第26話 月夜の急展開
「――――なっ――えっ、うそ……だろ――」
「――そうか。俺の片思い……ではなかったのか……。
梨乃、俺も……――⁉」
彼が言葉を失い、はっとして梨乃が駆けていった闇をふり返った理由。それに具体性のある説明を求められても晴秋は返答に難い。
「…………梨乃!」
が、少年の胸に突如湧きあがった底知れぬ嫌な予感。それは、他の全てを放棄して少女のあとを追う理由に充分すぎる。
「――梨乃っ、おおい梨乃! 聞こえたら返事しろ――っ!」
晴秋は、微弱な『妖炎術』を手に宿し、赤銅の炎で暗黒を照らして走りながら声をはりあげた。しかし、見慣れた少女の姿を一向に発見できない。
最後に彼女を見てよりまだわずか。
明かりのひとつ持たぬ梨乃は、この闇を走らぬであろう。仮に走ったとしても、未だ追いつかぬのは明らかにおかしいことだ。
少年のなかで、どす黒い闇のような焦燥が恐ろしく膨張していた。
「梨乃――――っ! どこだ――っ!」
竹林の空気を激しく揺さぶる声だが、それに応じる者はいない。だがその直後、晴秋は小道のすぐわきに視線を向け、愕然としてしゃがみこむ。
「……………うそだ……」
明り取りの妖炎をわずかに強め、震える手でそれを拾った。自分が買ったものだから、見間違いはあり得ない。
それは本来、彼にとって大切な少女の髪を美しく飾っているはずの赤いりぼんだった。そこに残された恐ろしい力で握られたようなしわと、何かで裂いたような跡。さらにその近くで、晴秋はついに嫌なものを見つけてしまう。
……それは、無惨に砕け散った桜柄の梨乃の帯どめと、数本の長い髪の毛。少年の脳裏に、想像など断じてしたくない光景がいくつも浮かび上がる。
「――――クッソ‼ 梨乃っ!」
晴秋は嫌な想像をかき消すように頭を激しく振り、そのまま走って妖炎神社に駆け込んだ。
「じいさん、じいさんっ! 開けてくれ!」
慌ただしく住居の戸を叩くと、彼もよく知る老人が驚きの表情で玄関を開ける。
「……なんじゃ晴秋か! ――梨乃も一緒かと思ったが、お前さんのその様子。あの子と無関係じゃなさそうじゃな」
「あ、ああ。その様子じゃあやはり戻ってないよな。……これを……見てくれ」
晴秋が小道で拾ってきた梨乃の持ち物を見せると、翁の顔がわずかに険しさを増す。
「……そうだ。りぼんは今日俺が買ってやったやつだが、この帯どめはじいさんもよく知ってるだろ」
「……ああ、わしが買うてやったものじゃからの。……この砕け方、爪あと。梨乃を襲ったのは妖しじゃな。恐らくじゃが、それも鬼の
さすが理解が早い、と少年は頼もしさを覚えながら、これまでの経緯を老人に話した。もちろん、口づけだの混浴だのはすべて関知せずに……。
「だいたいの事情はわかった。わしも梨乃捜索を知人に依頼するが、晴秋、お前さんもどうかあの子を助けてやってくれ」
「ああ、言われるまでもない。妖しが人をその場で喰らわずに攫う理由。痛めつけるためか、凌辱か、あるいは長への生贄か……。
いずれにせよ、早期発見・早期救出に限るんだ。父上に協力を仰ぎ、俺は今夜にも捜索を開始する」
その宣言とともに、晴秋は神社を飛びだした。石段を駆け下りながら式神・朱雀を召喚し、夜空に舞いあがる。
「――くっ! あのとき、無理にでも神社まで送ってやるべきだった。くそっ!」
少年は振りほどけぬ後悔の念に声をあげ、朱雀を最速で飛行させた。
屋敷に着くと、出迎えの久遠に事情を説明し、その半刻後には緊急会合が開かれる。
安火倍一族当主・保成の命により、天尊師をはじめ然るべき者たちが集結したとき、晴秋は父に詫びた。
「……父上、このような遅くに申し訳ありません」
「いや、よい。気にするな、晴秋。――それに、これは必然やもしれぬ」
「……父上……?」
明らかに、なにか含みのある言い方だった。少年は思わず父の顔を見やり、当主は静かに語りはじめる。
「晴秋。この緊急会合は、お前が知人の件で助力を求めずとも、お前が戻ったとき開こうと考えていた」
そこで言葉を切り、彼は息子だけでなく集結した部下たちに視線を巡らせる。
天尊師の久遠と、四尊大師の
「本日の夕刻、我が直属の隠形から複数の伝令があった。急ぎの件が多数ゆえ、この場で伝える」
彼の言葉に、これまで無言を貫いていた天尊師の男が納得したように口をはさんだ。
「……もしやその急を要するというご報告。この場に四尊大師が二名しかおらぬことと関係がおありで?」
「うむ……それもひとつではある。ではまず、四尊大師の件を話そう。
過ぎし日の会合にて、『摩耶の山』へ調査に向かわせた出雲より、妖しどもに大きな動きがあったとの報告だ。
出雲はそのまま現地に残り、調査を続行中。それに関連付けてのことだが、ここ一週間で奴らによる人
当主はそこでひと呼吸を置き、改めて言葉を続ける。
「……そしてもう一人の四尊大師、香月についてだ。ここ数日連絡が途絶えていたが、芦屋一族からこう伝えられた。『四尊大師・
――報告は以上だ」
当主がそう締めると、晴秋を含め集まった者たちはどよめいた。それが落ち着いたところで、久遠が主に視線を送る。
「……して、保成さま。それぞれへの対処はいかに?」
「芦屋一族のもとへは要求どおり私も行く。論ずるまでもないが、命ごいなどするためではなく、仲間を救うためにだ。桐生、そなたの従える部下を伴い、ついてまいれ」
「……御意。――ですが保成さま、御身を誘い出す罠であることは漆黒の闇に火を見るより明白ですぞ」
桐生と呼ばれた銀髪の四尊大師は、落ち着きと知者の眼光を宿す碧い右目で当主を見返し、言葉を返す。その左目は、彼の顔の半面を覆い隠す前髪によって封じられていた。
「うむ、罠であるなど百も承知。だからこそ私が当主として赴き、あやつを……
と、保成は重い声で過去を振り返るように言った。
彼と芦屋一族当主・
……そして三十年前。ふたりは『彼女たち』を巡って争い、それはやがて妖討師たちを五分し、一夜にして都を壊滅せしめる惨劇となったのだ。
――が、今になって後悔しても過去は変わらぬ……いや、後悔はない。あの夜、身を挺して逃がした少女たち。彼女らが今もどこかで幸せに生きていてくれてさえいれば……。
保成の意識はそこで現代へと舞いもどった。そうだ、他でもない自分がしっかりせねばならぬ。
彼の眼前には今、信頼をよせ共に戦ってくれる部下がいるのだから。
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