第37話 永久の誓い

「――晴秋っ!」


「――おっと!」


 平穏が舞い戻り、妖炎神社の巫女であり、実は妖狐でもあった少女は、逢いたくて逢いたくて仕方なかった少年の腕に飛び込んだ。晴秋は彼女を優しく受けとめ、そっと抱きしめる。


「うわあああああああん! 怖かったよおはるあきいいいい!」


「ああ、すまぬな。昨日むりにでも神社まで送ってやるべきだった。――だが、無事でよかったよ」


 おのが判断の甘さへの後悔と、それをかき消すほどの安堵。それを噛みしめながら、愛しい少女に声をかけた。


 それで安心とともに、梨乃がずっと押し殺していた感情の波が決壊した川のごとき奔流となってあふれ出す。


「……ひぐう! ホントに、ホントに怖かったのぉ! 暗闇でいきなり鬼に頭掴まれて、声を出す暇もなくおなか殴られて、捕まって……ひっく、気づいたら鎖につながれてるし、『オマエは最上のにえだ』とか言って着物脱がされるし、ムチで打たれるし、もうダメだって思ったのおおぉ!」


(――ッ! やつら、梨乃にそんなことを!)


 少年の中に渦巻いた鬼への激情は、しかしすぐに失われた。


「でも……気づいたら晴秋の腕の中にいて、それだけですっごく安心できて……幸せだった。

 ――だから。ありがとう、晴秋。大好きだよ」


 わずかに涙の残る満面の笑みでそう言って、梨乃は柔らかな唇をそっと晴秋のそれに重ね合わせ――。


「――ッ⁉」


 少年が怯んでいる間にぴょんと跳んで距離を置いて、弾ける笑みを放った。


 周囲からねっとりとした、あるいは清々しいほどのヤジや歓声があがる。が、普段なら真っ赤になってその場にしゃがみこむ晴秋も、このときばかりは恥じらいなど微塵みじんもなかった。


 そして昨夜、梨乃にきちんと返せずにいた言葉をようやく返す。


「梨乃、一日待たせてしまってすまぬ。俺もずっと、昔からを愛している」


「――は、晴秋……」


 美しい薄紅色に顔を紅潮させる少女。その表情にふっと微笑を浮かべ、晴秋は続けた。


「――昨日キミが攫われ、美久や道風とのやり取りを経て、先刻再び生きて会えた時、俺ははっきりと分かった。そなたのことが好きだ。恐らく、他の誰よりも。

 ――だから。俺と付き合ってくれぬか? そう遠くない将来、夫婦めおとになる前提で」


 その言葉を嬉しそうに受け止める梨乃は、最後の確認をするような笑みで言葉を返す。


「……本当に私でいいの? 貴方あなたと私とじゃ、種族が違う。寿命だって、数百年の差があるわ。最後にどんな結末が待っているかも分からない。もしかすると、貴方は私をその手で浄化する時を迎えるかもしれないし、殺し合うかもしれない。

 人と妖しが結ばれるというのは、


 そして彼女は優しく微笑みを浮かべた。


「……それでも、私を選んでくれるの?」


 その答えは、揺るぎない自分の思いを伝えた時点ですでに定まっている。


「ああ、むろんだ。だが俺はそんな悲しい夫婦になる気は毛頭ない。梨乃、そなたとなら、きっとこの上なく幸せな終焉を迎え、そこへ至るまでに最上の愛を築けると確信している。

 ……我が父と母が、そうであるように」


 もはやそうなる未来を一度見てきたかのような、そんな確信に満ちた表情で告げた晴秋が向けた視線の先。


 そこでは、彼の両親……人であり、妖討師・安火倍一族当主である父と、最強の術を扱う妖狐であり、梨乃の姉でもある母が、久遠たちに見守られながら、涙と笑顔の再会を果たし、愛情あふれんばかりの抱擁を交わしていた。


 彼らが交わし合う言葉や視線。それらには、ただ生きて逢えたことへの喜びと感謝しか見いだせず、将来の不安など万にひとつもありえない。


 晴秋は、梨乃とならば自分たちも両親と同じにれると、今なら疑いなくそう思えた。その思いは今や梨乃も同様であり、彼女は静かにうなずき、改めて晴秋を見据える。


「……分かったわ。私はもとよりそのつもりだったもの――。その言葉を聞いて最後の決心が固まったわ。――それじゃあ晴秋、改めてよろしくね」


「ああ、こちらこそ!」


 ここに揺るぎない将来への誓いを立てたふたりは、これまでとは異なる新たな関係をかみしめながら静かに抱擁を交わした。


 その様子を、どこか羨望の思いを込めた不敵な笑みで眺めていた長身の少年は、ふと自分の横に立つ小柄な少女に視線を向ける。


「……美久」


「? はい、どうなさいました、道風さま」


「……ほう、その返しはさすがのオレも想定外というものだ」


 道風は、なおもきょとんとする晴秋の付き人である美久に分かるように、晴秋たちを一瞥いちべつした。


「おぬしはこの結末で本当によかったのか?」


「それはどう意味です?」


 怪訝な表情で聞き返す少女。


「これまで何度かおぬしと晴秋を共に見てきたからこそ言える。おぬしがあやつへの恐ろしく献身的な振る舞いは、なにも?」


 そこでようやく道風の言わんとするところを理解し、わずかに赤らめた顔で両手を振り上げた。


「わ、私は確かに晴秋さまを敬愛しています! ですが……いいえ、だからこそ晴秋さまの幸せは私にとっての幸せですので! 羨ましいとか、嫉妬心のような邪念はあ、り、ま、せ、ん!」


「ほ~う……」


「な、なんですか! その意味ありげなジト目は!」


 珍しく他人に食って掛かる美久。彼女を軽くあしらいながら、少年は久しく胸の奥に封印していた穏やかな表情を浮かべた。


(直属使用人に過ぎぬ小娘がここまで感情豊かに成長し、主のために尽くしているとは……。寝返り先選びはこの上なく良い判断だったようだ――)



 これでようやく、何を恐れることなく部下や仲間を大切にできるのだから……。



 だがそんな胸の内を素直に言葉にする道風でもない。


「フフフ、まあ無理もない。あるじが部下の小娘に贈り物など、あやつのような狂人にしか思いつかぬ不意打ちだ。そのうえ可愛いなどと素直な言葉で伝えられては、逆に好きになるなというほうが無茶というものであろう。心を偽ることもなかろうに」


「――ま、まだ言いますか!」


 我慢の限界を迎え、ついに道風を追いかけ始める美久。それを『不敬者』などと突っぱねることなく、意地の悪い笑顔で逃げる少年を見て、晴秋も穏やかに微笑した。


「……よかった。きっとあれが、偽りのない道風の姿なのだろう」


「ふふ、そうね」


 当然のように手を繋ぎながら、晴秋と梨乃……そして安成と一葉たちも、その光景を静かに見守るのであった。

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