最終話 過去の正体と、輝く未来

 摩耶の山での一件から二週間後。


 晴秋は美久を連れ、妖炎神社を訪れている。だがその理由は以前のように身体の不調を治してもらうためではなく、彼女に逢うためだ。


 安火倍一族の屋敷で共に暮らすことも考えたが、梨乃は自分の正体を知ってもなお巫女さんとして一人前になりたいという思いがあり、晴秋も父や天尊師と比べればまだまだ未熟である。


 ゆえにふたりは約束したのだ。この先三年間、お互いが真の一人前になるまでは、これまで通りのやり方で己の研鑚を積もうと。


 そして晴秋が十八歳になる三年後、ひとつ屋根の下で共に暮らそうと――。


 だが言うまでもなく、ふたりはもうただの幼なじみではない。そして一葉の力によって妖狐の力を活性化された晴秋は、あの日以来身体からだに不調をきたすこともなく、ただ愛する者に逢うという目的で妖炎神社に足を運ぶことができるのだ。


 ふたりにとって、それが何よりの喜びでもある。


「しかし、ヤマトの爺さんにも驚かされるな」


 梨乃がれてくれた茶を飲みながら、晴秋は思い出したように口を開いた。


「そうよね。まさか凄腕の妖術使いだったなんて、思わないわ」


「なんじゃ、儂の話をしておるのか」


 隣の部屋から晴秋たちの会話を聞きつけたらしい翁が、湯飲み片手にやってくる。


「あ、そうだおじいちゃん。前の話、詳しく聞きたいんだけど」


「儂が妖術使いで、三十年まえにおぬしを救った話か?」


「うん」


 梨乃がうなずくと、晴秋と美久も興味の視線を翁に向ける。



 彼らが聞きたい「前の話」というのは、摩耶の山での一件が片付いた後、その報告のため妖炎神社へ向かったときのこと。


 梨乃が実は妖狐だったという話を聞いたヤマト爺は、


「そうか、ようやく巡り合えたのだな」


 と安堵の表情で梨乃に言ったのだ。


 彼女がどういうことかと驚きながら聞くと、彼は驚くべきことを明かした。


 ――自分は妖術使いで、三十年前の百鬼夜行の終幕時、竹林で自らの鮮血に染まり、死にかけていた梨乃を見つけて介抱し、彼女にとある術をかけた――と。


 だがその先を聞く暇はなく、晴秋たちは今後の話し合いや戦いの事後処理のため安火倍一族の屋敷へ引き上げ、その話はそれっきりになっていたのだ。


「……わかった。お前さんの力が戻ったのであれば、何人に聞かれても問題はない」


 そう前置きのうえで、翁は封じていた歴史書を紐解くように、過去を語り始める。


「あの日、凄まじい殺気を感じた儂は、その正体が気になってな。それを感じた方角へ歩いておった。そうして偶然おぬしを見つけたのじゃ。おぬしらの話を聞くに、殺気の正体は金剛一族の当主であろうな」


「――ッ!」


 すでに過去の記憶を取り戻している梨乃は、三十年まえの恐怖にびくっと身を震わせた。


「だ、大丈夫か、梨乃」


「う、うん……ありがとう」


 戦慄する少女を晴秋はそっと抱きしめてやる。


「……すまぬな、梨乃。じゃがあの日、奴らが梨乃に負わせた傷を見れば、おぬしがそうなるのも至極当然じゃ。

 詳しくは話せぬが、前に言ったように儂は妖力を視ることができ、それを扱える。ゆえに梨乃を見た瞬間、この娘は妖狐……それも、あるいは神に等しい高位の存在であると理解した。

 同時に、そんなおぬしを瀕死まで追い込むに及んだ鬼畜の所業が、いかに凄惨極まるものであったか、想像に易いものであったわ」


 彼の口調だけでも、当時の光景がいかに恐ろしいものであったか、否応なしに考えさせられる。


 晴秋の表情には、隠しようもない怒りがあった。


「追手の気配を感じた儂は、梨乃を連れてこの妖炎神社に帰った。もともとここは、儂が管理しておった場所でな。じゃが、連れてきた時点でおぬしはすでに死にかかっておったゆえ、一刻を争った。

 儂は追手のことを考えて神社に目隠しの結界を張り、手当を始めた――」


 だが金剛一族の男によって妖力の大半を奪われ、体内を見るも凄惨な状態にまで破壊されていたため、彼の通常の回復術ではすでに手の施しようがなかったという。


「恐らくおぬしを高位の妖しと理解し、その力を利用しようとしたのじゃろうな」


「……うん。あの日私が崖から落ちても、絶対に捕まえてやるって感じだったもん」


「儂はだいたいの状況を理解し、おぬしの力を一時封印するという一手を選んだ。同時に、妖しの姿を偽る術を施した」


 それによって梨乃は一時的に妖狐としての力、および妖力を封印され、五歳ほどの人間の少女となって今日まで生きてきたのだった。


「でもじいさん。どうしてそんなやり方を? じいさんなら、梨乃を完治できる力も……」


「いや、晴秋。それは儂を買いかぶりすぎじゃ。できるなら、儂とてこんな回りくどいやり方はせぬ。梨乃を完治してやれば、金剛一族の追手など自力でいかようにも対応できるからの。

 それは晴秋、おぬしも摩耶の山で分かっているであろう」


「あ、ああ……確かに。というか、妖討師たちの総攻撃で弱体化していたとはいえ、梨乃と母上とお姉さんで、完全体の酒吞童子を封印したんだろ? それじゃあ――」


 はっとする少年に、翁はうなずいてみせた。


「うむ。妖力も無いに等しく、全身……とりわけ内側の損傷がひどすぎたゆえ、もはや治療を受けつけぬ段階であった。ならばあとは、本人の持てる最後の回復力を極限まで高め、それにかけるほかない。妖力を分け与えようにも、梨乃たちの身体には、自分たちと同等の妖力でなければ意味がなかったしの」


「それほど、高位の存在……というわけか」


 晴秋の言葉を、翁はさようと肯定する。


「儂はその後、知人の妖し専属の凄腕医師を頼り、どうにか梨乃の身体を治した。儂の回復陣を四六時中展開し、そこへ寝かせておくことで峠は越え、回復期に入ったが、やはり意識と妖力は戻らぬ。というより、最盛期の妖力を取り戻すまでに、途方もない時間を要するということだ。

 そこで儂は、先に上げた術を梨乃に施した」


「力の封印と、正体を隠す……そうか、梨乃が追手から自分の身を守れるぐらいに妖力を回復するまでの間、奴らからその存在を隠すため!」


「そうじゃ。神社には妖しの気配を消す結界を張っていたが、儂のそれも万能ではない。儂とて四六時中しろくじちゅう梨乃のそばにいてやるわけにはいかぬし、仮に金剛一族の奴らに見つかってしまえば、今の儂では彼女を守ってやれぬゆえな」


「……おじいちゃん、そこまで、してくれたの」


「梨乃、気にすることはない。儂がそうした理由は、ただひとつの命を救うためじゃ。そこに人間も妖しも関係ない」


「でも……ありがとう」


  涙する少女の頭をでる翁に、晴秋も感謝の念を禁じ得なかった。彼が梨乃を救わなければ、彼女に会うこともなかったのだから。


「梨乃の妖狐の力を封じることで、わずかな妖力を回復のみに回したってわけか」


「さよう。そして自他ともに人間の子どもとして認知し、封印が解けるまで、人の子として成長するように調整しておいたのだ。金剛一族のやからも、さすがに五歳の少女になっているとは考え難いであろうからな」


「ねえおじいちゃん、じゃああの時封印が解けたのは?」


「うむ、話を聞く限り、おぬしの母が封印に気づき、妖力を流した結果じゃな。母の妖力に触れておぬしの妖力は最盛期にまで復活し、そうなれば儂がかけたすべての術が解除されるように設定しておったゆえな」


 そして、もともとの姿とあまり変わらぬ所まで人として成長した時期に今回の一件が起こったため、姿を偽る術が解けても外見の変化はほぼなかったが、これは本当に偶然だと翁は驚きをあらわにする。


「……ただ、おぬしに術を施すにあたり、腹に封印の紋様を入れてしまうことだけは、どうしようもなかった。晴秋に聞いたが、ずいぶんと苦悩させてしまったようじゃな。すまぬ」


「なに謝ってるの、おじいちゃん! おじいちゃんは私のためにここまでやってくれたのよ。私が感謝してもしきれないわ、それに――」


 彼女はおもむろに巫女服をめくった。そこにはもう、二週間まえにふたりで困惑した紋様はない。


「もう無いモノをどうこう言ってもしょうがないでしょ」


「じいさんの術がすべて解けたなら当然だが、良かったな梨乃」


「うん。でもあれも、おじいちゃんからもらった大事なお守りだったんだね」


「……ああ、そうなるのかもな」


 ふたりは改めて翁に感謝を伝え、いまこうして生きていることにたまらないほどの喜びを感じるのだった。


そして――。


 晴秋と梨乃は摩耶の山で妖狐の力を自由に制御することを覚え、普段は妖力を意図的に抑えて以前の姿で過ごしている。


 金髪碧眼きんぱつへきがん白髪朱眼はくはつしゅがんの男女が仲良く都に遊びに行こうものなら、目立って仕方ないし、他の妖討師一族や強さを求める妖しに襲われる危険も高い。


 今のふたりではさして脅威でもないが、安全第一で行きたいふたりであった。


 そして梨乃は、巫女さん修行に励む一方、時々妖狐の力を活かして晴秋や美久、道風とともに邪な妖し討伐に力をかしている。


 道風も新たな主のもとでその力を遺憾いかんなく発揮し、天尊師や四尊大師たちにも認められるようになっていた。


 晴秋の母にして梨乃の姉でもある一葉も、安火倍一族の元に戻り、安成の妻として彼とともに討伐任務に赴き、活躍中である。


 こうして新体制となった安火倍一族は、なお活躍の幅を拡げていた。


 彼らの悲願、いつか全ての人と妖し、そして妖討師たちが手を取り合い、恒久の平和誓い合うその時を迎えられるように……。



 そして晴秋と美久、梨乃、一葉にも、新たなる指標ができた。


「ホントに、晴秋も協力してくれるの? 環季姉さん探し」


 梨乃が驚いて聞くと、少年はしっかりうなずいてみせる。


「むろんだ。梨乃と母上のお姉さんとなれば、俺も会ってみたいしな。惜しみなく協力するさ」


「私も、微力ながらお力添えさせていただきます」


 晴秋の横で元気よく手を上げる美久。


「ありがとうね、晴秋、美久ちゃん」


 一葉も穏やかな笑顔で息子たちの助力に感謝する。


 三十年まえの百鬼夜行で別れた姉、環季たまき。梨乃も一葉も、今は彼女が生きていると信じて疑わない。三十年越しに、もう会えないと思っていた姉妹と再会できたのだから。


 いずれ長女と再び笑い合うこと。それが彼女たちの夢となったのだ。


 そして晴秋たちもその未来を共に叶えたい。平和を実現したまだ見ぬ未来で――。


「梨乃、美久、母上。これからも末永くよろしくな!」


「うん!」「はい、どこまでもお供します!」「ええ、こちらこそ」


 その様子を静かに見守る安成、久遠、道風も、未来に希望を見据える穏やかな表情であった。


「安成さま、道風さま。この世にもまだ、美しき暁光ぎょうこうに照らされた未来があるのかもしれませぬな」


「ああ、生まれた一族を裏切ったこのオレが、いまこうして笑っていられるのだからな。

 ――晴秋、おぬしのうたう誰もが愛し合う世界、どうやら絵空事ではないようだな」


 道風が梨乃たちと笑い合う少年を見て言うと、その父が静かにうなずいて応じる。


「うむ、此度こたびの一件でその希望を見た。道のりははるか遠く続いておるが、歩みを止めぬ限り、いつか必ず至るであろう」


「ん? 道風、俺をよんだか?」


 振り返る少年に、長身の少年はふっと笑みを返した。


「なんでもないさ。このお人よしめが」


「なんだよ、お人よしで悪うございましたな」


「――フッ。まあそんなことより、そろそろ任務の時間だぞ」


「おっと、そうだった。今日は珍しくみんなでの任務だったな。では父上、母上。行ってまいります!」


「うむ」「気を付けてね」


 当主とその奥さんに見送られ、晴秋たちは今日も己が使命を果たすため日の本を駆ける。



 いずれたどり着くべき、安寧の未来へ至るため――。



《完》

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傾国妖討伝 佐江木 糸歌(さえぎ いとか) @enju1111

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