第33話 解き放て、真の姿を

「な、なんて妖力だ!」


「――くっ!」


 晴秋はまばゆい光に目を細め、酒吞童子は思わず身構えたが、彼に封印術は当たっていない。いや、妖力が術として成立するまえに消滅している。


「あ、あれえ、どうして?」


「う、う~ん」


 梨乃が頭をひねると、一葉は少し考えてパンッと両手を打った。


「そうか、きっと環季たまき姉さんがいないからそのぶん力不足なんだわ。それに、私も梨乃も三十年ぶりに妖術を使うから、身体がついて行ってないのね」


 彼女はそう結論付けると、再開した息子に目を向けた。


「そういうわけだから、晴秋、ちょっとあなたも手伝って?」


「は、母上⁉」


 突然振られて焦る晴秋だが、こうなってはやれることをやるしかない。


「は、はい……。あの、俺は一体をすれば……。母上や梨乃のように、そこまで強力な封印術など俺は心得ておりませぬが」


 ……ずっと探していた母は妖狐の姉で、その妹が、ずっと昔から付き合いのある幼馴染の少女……。という非常に困惑する現状に、少年は口調をどうするべきか困惑した。


 一方で梨乃も、自分自身に感じた違和感を口にする。


「ねえ一葉お姉ちゃん。私も以前のように妖力を扱えてない気がするっていうか、それだけじゃないっていうか……。力を抑え込んでしまってる感じがするの」


「う~ん……。確かにそうね。さっきの術の不発……私は体がついて来なかったんだけど、梨乃はどうも力そのものを封じられている感じね。そもそも梨乃、姿?」


「え? その姿って?」


 姉に問われ、梨乃は首をかしげた。確かにまだすべての記憶がはっきりと戻ったわけではないが、今の姿ではない自分に覚えはない。


 それを察した一葉は、息子と妹が置かれている現状をだいたい理解したという表情で言った。


「う~ん……。ねえ、晴秋と梨乃って、両想いなんだよね?」


「「…………ッ⁉」」


 予想だにしない彼女のひと言で、真っ赤になって言葉を失うふたり。彼らの意味ありげな沈黙を肯定と捉えた一葉はくすっと笑い、うなずいた。


「もう、恥ずかしがらなくていいじゃないの。それに、ふたりがそうなってくれたから、この場をどうにかできそうよ」


「母上……?」


「どうしてそうなるの? お姉ちゃん」


 晴秋と梨乃はそうなる理由が分からず、不思議そうな表情を浮かべる。


「妖力は、扱う者どうしの関係や思いに共鳴してお互いの潜在能力を引き上げたり、持てる以上の力を発揮したりできるわ。私と梨乃は姉妹、晴秋とは親子……それに加えて梨乃と晴秋がそこまでお互いを思い合っているのなら、私たち三人はそれぞれに強い繋がりがある。これなら環季姉さんの不在をどうにか補って、あの術を使えるわ」


「母上、あの術というのは……」


「私も……ぼんやりとしか思い出せないわ。」


 晴秋と梨乃が言うと、一葉は力強くうなずいた。


「ええ、私たち三姉妹が扱える妖術のなかで最強威力の技よ」


「しかし母上、以前父上にお聞きしたことがあります。酒吞童子の魂は非常に強力で、封印の妖力を直に浴びせても倒せないと」


「ええ、彼が実の肉体で全力を出せる状態ならね。でも今は違うわ」


 彼女いわく、今の酒吞童子は魂の欠片と金鬼が集めた魂や妖力がひとつとなり、本体の姿をぎりぎり保っている状態に過ぎず、封印術を用いるまでもないという。


「……つまり、今なら普通の妖しと同じく強力な妖術で倒せると……」


「ええ、その通りよ晴秋。でもそのまえに、あなたたちの実力を抑制しているかせを外しましょう」


「俺たちを抑制する枷?」「お姉ちゃん?」


 晴秋と梨乃がそろって首をひねると、一葉はやってみれば分かると彼らを横に並ばせる。


「「……?」」


「はいはい、気持ちは分かるけど前向いて深呼吸しててね」


 一葉はきょろきょろと落ち着かないふたりの後ろに立つと、それぞれの背中に手を当てた。


 同時に、それまで黙って晴秋たちのやり取りを見ていた酒吞童子が妖力を放つ。一葉がやろうとしていることに、なにかを感じたのだろう。


「貴様、なにをする気だ!」


「――ッ!」「母上!」「お姉ちゃん!」


 三人が身構え、そこに両手の禍々しい爪を光らせた鬼の首魁が飛び掛かろうとしたとき、ふいに斜め横から金の錫杖が飛来して彼に突き刺さり、放たれた妖力が爆ぜて酒吞童子は後方に吹き飛んだ。


「――ぐうぅ! 天尊師、貴様あアアアア‼」


「晴秋さまたちの邪魔はさせぬ! 一葉さま、今のうちですぞ!」


「ええ、ありがとう久遠」


 さすがは天尊師と言うべき回復力で意識を取り戻し、ぎりぎりのところで錫杖を投げた彼にうなずき、一葉は体内でありったけの妖力を練り上げた。


 彼女の髪と同じきつね色の炎にも見える妖力がほとばしり、周囲に突風を巻き起こす。


「――ッ⁉」「すごい」


「ふたりとも、まえ向いて」


 思わず後方へ振り返ろうとする晴秋と梨乃に注意を促し、彼女はふたりの背中に当てた。


「晴秋、梨乃。いい? 今からふたりの体内に私の妖力を流すわ。かなり強い衝撃が来ると思うから、気を付けて」


 一葉の忠告に晴秋たちが覚悟を決めてうなずくと、彼女の全身から溢れる妖力が徐々にその両手に集約され、

「すうーー……。ハアアッ‼」


 かつを入れるような一声とともに、輝く妖力が荒れ狂う川の奔流のごとく晴秋と梨乃の体内に流れ込んだ。


「――く、あっ――かッ⁉」「あぐっ⁉ な、なに――これッ‼」


 その瞬間ふたりは目を見開き、倒れかける寸前で両足を踏ん張った。凄まじい衝撃とともに、経験したことのない強い力が急流のごとく体内を駆け巡り、全身に力が満ち満ちる。


 晴秋は母の妖力が自身のそれと融合してさらに力強くなるのを感じ、一方の梨乃は、姉の妖力に刺激され、眠っていた自らの妖力が目覚める確かな感覚を覚えると同時に、それを扱っていた懐かしい感覚を思い出す。


「よしっ! ふたりとも、あと少しの辛抱よ!」


 その言葉を合図に、彼女はさらに勢いを増してふたりに妖力を送り込む。すると、ある時を境に久遠ですら驚愕の表情を浮かべる変化が起きた。


「――な、これは!」


 彼と対照的に、一葉は成功を確信する微笑を浮かべるなか、


「――え?」「な⁉ これはいったい」


 梨乃と晴秋は、自らに起きている現象に驚いて自分の中心にほとばしる妖力に目を見張った。これまで風に煽られるように激しく揺らいでいた妖力が一転。限りなく安定し、身体の中心から中天に向け、まっすぐに立ち昇る。


 体内でなにか強力な封印のようなものが砕け、これまで抑え込まれていた真の力が腹の底から湧き上がってくるのを感じた。


 それまで朱色であった晴秋の妖力は黄金色こがねいろへと変わり、梨乃のそれは、姉である一葉の妖力の色から純白へ。

 それに応じて晴秋の黒髪と、同色の瞳が前者は金へ、後者は透き通る青へと変色。彼の幼なじみである少女も、髪は純白の絹糸を思わせる白に、瞳は燃えるような明るい朱色に変わる。そして梨乃にのみ、白いきつねの耳と尾が現れた。


 その変化が落ち着いたところで、一葉はようやくふたりから手を離し、妖力を静めた。その瞬間、彼女の黒い瞳が透き通る翠色みどりいろになり、きつね色の耳としっぽが生える。


「……ふう。よかった、無事に成功ね」


「「………………」」

 大きく安堵の息を吐き出す一葉と、その横で自分たちの変貌に唖然として立ち尽くし、お互いの髪や目を見合う晴秋たち。


「……一葉さま、これはいったい」


 少しの沈黙を破った久遠の声は、ようやく絞り出されたものだった。


「ええ、これが姿よ。晴秋は保成さまと私の子……つまり人と妖しの間に生まれた子だから。晴秋のこの姿は妖狐の力を引き出した姿ね」


「――俺に、こんな力があったとは……」


 晴秋は、震える両手からほんのりと立ち昇る金の妖力を見つめ、身体の奥から無限に溢れ出る力にまだ困惑していた。


 彼の母は息子の気持ちを察し、優しく声をかける。


「驚くのも無理ないわ。自分が人と妖しの混血だってことだけでも大概なのに、この変化だもの。でも晴秋、調


「――え?」


 彼女が発した思わぬ言葉。豆鉄砲をくらった鳩のような顔をする晴秋をみて、一葉は過去を思い返す口調で続けた。


「あの頃は私も妖狐だった頃の記憶を失っていたから分からなかったけど、記憶を取り戻して昔を思えば、あれは仕方のないことだった。

 きっと、保成さまから受け継いだ人の妖力と、私から受け継いだ妖しの妖力。それらが馴染みあわずに拒絶反応を起こしたんだわ。その結果、まだ潜在的で立場の弱い私の妖力が押し負けて、ふたつの妖力の均衡が崩れたことが不調の原因よ。互いに拒絶していたとはいえ、生まれつき種族の異なる妖力をもっているあなたは、両方が均衡を保って体内を巡っている必要があったのね」


 それを聞いて、晴秋と梨乃は思い出したように顔を見合わせる。


「それじゃあ――」


「う、うん、私が晴秋の妖力を落ち着けられたのは……」


「恐らく梨乃は、無意識に自分の妖力を晴秋に流していたんだわ。それが晴秋の体内にある私の妖力を強めて、人の妖力との均衡が正常に戻っていたのね。私と梨乃は姉妹だから、妖力は基本同じだもの」


 晴秋がうなずいて納得を示すと、一葉は、


「さっき、私の妖力を流して妖狐の妖力を活性化したから、人の妖力と力が釣り合うようになるわ。そうなれば押し合いがなくなって混ざり合うと思うから、それで拒絶反応もなくなるはずよ」


 と言葉を付け足した。


 それを聞き、いちおう全てに納得した晴秋は改めて幼なじみの少女を見つめる。黒髪の彼女もむろん美少女だったが、朱眼と白髪に狐の耳と尾を持ついま、もともとの可愛さに神聖な美しさが交わり、言葉にしがたい可憐さを放っていた。


「……きっと、あの日梨乃と出会ったことは運命だったんだな」


「――う、うん。なんか、不思議な感じだね。妖しわたしたちと人では寿命も身内の関係も違うけど、晴秋と私って同じ血を持ってたんだもん」


 ふたりがその事実を改めてかみしめていると、久遠の錫杖を身体から抜き去った酒吞童子が怒声をあげ、晴秋たちは再び気を引き締める。


「貴様ら、ずいぶんとまあふざけた真似を! だが、そんな急ごしらえで開放した力に即対応できるものか! 貴様らがその力になじむ前に殺してくれる!」


 彼はえるような声をあげ、金に輝く両手の爪をさらに鋭く伸ばすと、変貌を遂げた三人に飛びかかった。


「させるか!」


「ぬ……うう、貴様あああああああああああ‼」


 久遠がそれを許すわけなく、酒吞童子が投げ捨てた自分の錫杖を拾い、鬼の爪から晴秋たちを守護する。鬼は錫杖ごしにおぞましい形相で天尊師を睨み、殺気を叩きつけた。


「――久遠!」


「晴秋さま、私は大丈夫です! 一葉さま、詳しいお話は後に! 私が時間を稼ぎますゆえ、どうか」


 敵を抑える久遠に一葉は力強くうなずいて応じ、彼女は晴秋たちに視線を戻す。


「ええ、分かっています。晴秋、梨乃、やるわよ!」


「――は、はい! もうこうなっては細かいことなど知らぬ。やろう、梨乃!」


「う、うん、そうね! この姿になって、さっきお姉ちゃんが言ってた術も思い出したし」


 ふたりの覚悟が決まったことを確認し、一葉は妖力を解放。晴秋と梨乃も彼女に倣って妖力を放ち、三人は両手を前方に構えた。

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