第14話 少女危機一髪

 辛うじて危機を回避し、いま一度背後に追手がいないことを確認した晴秋は、ようやく息を吐き出して部下の少女を気遣った。


「……ふう、どうにか振り切ったようだな。美久、もう平気か?」


「は、はい。……あれが、金剛一族、なのですか?」


 問いかける少女の声には、隠しようもない恐怖による戦慄わななきがある。晴秋は遠い過去を思い出し、静かにうなずいてみせた。


「ああ、間違いない。実はまだ子どものころに修行で久遠と山籠もりしていた時、一度遭遇したことがある。その時は、久遠のおかげで相手が退いて事なきを得たが……」


 その先に言いたいことは、あえて口にせずとも美久は今しがた身をもって理解しただろう。金剛一族が、五つの妖討師一族のなかでもっとも恐ろしいということを。


 彼女は、震える両肩を抱きながら恐怖の残る声で思いを明かす。


「……私、初めてです。言葉など通じない、関わりを持てば否応なく殺されると感じる相手に出会ったことが」


「俺もだ。あいつは、過去に出会った金剛一族のヤツとは比較しようもなかった。都の中だから平気だろうと、つい油断して――うぐっ⁉」


「は、晴秋さま⁉」


 急に胸を抑えて苦しみだす晴秋におどろき、美久は困惑の色を顔に浮かべて少年を支えた。


「――大丈夫、いつもの妖力の乱れだ。……朱雀、妖炎神社へ急いでくれ」


 彼らを背に乗せる式神が主の命を実行に移した直後、最悪の事態がふたりを襲う。


『ピギャアアアアッ!』


「なッ⁉ 朱雀ッ!」「きゃああ、晴秋さまぁ!」


 直上から飛んできた稲妻をまとう長刀が、式神の弱点……つまり、頸部に貼られた式神の御札を両断し、朱雀が強制解除されたのだ。


 晴秋は美久の手を掴み、すぐさま近くにいた白虎に乗り移って垂直落下せずに済んだが、同時に絶望的なものを見てしまう。


 それは、遠い異国の地で使われているとうわさに聞く大剣の上に両足で立ち、その状態で空を追尾してくる金髪の男の姿。


 彼ら金剛一族は、金物の武器に妖力を込め、自由に操る妖術を得意とする。ゆえに武器に乗って飛行することなど造作もないのだろう。


「くっ! 諦めの悪い奴め。白虎、奴を堕とせ!」


 命じられた式神はそれ従い、空中で反転して追撃者に『火炎弾』を連射する。金髪の男は器用に炎の弾を避け、手にした刀で薙ぎ払い、徐々に距離をつめてきた。


「逃がさんぞ、安火倍! 今日のうちに、貴様らの一族は鏖殺おうさつしてくれよう」


 そう豪語した男は、すでに白虎の眼前にまで迫っている。


 白虎が妖力をまとう前脚の爪でけん制し、かろうじて接触を阻んでいるが、その抵抗がいつ破られるかはもはや時間の問題。


 晴秋はやむを得ぬと覚悟を決め、妖力が体内で乱れる状況で術の印を結ぶ。


「――ッ! よ……妖炎術『灼炎ほう……』ぐぅ――ッ!」


 しかし、妖力が安定しないまま妖術発動に踏み切れば、身体に多大な負荷をかけてしまうのは必然であった。全身に激痛が走り、がくりと崩れ落ちた晴秋を、美久がとっさに支え起こす。


「は、晴秋さま! やはりその状態で術をお使いになるのは無理です」


「……だが、ここで奴を退けねば二人とも死ぬぞ。幸い敵の狙いは俺だ、なんとか隙を見てお前だけでも――」


「⁉ いけません、なにをおっしゃるのです晴秋さま!」


「貴様ぁ! 戯言をぬかすなァァァ! 『金剛秘術・雷電一閃こんごうひじゅつ・らいでんいっせん!』」


 晴秋の言葉をさえぎり放たれる怒号。そしてそれを発した金髪の男の手から何かが飛んだ。


 金に輝くそれは、音速にも迫りかねない速さで空を舞い、晴秋たちではなく白虎の頸椎を恐ろしく正確に貫き通している。それと同時に、妖力の乱れが少年の体内で増幅した。


「ぐぅ……しまった、白虎!」


 苦痛と焦燥をはらむ彼のうめきとともに、急所を撃たれた式神は消えた。こうなってしまうと、その背に乗っていた晴秋と美久は、今度こそ真下の大地に向けて落下するほかない。


「晴秋さま、このままでは――!」


「――っ!」


 白虎消滅から大地に叩きつけられるまでの刹那に等しい時間で、少年は忙しく思考を巡らせる。


 目測で、地面までは恐らく二十尺(約6メートル)程度。素直に落ちれば重症以上は免れないが、まだ希望を捨てるべきではない。


「美久、俺につかまれ! ……大丈夫だ。この高さなら、妖力と受け身でどうにかなる!」


 晴秋は互いに離れぬよう美久を抱きしめ、彼女に自分たちを渾身の妖力で覆うように頼んだ。そうして群青色の妖力がふたりを包みこみ、同時に大地が限りなく迫る。


「ぐ――っ!」「きゃあ!」 


 晴秋は美久を庇うようにして受け身を取り、いちおう無傷で不時着した。抱えていた少女の無事も確認し、よろよろと立ち上がる。


 しかしこれで危機が去ったわけではく、剣に乗って追いすがってきた男がふたりの行く手を阻んだ。


「くそ、やはり追ってきたか。……美久、交戦すると見せて妖炎神社まで逃げる。幻馬の式神を敵に悟られぬよう準備してくれ」


「……は、はい」


 聞かれぬ程度の声量で言葉を交わし、美久の動きをなるべく見せぬように位置取り、晴秋は金髪の男と対峙する。


 おぞましい男は、乗ってきた大剣を武器格納用の巻物にしまい込むと、今度は背に担いだ長刀の鞘を払い、その切っ先を晴秋に向けて怒声をあげた。


「貴様、己の危機でありながら使いの小娘を守ろうとは。それでも偉大なる妖討師の跡取りかああアァ!」


「お前こそ馬鹿なことを! 部下は部下であって奴婢ではない。互いの信頼あってこそ、真に背を預けられるというものだろうが」


「……背を、預けるだと? ほざくな! そのように無駄な信頼を置けば、必要な時すぐに捨て石として使えぬではないか。必要なのは平等や信頼にあらず、絶対服従だ! 使いの者は主君の所有物であるに過ぎず、如何なる理不尽でろうと辱めであろうと、主の命であればそれに背くことなど許されぬのだ!」


 それこそが世の理であり、一切の例外など認められぬ。そう宣言するような言いように、晴秋は抑制しがたい怒りを覚えた。部下を辱めるなど、極悪非道の極みではないか!


 感情に任せて危うく敵に向かいかけたとき、美久から式神の準備ができたとの合図を受け、彼はどうにか自制する。


「……お前の考えは分かったが、それを理解する気は毛頭ない! どうやら俺たちは、悲しいことに戦う運命にあるらしいな」


 晴秋がそう告げて式神護符を使うふりをすると、金髪の男は恐ろしい笑みを浮かべて長刀に凄まじい妖力を込める。


「ようやくその気になったか。では手早く貴様を殺し、そこの小娘に安火倍の屋敷へ案内してもらうとしよう。いなやは言わせぬ」


「なめるなよ。俺は殺されてなどやらぬし、むろんお前のような奴には美久に指一本触れさせぬ。我が安火倍の業火、とくと味わうがいいさ」


 それを宣戦布告と受け取ったか、対峙する金の男は刀を振りまわし、構えると。


「いいだろう、貴様らはこれから一方的に泣きわめくだけだが、せめて己を殺した者の名を手向けとして教えてやる。

 ……我が名は刹那せつな。偉大なる妖討師・金剛の名を受け継ぎし者。その我によって引導を渡されること、誇りながら往生するがいい!」


 その豪語とともに、刹那は突撃してきた。晴秋は敵が迫るより早く、後方で待機する少女に合図してそちらへ跳躍する。


「美久、いまだ!」


「はいッ! 『式神血創・黒柴幻馬しきがみけっそう・こくしげんば!』」


 うなずいた少女が親指を噛み切り、垂れる血を式神護符にこすりつけて妖力を込めると、紫色の美しい毛並みを持つ馬が現れた。


 彼女の行いを正しく理解した狂気の男は、おぞましく顔をゆがめ、


「貴様ッ! 謀ったな、はなから逃げるつもりで――!」


 刹那は、怒り心頭に発して幻馬を切り伏せようと踏みこんでくる。しかし、晴秋が式神に飛び乗り、美久の手を引いて彼女を馬上に引き上げたとき、紫の馬は背に乗る人間もろとも姿を消した。


「――チッ、黒柴幻馬……。そういうことか。だが逃がさぬ! 逃がさぬぞ、安火倍ベエエエエエエエエエエェ‼」


 その怒鳴り声をはるか後方に聞きつつ、晴秋は少女を背中に付け、馬を走らせている。


「美久、助かったよ、ありがとう」


「いえ、その……。お役に立てて嬉しい……です」


 と、小さな少女は主にしっかりとしがみついて言った。晴秋は、背中に彼女の温もりを感じながら妖炎神社へ山道を馬で駆けていたが、ふいに追跡者の気配を感じる。


「……やはり完全には振り切れぬか。こやつは視えないはずなんだがな」


 美久の式神『黒柴幻馬こくしげんば』は、主である少女が背に乗っている間、自身とそこに触れる全てのモノと気配を透明化できる。


 それでなお追跡されるということは、刹那と名乗る男の感覚が非常に鋭いため。


 その後どうにか彼の追跡を振り切れたようだが、晴秋はわずかな畏怖の念を抱いた。妖力の気配すらも消す幻馬だが、そこに「存在する」という事実は揺るぎない。ただそれだけを第六感とでも言うべきもので感知できる。そこに至るは並みの妖討師ではない。


「晴秋さま、前方のあれですか?」


 ふいに背後からかけられた少女の声で、彼は我に返った。同時に視線を前方に向けると、そこに見慣れた神社の鳥居と石段がある。


「ああ、そうだ。……そう言えば、美久を連れてくるのは初めてだったか?」


「はい。……たしか、晴秋さまの幼馴染の方がおられるのですよね」


 興味津々というような口調で聞いてくる少女。


「ああ、本人の前じゃ言えねえが、あいつ……梨乃は天女のごとき美少女でな……んっ?」


 そのとき、晴秋はふと背後に……いや、正確には腹部の辺りに異変を感じる。そこには美久が後ろから回している彼女の両手があるのだが、その手が急にぎゅっと力を込めたのだ。


「どうした美久? 落ちそうにでもなった……いや、少し速度を出し過ぎたか?」


「……そ、そういうわけでは。あ、あの、その方は……その方は私より――……。

い、いえ、なんでも、なんでもありません!」


「……美久?」


「――――っ!」


 それ以来、少女の口から言葉はなかったが、彼女は晴秋の背中に顔を埋めるように押しつけて、より強くしがみつくのだった。

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