほど謹慎を喰らったことがある。晴秋がふすまを開けて広間にかけ込み、続く二人は静かに入室した。


保成やすなりさま、お待たせしました」


「父上、お待たせして申し訳ありませぬ」


 部屋に入った晴秋は、久遠に続いてまず謝罪の言葉を並べた。時刻には間に合ったが到着はギリギリだったので、父の機嫌しだいではどう転ぶかわからない。


 だが十人ほどの部下と向き合う形で部屋の最奥部に座る父は、今回息子をとがめる気はないようだった。


「うむ、丁度定刻だ。早く座れ、晴秋。……では皆のもの、月の定例会議を始める」


「「「はっ!」」」


 父の言葉にうなずき、晴秋は妖討師たちの列に混ざった。半歩後ろに美久が座り、久遠は当主に一礼してその右横に同じ向きで控える。

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