第6話 静かなる兆し
会議が始まっておよそ二刻は諸々の近況報告がなされ、それが一度落ち着いたところで、当主は進行役の男に視線を向けた。
「………では次。久遠、近日の『妖し』たちの行動詳細を」
彼がそう促すと、長髪の男は丁重にうなずいて巻き物を開いた。それは京の都を詳細に描いた地図であり、周辺の森にところどころ丸印が付けられている。
印が付けられた地点は、ここ直近ひと月の間で妖しの活動が活発化し、人的被害が及んだ場所。
それを見て晴秋や当主、また他の者も顔をしかめ、当主がその理由について口にした。
「久遠、やはりここ最近、妖したちの動きが活発になり始めておるな」
「はい、保成さま。これは何かの兆しであると考えて良いでしょう。ですが、それ以上に警戒すべきことがあります」
天尊師の言葉を受け、当主はさらに顔をしかめる。
「……警戒すべきこと。他の一族の動きか……」
「おっしゃる通り。ここ数十年、やはり一族同士の小競り合いはありましたが、ついに我が一族より犠牲者が出ております。
この半年で、『金』、『土』、『水』の一族は特に過激さを増しておりますゆえ、我らも油断はなりませぬ」
「なんと、うちの中から他の一族のために犠牲者が⁉」「奴らついに血迷うたのか!」「当主さま、このままでいずれ、三十年前のような惨劇が――」
天尊師の報告でざわつく妖討師たちだが、次の瞬間、すべての人声を制して広間を貫いた撃砕音により、一瞬で静寂が戻る。
場のざわめきを制したのは、久遠とともに当主・保成の横に控える四人のうちのひとりだった。
その人物は、手にした銀色の
「き、
術師たちが身をすくめて視線を向けると、桐生と呼ばれた長身の男が立ちあがり、冷厳な眼光を宿し、右手を開く。
その瞬間、遠くの壁に突き刺さったままの錫杖が浮き上がり、開かれた彼の手に舞い戻った。
「……貴様ら、話しあいの場において秩序を乱すな。誰も好き勝手に口を開けとは言っておらぬ」
「ははっ!」「も、申し訳ございませぬ」
恐ろしく
場が落ち着くと、久遠が何事もなかったかのように会議を進行する。
「……妖しと他の一族。いずれにせよ、ここ十年あまり続いた平穏に変化の兆しがあることに相違ない。そこでまず、他の一族の調査については
男の視線が、桐生の横に控える女性に向けられた。
「ええ、そのような大役を仰せつかり光栄ですわ。この
久遠に命を受けた女性は、甘く色気のあるような口調でそれを快諾した。女性用に仕立てられた狩衣に身を包み、艶やかな桃色の長い髪を三つ編みで束ねている。
彼女が静かに座りなおすと、進行役の男は視線をそのふたつ隣へ移した。
「では最後に……。
天尊師がそう命じると、服装は他の術師と同じだが、目深に白い布をかぶっているため顔が分からぬ女性が静かにうなずいた。
「…………は、はい……天尊師さま。か、必ず……この身に変えても……」
ぼそぼそと、かぼそく……何かに怯えるような響きさえ感じられるような声。だが誰もそれに言及することなく、彼女の返答をもって二刻半続いた定例会議は終わりを告げた。
「では今宵はこれまで。重ねての忠告となるが、今は妖しよりも他の一族……特に金剛一族には細心の注意を払え。過激なばかりか、裏で何やら目論んでおるという噂も聞くゆえな」
「「「はっ!」」」
術師たちが姿勢を正して応じると、久遠に代わって当主である保成が場を締める。
「……では、次の定例会はひと月後とする。解散」
彼が天尊師である久遠を伴って退室すると、ほかの面々も晴秋に挨拶を残して少しずつ去って行く。
そのなかでようやく息をつき、晴秋は今も動かず自分の後ろに控える少女に向きなおった。
「ふう、やっと終わったな。お疲れ、美久」
「は、はいっ、晴秋さまもお疲れさまでしゅ――っ⁉ お、お疲れさま……です!」
わずかに顔を紅潮させる美久。何やら違和感を感じられる彼女の振る舞いに、晴秋は疑問を抱いた。馬鹿が付くほど真面目な彼女が、そんな可愛らしく言葉を嚙むだろうか。
だが少年はその疑問を一度忘れ、別のことを少女に問う。
「そうだ美久、
その質問には特に深い意味などなく、ただ個人的な興味だった。
天尊師である久遠直属の部下であり、一族でも屈指の実力を持つ四人の妖討師たちを『
彼女の名は
晴秋は久しくその姿を見て、長年の謎がふと脳裏に蘇ったのである。それが彼女の素顔であった。
晴秋の立場的には彼女も部下という関係だが、常に目深に被っているかぶり布を取った麗乱を見たことがない。
「は、はいいっ、も、申し訳ありません、私も出雲さまの御顔は拝見したことが……きゃうう」
「み、美久⁉ やっぱり会議が終わってから変だぞ、どうしたんだ!」
晴秋は、急にポテッと横になり、体を……特に左足をひくつかせている少女に慌てて声をかけた。
「あひぃん! ……も、申し訳ありません、晴秋さま。その、いつもは片膝をついてお傍にお控えするのですが……今日に限って正座してしまい、あ、足があ――っ! うう」
それで彼女の状態を理解した晴秋は、思わず苦笑を浮かべる。
「……美久、要するに足が痺れたんだな。それならそうと言ってくれればいいものを」
「ひぐっ……で、ですが、仮にも私は晴秋さまにお仕えする身。その私が任務中にあ、あ、足が痺れて動けぬなど決してあってはならないことで――ぅぅっ⁉」
その後も必死に痺れと格闘する彼女を見て、晴秋は少し安心した。
以前どこかで、異国の地では幼き日より主に仕える捨て石としてのみ教育され、感情を持たぬ子どもがいると聞いたことがある。
程度は違えど、美久も彼らと同じようなところが少しはあると思っていた。実際自分のために命は惜しくないと言うし、彼女が進んで盾となり、刺客から逃れられたこともある。
だが今の梨乃を見て、少年は思い直したのだ。目の前で涙目になっている少女は、喜怒哀楽も表現できるし、確固たる人の心も持っている。
そうなっているのは、父のやり方があればこそだろうと。
――美久はお前の専属部下であって、
彼女を息子の部下としたとき、保成は彼にそう言って聞かせ、それを受けた晴秋も当然のことだと納得のうえ、美久を大切に扱ってきた。
その一方で、他の一族にしてみれば、そのような関係性は珍妙なことだという話を道風から聞き及んだことがある。
従者は
「……それをよしとしない父のおかげで、俺はいつも笑顔のお前に出迎えてもらえるのかもな、美久」
晴秋は知らぬうちに笑みを浮かべ、目の前でピタリと動きをとめた少女の肩に優しく手を置く……。
「ぴゃああ⁉ ――っ! しゅ、しゅみましぇん、は、はしたない声を――っ! うううう」
「あっ! す、すまぬ、俺が悪かった。まだ治ってなかったのだな⁉ ほら大丈夫か……」
「ひああっ⁉ は、晴秋さま、ど、どうか今だけはご勘弁をぉ!」
慌てて少女を支え起こすも、それによりまた悶絶し、赤い顔で命ごいするように目をうるませる美久。
「わ、悪い! そっとしておくのが一番だな。もう触らん、だからそんな顔しないでくれえ」
晴秋の声は人がまばらになった広間に響きわたり、ふたりのやり取りを見守る数人の術師たちは、静かに……そして微笑ましくそのやりとりを見ていた。
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