第15話 梨乃と美久の出会い
ほどなくして、ふたりは妖炎神社の真下に到着した。周囲を探り、刹那やほかの追手がいないことを確認すると、晴秋はよろよろと幻馬から降りる。
「……ふう、やはり少々無理してしまったな。から元気でごまかすのもそろそろ限界だ」
「だ、大丈夫ですか、晴秋さま」
心配そうに美久も馬から降りると、彼女の姿と式神がふっと現れた。
「お疲れさま、『式神・解』!」
少女は式神解除の印を結んで幻馬を消す。それが済んだことを確認すると、晴秋は彼女の肩を借りて神社への石段を上がっていった。
二人が境内に着いたとき、妖炎神社の巫女はちょうど鳥居のすぐ近くにいた。ふらふらと目の前に現れた幼馴染の少年を見ると、梨乃は愛用の竹ぼうきを放り出し、晴秋にかけよる。
「ちょ、ちょっと晴秋⁉ ど、どうしたのよ!」
「……あ、ああ梨乃か。すまぬ、やむを得ぬ状況に見舞われ、妖力が乱れた状態で少し術を使ってしまってな」
「――っ! もう、何やってるのよ。わかったわ、すぐに鎮静化してあげるから、ほら行くよ」
彼女は驚愕の表情で半ばあきれ、それでも彼が緊急事態からどうにか脱してきたことを察する。
そうして晴秋の手を引こうとしたところで、少年の
「あっ、どうもこんにちは。え……っと、晴秋のお付きのひと……でいいのかしら? 私は梨乃。ここの神社で巫女やってます」
「……は、はい、どうも初めまして。私は晴秋さまにお仕えする者で、名を
と、まだ幼い少女は少し緊張ぎみに自己紹介を返す。梨乃はその場でもう少し美久と交流したかったようだが、晴秋のことを思い出して彼を支えた。
「えっと……美久ちゃん、とりあえずあそこの建物で待ってて。いまおじいちゃんいるから、事情を説明したらきっとお茶ぐらい出してくれると思うわ」
「あ、あの、梨乃さまは?」
「ええ、きっと晴秋から聞いてると思うけど、なぜか私、晴秋の妖力の乱れを落ち着けられるの。……今回なんか無茶したみたいだから少し時間かかるかもだけど、たぶん大丈夫だから」
梨乃の言葉と温かな笑みで、美久の表情にわずかな安堵の色が映る。
「わ、わかりました。それじゃあ、その……。晴秋さまをよろしくお願いします」
「ええ、任せて! ……行くよ晴秋、泉まで歩ける?」
「ああ、すまぬな梨乃」
晴秋は、幼馴染の巫女に支えられながら神社の裏山にある泉を目指した。
歩きながら思い返してみれば、昔から三日……最低でも五日に一度は梨乃のもとへ通っていたが、ここ最近仕事が忙しくて妖力を酷使したうえ、神社に通う習慣がおろそかになっていた。
「……はっ。まさか、こんな最悪の日にそのツケが回ってくるとは。しかし情けねえな」
晴秋がそんなことをぼやいているうちに、気付けば泉に着いていた。ふたりはさっさと水に入る下準備をし、晴秋は倒れるように泉のなかへ座りこむ。
が、勢いよく座りこんだことによる衝撃は、座ったとき人間の体において、足を除いてもっとも早く着地する部位に集中した。
「――
「もうっ、ちょっと大丈夫? ――って、背中触って分かったけど、すっごい乱れてるわよ!」
やや遅れて泉に入り、いつも通り晴秋の背に手をかざしたとき、梨乃はこれまでにない妖力の乱れを感じて驚きをあらわにする。
「やっぱりか。感覚でわかりやすく言えば、そうだな……。体内でなにか生き物が暴れまわってるような感じだ。……すまぬが梨乃、気持ち悪いから早いとこ手当てを頼む」
「ええ。もしかしたらちょっと衝撃走るかもだけど、そんな死ぬほどじゃないはずだから我慢してね。なるべく優しくするから」
「……わ、わかった――くっ⁉ 衝撃ってこれか? 結構強いんだ――なぁ⁉」
それは、体内にとつぜん高圧電流を流されるような、説明しがたいもので、晴秋は処置が終わるまでの約二十分、前触れもなく訪れるその衝撃に耐え続けた。
いつもより二倍以上も長い時間をかけ、ようやく体内を巡る力の波が落ち着いていく。
晴秋は言うまでもなく、妖力を鎮静化する梨乃もかなり集中するのでふたりはすっかり疲れ切っていた。
「……はあ、はあ……。助かったぞ、梨乃」
「……ま、まったく、最近来ないと思ってたのよ。それでいざ来たかと思えばこのありさま。今回は他の妖討師に襲われて、やむなしってのは分かったけど、これからはちょっとでも変だと思ったら無理しない。――わかった?」
「……ああ、身をもって理解したよ」
晴秋が後頭部をかきながら答えると、梨乃はこくりとうなずき、
「わかればよろしい」
と腕を組んで言うのだった。
そうしてふたりは山を降り、美久が待つ住居に向かう。これは平屋の建物だがけっこう広く、梨乃が『おじいちゃん』と呼ぶ男性と共に住んでいる。
彼は確かにおじいちゃんだが、それは見た目だけの話。体力も精神力も未だ衰えを感じさせず、非常に友好的なご老人で、晴秋とも昔から仲が良い。
少年は、住居の前で自分たちの帰りを待っていたらしい彼の姿を見つけて声をかける。
「――おお、久しぶりだなヤマトのじいさん」
「ああ、最近おまえさんうちに来ておらんかったでのう。それはそうとして、事情は美久ちゃんに聞いたが、まぁた無茶しおってからに。……身体のほうは、もう平気か?」
彼の声色には、少年への心配と安堵がにじみ出していた。
「まあ何とかな。さすがは俺の幼馴染だよ」
「さようか。まあ梨乃は優秀じゃからのう。……だが、無理はいかんな」
そう言って少年を心配する翁は、ゆったりとした着物を身にまとい、一本歯の下駄で難なく直立していた。肌には複雑に刻まれたしわの文様があり、白くなった髪は薄めだが、それを覗けばまこと老人と呼称するに相応しくない。
「おお、そうじゃ晴秋。おまえさんが心配でならん美久ちゃんが中で待っておる。はよう行ってやれ」
「そうよ。彼女、すっごく心配そうな顔してたわよ」
「ああ、そうだな」
ふたりに急かされ、晴秋が幼馴染の少女とともに部屋へ上がると、少し様子がおかしいお付きの少女が駆け寄ってきた。
「晴秋さま、よかったです! ……ところで、あ、あの、ええっと……」
「……み、美久? ど、どうしたんだ? そんな赤い顔でもじもじして」
「――っ」
晴秋はただごとではないと思い、しゃがんで彼女に視線を合わせるが、美久はますます顔を紅潮させて上目遣いに見つめてくる。
少女がなおも沈黙を貫くので、心配になった梨乃が優しく声をかけた。
「美久ちゃんだったよね。どうしたの? ――はッ、まさかおじいちゃん、彼女になにか……」
「おぉい梨乃め! なにを言うておるか、心外な。わしはなぁーにんもしとらんわ」
突然あらぬ嫌疑をかけられそうになったヤマトじいさんは、顔をしかめて無実を主張する。すると、これまで押し黙っていた美久がわずかな躊躇いの後に声をあげた。
「は、晴秋さまッ! あの、ご無礼と承知でお聞きします。お気に障りましたら、私を処罰してください」
「み、美久⁉ いや、処罰って、おまえどうしたんだよ」
晴秋はおどろいて言葉を返した。一体なにがあったというのか。
しかしその疑問に即答できぬ様子の彼女を見て、少年がいま一度なにがあったと尋ねかけたとき。
幼い少女は、ちらっと梨乃に視線を向け、吐き出すように言葉を続けた。
「あ、ああ、あの泉でお二人は、いったい何をなさっていたのですか⁉ ご一緒に泉に入水されていましたが、まさか……」
「へっ?」「え……っと」
晴秋と梨乃は少女が問いたいであろうことをなんとなく理解し、数秒のあいだ沈黙を共有した後に吹き出してしまう。
その様子をみて、さらに困惑の表情を浮かべる美久。
「あ、あの……っ、なにかおかしかったでしょうか。……か、勝手に後をつけて盗み見してしまったことはお詫びいたします。ですがあれは……」
「……くすっ、美久ちゃん落ち着いて。なぁんだそういうことね。よかったわ、一大事じゃなくて」
全てを理解した梨乃にそれとなく視線を向けられ、晴秋は、「やめてくれ」と彼女から視線を逸らす。
「……美久ちゃん、ホントに晴秋のこと好きなのね」
「お、おい、梨乃ぉォォ!」
「――ッ、あ、ああの、すすす、好きだなんてそんな! あっ、も、もちろん、主として晴秋さまを大切には思っていますし、尊敬しています。で、ですが――!」
主と呼ばれる妖討師の少年と、彼に仕える忠実な少女。そのふたりが同時に慌てふためくのを見た梨乃は、ふっと微笑んで彼らを制止する。
「美久ちゃん、安心して。さっきのあれは、晴秋の妖力を鎮静化していただけなの。別にいかがわしいことなんてしてないし、晴秋を独り占めしようなんて思ってないわ」
「……あぅ、え、ええっと、ではあれが晴秋さまのおっしゃる『鎮静化の儀』……なのですか? ――私、そうとも知らずなんて勘違いを……。ううう~っ、恥ずかしいですぅぅ」
そう言って顔を覆い、耳まで真っ赤に染めて座りこむ少女。
彼女がまだ赤い顔をあげたとき、その空間に温かく穏やかな笑いがもれ、晴秋たちはしばし談笑を楽しむのだった。
「……へえ~、それじゃあ美久ちゃんは、五歳になる前ぐらいから晴秋に仕えてるの?」
「はい。晴秋さまは幼き日よりお優しく、私をずっと大切にしてくれているんです!」
少し自慢げに、あるいはそれが自分の誇りであるかのように、美久はそう言って胸を逸らした。それを穏やかな微笑みを浮かべて聞く巫女も、その気持ちはよく分かる。
「そっかあ。でも、ちょっと分かるって言うか、晴秋らしいな。たまにお人好し過ぎるって思うこともあるけど、それが良いところよね」
縁側に座り、茶菓子を食べながら、静かな境内を眺める少女たち。
ふたりは十分ほどまえに打ち解けてからというもの、自分たちの話はもちろん、晴秋の良いところや、恥ずかしい過去を楽しげに紹介し合っているのだ。
彼女たちの会話は、室内で親しい翁と机をかこみ、茶を楽しむ晴秋にもむろん聞こえている。
「……ほっほっほっ。すっかりモテキじゃな、晴秋」
「――っ、じいさん、やめてくれ。……あいつらもあいつらだ。ちょっと仲良くなったかと思っていれば……。せめて俺の耳に届かぬ場所でやってくれ」
晴秋は恥ずかしさに耐えられず、机に伏して頭をかかえた。少年のうめきが聞こえたのか、縁側に座る少女たちがくるりと向きを変える。
「なあに晴秋。嬉しくないの?」
「……梨乃、嬉しい嬉しくないというより純粋に恥ずかしいのだ! 美久もそれ以上余計なことを言うんじゃない」
もちろん、彼の基準で正直に言ってかわいいと思っている少女たちに自分の長所を言い連ねられるのは嬉しいが、それを素直に言えるわけもない。
さて、しばらくして晴秋への称賛の波は一度収まったが、ここで美久が次なる荒波を立てる。
「……ところであの、晴秋さまは、梨乃さまのことをどう思われているのですか?」
「……へっ、ちょ、ちょっと美久ちゃん⁉」
「――ブフォ⁉ げほっ、ごほっ……。み、美久、いきなりなにを言うんだ。茶を吹いてしまったではないか」
と、同時にあたふたするふたり。だが梨乃のほうは、少し気になるといった面持ちで幼馴染の少年に目をむける。
「……じ、実際どうなの、晴秋」
「――梨乃、おまえ……! いや、どうと訊かれてもなあ」
本当は、なぜか昔から魅かれる時がある。とは言えず、少年は吹き出した茶を始末しながら、言葉を詰まらせた。
――すると。
「ですが、晴秋さま仰っていました。『本人の前では言えないが、梨乃さまは天女のごとき美少女なんだ』と」
「――! や、やめてくれ美久ぅ!」
予想だにしない美久の一撃を受け、開いた口が閉まらぬ晴秋。一方で梨乃もびくりとして顔を朱に染めた。
「……うそっ、晴秋ってば私のこと、そんな風に思ってくれてたの?」
「――っ! な、なあ、この話はもうやめにしないか?」
晴秋は、もはや羞恥心でどうにかなってしまいそうだった。しかし梨乃からすれば、美久の話は極めて重要というもの。
「だ、ダメっ! もうっ、ちょっと晴秋、ねえどうなの? その話くわしく聞かせて!」
「わあぁ、ちょっと待ってくれ梨乃!」
晴秋は幼馴染の少女に這いよられて問い詰められ、思わず後ずさる。だが、平穏な時は突如として終わりを告げた。
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