第25話 これが、真に初めての……

 その言葉を受け、少女の顔が月光のもとで愛らしい薄紅色に染まっていく。


「――ッ! 晴秋………………。わ、私も――! って、ど、どうしたの?」


 梨乃がなにか大切なことを言いかけて、それを中断したのも仕方ない。


 晴秋は『梨乃大切宣言』を告げた直後、真っ赤に染まった顔をおおい、しゃがみこんだのである。


「――ッ! お、俺、今までいったいなにしてたんだ⁉ ……いやそれより、梨乃にこっそり贈り物したり、柄でもないこと口走ったり、果ては混浴のすえ恐ろしい台詞吐いたよな……。ぬわあああ~っ!」


 今までどこに身を潜めていたのか、今日一日心の中から消えていた恐ろしいほどの恥ずかしさが一斉に舞いもどって来たのだ。


 彼を見て一瞬きょとんしていた黒髪の少女は、神社で普段見せる柔らかい笑みを浮かべる。


「あ~、晴秋がいつもの晴秋に戻ったあ」


「な、なな、なんだよ、いつもの俺って!」


 少年がいつも慌てたときに出る口調で声を荒げると、梨乃はくすりと笑ってみせた。


「う~ん、そうねえ……。私、着物屋さんぐらいから今日ずっと思ってたのよ、晴秋が別人になったみたいだ……って」


「――――ッ!」


 他人に改めて指摘され、ぐっと言葉を詰まらせる晴秋。


 だが彼は、自分でも薄々気付いていた。久々に梨乃と遊んだからなのか、それとも心の成長の一環なのか分からないが、着物屋あたりから確かにどうもおかしかった。


 少年がなおも頭を抱えていると、すっかり調子を取り戻した梨乃がここぞとばかりに舌を回転させる。


「そりゃあね、所々にいつもの晴秋っぽい一面もあったと思うわ。でも、特にさっきはヤバかったもん」


「――分かっている。もう自分でも分かってるんだ。だから言うんじゃない」


 が、晴秋の願いが聞き入れられることはなく……。


「だって……泣いてる私の顔を持っていきなり振り向かせたり……」


「――ぐはっ!」


「涙を優しく拭き取ってくれちゃったり……」


「やめろ、思い出しただけで気が狂いそうだ!」


「その時に晴秋なんて言ったか、憶えてるわよね?」


「――――だめだぞ?……」


 その先は何があっても口に出すなと顔中で懇願する少年と、心底楽しそうな少女。


 そして――。


「こう、ちょっとかっこいいため息があったわよね。


 ……んん、こほん――『ほら見ろ、こんなに涙流して。大丈夫なわけないだろ』

 あと、それから……『お前が何者であろうと、俺にとって大切な存在だぁ!』

 はわぁぁ……。ねえ、もっかい言ってよ」


 ――と、わざわざ声と顔を真似たうえでの熱演をひろうする少女。


「わああああ、やめろおおお! もう二度と言わねえええ!」


 晴秋は頭をかかえ、地にうずくまった。その恐ろしい言葉の数々が、まさか自分の口から出たとは未だに信じがたい。


 しかし、幼馴染をひとしきりからかった後、梨乃はふっとうれし泣きにも近い表情を浮かべた。


「――でも、本当に嬉しかったんだよ。……もう、これじゃあ勝手に焦ってた私がバカみたいじゃん」


「勝手に焦ってた? なにをだ?」


 晴秋がようやく立ち直って尋ねると、黒髪の少女はふうとため息をもらし、観念したように口を開く。


「……今日いきなり晴秋を都に誘ったのはね、このまえ晴秋と美久ちゃんがすごくお互いを信頼して戦ってるの見て、その……ちょっと置いて行かれてるって思ったから……その……」


 彼女はそれ以上続けるべき言葉を失い、もじもじと身をよじった。それを見た晴秋は、推測ながらに結論を代弁してやる。


「え……えっと、つまり端的に言うと……一種のやきもち……」


 その言葉が少女のなかで広がり、焦る気持ちが全身と口調に現れる。


「――ッ、ち、ちがっ……ぁう……いや、その……。で、でも、でもっ――!」


 両手足を大きく動かしてジタバタする梨乃だが、やがて落ち着くところを見つけたようだ。


「――そ、そう! だってずっと昔から親しい幼馴染と、自分にとって初対面の人がすっごく仲良かったら、ちょっと心穏やかじゃないでしょ。うんうん、そういうことよ!」


「………………ふうん、そうか」


 晴秋は本当にそれだけか、と視線で問いつめてみたが、少女は以後、この話題について頑なに口を開かなかった。


 その後ふたりはしばらく無言で夜道を歩き、竹林の入り口……帰路の分かれ道に着いた。


「晴秋……今日はありがとう。このりぼん、ほんとに……すっごく嬉しかったんだから」


「それは良かったよ……。が、それを一日中言われ続けるのも嬉しくもあり恥ずかしさもあるな……。というかもう遅い、神社まで送ってやるよ」


 梨乃は一瞬嬉しそうに目を輝かせたが、それはすぐに優しげな微笑みに変わる。


「大丈夫、ここでいいよ。今日はたくさん付き合ってもらったし、晴秋あしたは仕事でしょ? 早く帰って休んで」


「そ、そうか……? で、でも……」


 と、少年がわずかに口ごもると、桃色の着物を身にまとう少女は、笑顔でその先の言葉を制した。


「それじゃあ……またね、晴秋!」


「あ、ああ。……でも、気をつけて帰れよ」


 晴秋の言葉に手を振って返し、一度は小道を走りだした梨乃。――が、少女は弧を描くように駆けもどって来る。


「――――ッ! お、おい……梨乃……?」


 急旋回してきた彼女に真っ向から飛びつかれ、さすがに平常心を失う少年。彼に構うことなく、梨乃は五つ数える間ぎゅっと抱きつき、互いの吐息を感じられる距離でふっと微笑む――。


「……晴秋。私ね、昔から貴方のこと……ずっと大好きなんだよ」


「――――――ッッ⁉」


 少女の腕から解放された晴秋は、一切の言葉を失って立ち尽くした。その隙をついて、薄桃色の柔らかい唇が少年の左頬に重ねられる。


 梨乃はあたふたする幼馴染からそっと離れて愛らしい笑みを残すと、今度こそ竹林の小道を闇の中へ走り去っていった。

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