第20話 天尊師と四尊大師
――大きさの異なる大小無数の岩石。そのすべてが薄暮の空から消えたとき、妖炎神社の境内には
三人の少年と一人の少女が痛々しい姿で倒れ、周囲には砕けた岩と血が飛散している。神社の参道は落石の衝撃で亀裂が走り、ひとつの岩が拝殿の屋根を貫通していた。
晴秋たちは、とっさに妖力で急所だけは守ったため致命傷は受けていないが、すぐに意識は戻らない。
「……うそ。晴秋、美久ちゃん――!」
「待つんじゃ、梨乃!」
巫女服の少女は幼馴染の少年らに駆け寄ろうとしたが、何かに気づいた様子の老人に腕を引かれた。
「なにするの、おじいちゃん。早くふたりを助けないと!」
「今は待つんじゃ。ほれ見ろ、この惨劇を起こした輩が降りてくるぞ」
そう言われた梨乃は、自らの口を両手でふさぎ、拝殿の影へ身をひそめる。するとほどなくして、
「……これはこれは、よく見れば『火』、『木』、『金』の一族のせがれどもか。ふふふ、丁度いい。ここでこ奴らに止めを刺せば、三つの一族を滅ぼせる。さすれば私の地位もあがる」
茶色基調の狩衣を身にまとう眼帯の男は、どこからか黄土色の錫杖を取り出し、倒れる少年たちに向ける。
が、付近の竹林から稲妻のごとき速度で水の矢が飛来し、眼帯男の動きを封じた。彼は妖力を込めた錫杖で矢をはじき返す。
「……ふん、闇討ちとは芸のない。そこにいるのは分かっているぞ、
男が嘲笑交じりの声を飛ばしてからわずかな間があり、やがてその視線が向けられた竹林がガサガサとざわめく。
「あらあら、背後から狙ったのに。貴方、カンが鋭いのね、
耳当たりの良い艶やかなる声が男に応え、直後に青い髪を持つ女性が姿を見せた。同時に、凄まじい気配に当てられ、気を失っていた晴秋たち四人が目を覚ます。
強大な気配に晒されたとはいえ、あれほどの攻撃を受けてこの短期間で気が付くところは、さすがに当主の血を引く者たちであり、そしてその一角である晴秋に仕える身である美久もまた、彼らに劣らぬ鍛え方をしている証拠だ。
「なっ、これは――! 美久、無事か」「うそ……だろう」「くそう……。こやつら、まさか」
各一族の跡取りである三人の少年は周囲を見渡し、やがて目の前で恐ろしい敵同士がにらみ合っていることを理解すると、驚愕の表情で安全圏に飛びすさる。
晴秋とともに行動した美久も、やや遅れて絶望的な現状を正しく理解した。岩石が直撃した右肩の傷を抑え、怯えるまま主に確認を取る。
「――
「ああそうだ。ふたりが持つあの銀に輝く錫杖と、衣装に刻まれた『大師』の文字を象った紋様。間違いない!」
晴秋は、どうしようもなく絶望的な状況ゆえにむしろ冷静だった。自分自身も美久も、いつまた倒れてもおかしくない。それだけの傷を負っていた。
たとえそうでなくとも、目の前にいる四尊大師ふたりと渡り合うなど不可能に近い。となれば、彼らより強い援軍の到着まで時間を稼ぐ。今できることはそれ以外ない。
「……久遠、どうか間に合ってくれ!」
心の底からの思いから出たその声は日暮れを待つ空に消え、神社の空気が張りつめた。
この場でいま下手に動けば殺される。それぞれが自身の父の後継者である少年たちは、そのことを疑う余地もなく実感していた。だが刹那は、すべての力を逃げの一手に注げば、この場から退くことぐらいはできると踏んだのだろう。
「――チっ! ……安火倍晴秋、それに芦屋の後継者! 四尊大師を相手にするほど、我は阿呆ではない。今日のところは退いてやる」
そう吐き捨て、彼は両足に金色の妖力を集約。それを地に向け一気に放出して得た爆発的な跳躍力を使い、妖炎神社から脱出しようとしたが、ふいにその動きが急停止した。
少年の足からスッと妖力が消え失せると、彼が持っていた長刀がカランと音を立てて参道に転がり、血を吐いて膝をつく。
「――ゴブッ⁉ くそ……我は、なにをされたっ!……」
それに応じたのは、なまめかしい女性の声であった。
「あらあら、ごめんね坊や。一撃で楽にしてあげようと思ったのよ。でも……手元が少し狂ってしまったのね。うふふふ」
愛する我が子に向ける母の声、というべき口調だが、その四尊大師からは、晴秋がおよそ味わったことのない狂気が発せられている。
彼女は妖艶な足取りで金髪の少年に歩みより、舐め回すような視線を向けた。しかし刹那はそれに気圧されることなく、強烈な眼光を突き返す。
「ぐぅ! 貴様、いったい何をしたァァ!」
「まあ、強いのねぇ。お姉さん、坊やのように強い男の子大好きなの。……ああ、食べちゃいたいわぁ」
などと恐ろしいことを口にしつつ、青髪の女性はさらに晴秋たちを戦慄させる。彼女がふいに右手を軽く振った。まるで飛んできた虫を払うかのような、ごく自然な一瞬の動作。
すると、次の瞬間――。
「今だ――がはっ! なん……だと!」
「なっ、どうしたんだ、道風!」
晴秋は驚いて声をあげた。女性が刹那に意識を集中した瞬間を狙い、風に乗って逃げようと試みた長身の少年が、刹那同様に吐血して倒れ込む。
「んもう、動くとケガするわよ、坊やたち」
そう言って恐ろしく微笑み、長い舌を艶やかに見せる四尊大師の女性。
正体不明の攻撃で倒れたふたりの少年はやがて気を失い、最後に残された晴秋と美久は、互いを守るようにして警戒を強める。
「くそ、いったい、いったいなにが起こっている!」
「わ、分かりません! 晴秋さま、お下がりください。ここは私が――こふっ!」
「み、美久――っ!」
「お姉さん教えてあげたわよね? 動くとケガするって」
群青色の髪を持つ少女がわずかに一歩踏み出した瞬間、彼女もまた地に倒れこみ、青髪の女性が微笑みを浮かべる。
慌てて美久を抱きとめる晴秋は、ここですべてを理解した。大切な部下の衣装に小さな穴があり、ハッとしてその内側を確認すると、彼女の腹部から激しい出血が見られる。
少年は最低限の動作で美久の傷を抑えて止血を図り、青髪の女性に視線を向けると。
「……
「うふふふ……。すごいわぼうや、正解よ。本当……殺すには惜しい子ねぇ」
彼女の言葉で、晴秋は静かに死を悟った。
見つめる者を絡め取るような視線を向けてくるこの女性は刹那と違い、恐らく梨乃たちには手を出さぬだろう。あくまで、己に逆らわぬうちは……。
しかし、どうあがいても自分は殺される。美久も……恐らく道風や刹那も、致命傷ではないが重体。先ほどまで怒り狂っていた刹那ですら、今は気を失っているのだ。この現状を改めて整理し、本当に恐ろしい女性だ。と、少年は内心で震えあがった。
――四尊大師ほどの術師であれば、手元が狂うなど万に一つもあり得ぬ。それでありながらあえて敵を活かした理由。それはひとりずつ拷問し、一族の屋敷のありかを聞き出すために他ならない。
そしてそれが済めば、命ごいなどする暇すらなく殺される。それが終わるまでに、彼女よりも力のある助っ人が来なければ。
ゆえに晴秋は、妖力を静めて式神の護符と小刀を投げ出し、両手を上げて見せた。
「――?」
「……俺の負けだ、さっさと殺すがいい。だがその代わり、美久たちは助けてやってくれ」
突然の彼の降参が少し意外だったようで、対峙する女性は一瞬それを表情に出したが、すぐに妖しい笑みが戻る。
「あら、随分と素直に負けを認めるのね。……でもぉ、その、美久ちゃん? は活かしてもいいけど、残る二人は後継者だもの。殺さないわけにはいかないわ。
……それに、貴方は私に対して意見できる立場じゃないわよねぇ」
整った美しい顔が晴秋の顔ぎりぎりまで迫り、甘い息を吹きかけられる。少年は拳を握りしめて平静を保ち、苦い表情を浮かべた。
「……分かっている! そんなこと。だがそれでも俺は、貴方の中にわずかでも人の心が残っているその可能性を信じる」
「…………」
珍しく言葉をのみ込む女性。
晴秋は、表情はそのまま内心でしめた、とうなずいた。
絶対的優位を獲得している彼女だ。こちらが一切の抵抗を放棄すれば、もしかすると言葉で時間稼ぎができるかもしれない。その最後の賭けがうまくいく可能性があがったから。
晴秋の性格を知る道風などが相手では成立しないが、相手は初対面である。少年は
「貴方たちの目的は、それぞれの一族を束ねる当主を滅ぼし、己の一族に取り込むことで妖討師をひとつに戻すことのはず。であれば相手を殺さずとも、当主らを負かして妖討師の世界から永久追放でもなんでもすれば良いだろう。まだ輝ける命を無駄に摘むことなど無いはずだ!」
時間稼ぎではあるが、これは彼の偽りない思いであるゆえ、相手に余計な思考の余地を与えない。
「……それで、ぼうやの命を代償に捧げる代わりに、他の命を助けろと? そんなことをして、彼らが死んだ貴方に感謝するとおもうの?」
晴秋は絶対的な言葉を受けてわずかに黙る。道風はともかく、刹那に関して言えば、愚か者が自ら死んだと歓声をあげるだろう。
「――だが、そうだとしても! 俺は人の笑顔が好きだ。逆に、誰かが不当に傷つけられ、苦しみ殺されるところなど、死んでも見たくない! そうさ、これは他人のためひとり犠牲になるなんて聞こえのいい話じゃない。俺は俺の
己の死に、未練も恐怖もない恐ろしく不敵な笑み。それを認めた四尊大師の女性は、初めて冷酷な表情を浮かべた。
「……そう、そこまで死に急ぐのならその希望叶えてあげる。感謝なさい」
彼女はそう告げると、左手の人差し指と中指に青い妖力を集約する。やがて充填された妖力は青色の矢へと変形した。
「ふふ、最期の手向けとして教えてあげるわ。これが貴方の朱雀を滅し、彼らを倒した『
……そして、私の名前は
そう名乗った青髪の女性は、矢を
「いやあっ! 晴秋――!」「あっ、待つんじゃ梨乃!」
もはや隠れるのは限界だと、拝殿の影から飛びだす梨乃。彼女も、矢を放った四尊大師の女性も、これまで静観していた眼帯の四尊大師もみな、晴秋の死を悟っている。
「『
それは『
「――はあ……どうにか、間に合った……のか」
晴秋は直前に思わず目を閉じてしまったが、その後も自分の心臓が鼓動を続けていることを確認し、大きく息を吐き出した。
一方、これまで絶対的優位な立場にあった二人の四尊大師は、これまでとはまったく異なる表情で周囲に漂う気配を探った。
「……いったい何者。私の妖術のなかで最速の矢を補足し打ち消すなんて。ただ者ではないことは確かのようねぇ。――貴方も同意見でしょう? 岩使いの四尊大師さん」
奈々に視線を向けられた茶髪眼帯の男は、ふんと鼻をならす。
「貴様なんぞと同程度の頭を思われるのも
「気に食わない言い草ですわねぇ。ですが、その可能性は十二分にあること……。名残り惜しいけれど、この場は一度退くべきかもしれないわぁ」
しかし、彼女が神社を離脱しようとしたとき、四尊大師ふたりの周囲がふいに爆ぜた。彼らは激しく吹き飛んだが、地面で身を一転させて態勢を整える。
「――――
「ぐぬう! 今のは自然爆破術。……まさかと思うが、この場にいるというのか……安火倍一族天尊師・八条久遠が!」
その一言を待っていたかのように、それは現れた。拝殿の前にボッと紅い火が灯ると、たいして風もない中で螺旋状に渦を巻き、やがて六尺を越える巨大な火球となる。
そしてその
「いかにも。……さすがに、四尊大師の名を持つだけはあるか。だが……」
「あうっ!」「………がああッ!」
火球が弾け、拡散した炎と熱波が四尊大師ふたりのみを狙って焼き払う。
その爆ぜた火球の中から現れた、朱の狩衣に身を包む長い黒髪を持つ男の衣装には、金の文字で『天尊』と刻まれていた。
「――おぬしら、晴秋さまに対するご無礼の数々。許すわけにはいかぬ」
彼の姿を認めた晴秋は、ひととき体じゅうの痛みも忘れて頼もしい天尊師に駆けよる。
「久遠、今回は本当に死ぬところだった。間に合ってくれてありがとう!」
少年の歓喜に満ちた言葉を受け、久遠は静かに一礼した。
「もったいなきお言葉、痛み入ります。晴秋さまはしばしのご休息を。これより先は天尊師の名に懸け、私がお守りいたしますゆえ」
「……ああ、本当に助かった。あとは任せるよ、久遠」
晴秋がようやく肩の力を抜き、梨乃たちのもとに座りこむと同時、天尊師の男はふっと衣装を翻す。
「……はい、この八条久遠にお任せを」
その言葉とともに、彼はパチンと指を鳴らした。直後、わずかに身構える四尊大師ふたりの身体に紅い五芒星が浮き上がり、凄まじい爆発を起こす。
「きゃあっ!」「ごおっ!」
晴秋がまったく対応できなかったふたりの四尊大師は、久遠のたった一撃で吹き飛ばされ戦闘不能となった。
辛うじてふらふらと立ち上がるがそれもつかの間、がくりと膝が折れる。
「……さすがは天尊師ねぇ。ぼうやを殺し損ねたのは残念だけど、今は退くわ。またお会いしましょう」
「おの……れェ……! 安火倍の天尊師めが、このままでは済まさぬぞ!」
彼らはそれぞれ憎らしげに捨て台詞を吐きだす。青髪の女は水となって流れるように消え、眼帯の男は砂嵐を起こし、姿をくらませた。
いちおう最低限の脅威を払ったところで、久遠は視線を別のほうへ向ける。そこにいるのは水の四尊大師・竜宮奈々に腹を貫かれ、未だに倒れているふたりの少年だった。
彼は軽い足取りで彼らに近づき、簡単に傷の程度を調べる。
「……ふむ。軽傷とは言えぬが、当たり所は良かったようだ。これなら致命傷にはならぬな」
そう言って少年らに手をかざす。
「ま、まて久遠! ふたりを殺すのか」
「……どうかご安心を。我らが主君、保成さまはそのような冷酷非道な方ではありませぬ。それは晴秋さま、貴方が一番お分かりでしょう」
晴秋が黙っていると、久遠はわずかな間を置いて奥の拝殿を振り返った。彼の視線の先には、きょとんと立ち尽くす梨乃とじいさんがいる。天尊師の男は視線を足もとの少年ふたりに戻すと。
「この者らを放置して行けば、あちらの……晴秋さまにとって大切な方々に危険が及ぶやもしれませぬ。ゆえに――」
久遠が道風と刹那に手をかざし指を鳴らすと、ふたりの姿は一瞬炎に包まれて消えた。
「……彼らは私の術で、一人ずつ別の場所に飛ばしました。これでよろしゅうございますか?」
「……ああ、ありがとう久遠!」
晴秋の歓喜あふれる謝意の言葉をもって、激烈な死闘は幕を下ろした。
梨乃もまた、幼馴染の少年と彼に仕える少女、そして天尊師の男に幾度どなく頭をさげ、彼女の育て親でもある老人も巫女に倣って感謝の言葉を述べる。
***
宵が迫るころ、晴秋はふたりの部下とともに朱雀に乗り、妖炎神社上空を飛んでいた。
「なあ、久遠。ちょっといいか?」
「……はい、私でよろしければなんなりと」
ボロボロの美久を腕に抱え、朱雀の背に立ち乗りする天尊師の男が晴秋に応じる。
「今回の一件で思ったんだが、近くなにかが起こる気がするんだ。……それも、とんでもないことが……。これって、俺の思いこみに過ぎないと思うか?」
「……私は、天尊師という名誉ある地位を頂いた身ではありますが、神仏などと比較すれば、妖術を扱えるだけのただの人間です。ゆえに、先を見通すことなど私にはかないませぬ」
随分と遠回しな言い方に、晴秋は疑問を抱きつつも無言を貫いた。久遠は、暮れゆく都を眺めながら言葉を続ける。
「ですが、活発化する妖し、連日のように衝突を繰り返すほかの一族。この先どのような運命が待つにしろ、三十年近くにわたって続いてきた平穏が乱れ始めている。これは偶然にあらず、大いなる変革の予兆であると言えるでしょう。晴秋さまも、どうかゆめゆめご油断なきように」
「……ああ、そうだな」
少年は、そのとき心のうちで感じた正体不明の恐怖を覚えながら、天尊師の忠告にうなずくのだった。
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