第11話 至上の最期

 ほどなくして儀式の準備は完了し、境内に『浄』と刻まれた五芒星が展開。神社の敷地をすべて覆う結界が張られた。


 これは晴秋の妖術で、妖討師の力を持つ『四尊大師』より高位の者ならほぼ全員が使用できる。


 その間に妖狐の夫婦は、法蓮から儀式についての説明を受けていた。その途中で晴秋と目が合った狐の翁が改めて頭を下げる。


「……晴秋さま、どうかよろしくお願いいたします」


「はい、もちろんでございます」


 彼が笑顔で返すと、それまで静かに準備を手伝っていた美久が口を開く。


「あの、晴秋さま。具体的には『討伐』と『浄化』はどう異なるのですか? それに、この神社で行う必要はあるのですか?」


 晴秋は、これまでの浄化任務に彼女が同伴したことがなかったことを思い出し、その疑問に応じた。


「そうだな、浄化と討伐。どちらも妖しの魂を『妖討護符』で浄化し昇天させる。

 それだけ見れば大きな相違はないが、あえて違いを述べるとすれば、浄化は妖討師と妖しの間に信頼がなければ成り立たないことかな」


「……信頼、ですか?」


「ああ、彼らを見てみろ。なにか思うことはないか?」


 彼が視線を向けたのは、浄化を待つ妖狐たち。少年に従い、従者の少女は視線を動かす。


「……そう、ですね。確かに彼らはご年配の夫婦です。でも、今すぐ寿命を迎えるようなほどではない……と、そう思います」


 彼女が素直に言うと、晴秋はそれにうなずいて。


「そうだ。彼らにもいわゆる天寿というのはある。だが、種によって異なる魂の寿命と言われるものが別にあるんだ」


「た、魂の寿命……ですか?」


「そう。肉体の衰えに伴って、精神も徐々に衰退していく。それは人間も同じことが言えるが、妖しの場合は老化が進み、ある一定の段階を超えると自分自身が解らなくなる。すると、妖怪としての激しい本能に対する抑制がなくなり、見境を失ってしまうそうだ」


 その現象は種によって差があるが、多くの場合予兆がない。そのため人と共生する妖したちは、最期に人間を傷つけたくないと、魂の寿命を迎える前に……人を愛した自分であるうちに、穏やかな死を迎えたいと自らの浄化を望むのだ。


 それを聞いた美久は、もう一度妖狐たちに視線を向けた。


「……彼らはそこまで、私たちのことを……」


「ああ。たとえそれ抜きに考えても、暴走して死を迎えることは苦痛だろうから、俺たちに穏やかな最期を依頼することは分かる。でもさ、もし自分が妖しの立場だとして、そういう最期を選ぶとなれば、やっぱり絶対的な信頼のおける相手じゃなきゃ、そんなこと頼めないだろ?」


 少女がそれに無言のうなずきをもって応じると、晴秋はふっと笑みを浮かべる。


「……だから、浄化依頼を受けるってことは、それだけ信頼されているってことなんだ」


 ふたりの会話がそこで途切れたとき、法蓮が準備完了を告げた。晴秋は依頼者たちのもとへ歩み寄り、彼らから受け取った書状に血判を押す。


 この書状は、浄化を依頼する妖しが遺言状とともにしたためる同意書だ。浄化依頼が間違いのない事実であることを証明するもので、本人と家族などの親しい者。そして浄化を担当する妖討師がそれぞれ承諾の血判を押す。


 それらすべてが揃っていなければ、術師は浄化を実行できない。


 晴秋は、同意書の血判が偽造ではないことを確認し、やがて静かに告げる。


「……では、これより浄化の儀を執り行います。狐也さま、里稲さま、最終口頭確認です。

 貴方がたは確固たる己の意志で、我らによる浄化をご選択なされた。これに一切の相違はございませぬか?」


「……はい、偽りはありません」


「私も夫と同じです。この結末を迎えること、それすなわち至上の仕合しあわせであると、そう感じております」


 彼らの揺るぎない答えを受け、晴秋はいよいよ『浄』と刻まれたお札を準備し、依頼者たちを輝く五芒星の中心へ案内した。


 最後まで感謝の言葉を惜しみなく述べる妖狐たちを見て、なにか言いたげな美久が駆けよる。


「ん? どうしたんだ美久」


 不思議に思った晴秋が尋ねると、彼女はこくりとうなずいて狐の老夫婦に顔を向けた。


「あ、あの。……浄化の儀に立ち会うのは今回が初めてで、よく分からないのですが、その。……まだ生きられるとしても、こういう形で終わるほうがやはり幸せなのですか?」


 少女の疑問に、老婦人が優しく答える。


「そうだねぇ、こればかりはそれぞれの生き様、死に様によると思うわ。私たちは妖しだからね、いずれすべてが剥がれ落ち、妖怪の本能だけが残って最期を迎える。でも私と夫は、自分たちを見失う前に……そう、貴方たちと同じ、として最期を迎えたかったのよ」


 穏やかにそう語る彼女はふっと温かな笑みを浮かべ、言葉を詰まらせたまだ若い少女の手を優しく握った。


「でも貴女は人間だから。叶うならばどうか、その胸の鼓動が失われる最後の瞬間まで、天寿をまっとうしてほしい。それが、貴方たちにとっての幸せな最期だと私は思うわ」


「――はいッ! 里稲さま。私、この命を大切に、きっと最後の瞬間まで生きます。そして、里稲さまや狐也さまのような、お優しい妖しの方々を多く助けていきます」


 妖狐たちは、わずかに熱を帯びた美久の言葉にうなずき、春の陽光がごとき笑みを浮かべる。


「ありがとう。貴女のような人間がこの世にいるのなら、いつかきっと、すべての妖しと人は分かり合えるわ」


「うむ。叶うなら儂もいつか、そのような世界に再び生を受けたいものよ」


 彼らが、胸のうちに秘めた遠い未来への願いを明かしたとき、ついに晴秋の術が発動した。結界内に浄化の力を含む妖力が溢れ、老夫婦の足もとに輝く五芒星から青白い業火が発生する。


 それは妖狐たちの周囲へ拡がり、やがて彼らを優しく包み込んだ。


 優しく燃え上がる炎の中で、老夫婦は穏やかな表情を浮かべ、感謝の涙を浮かべる。


「……ああ、聞いていた通りまったく熱くもなく、苦しくもない。本当に感謝します、晴秋さま」


「……うむ、妻の言葉通りじゃ。このように穏やかな最期はそう在り申さぬ。晴秋さ。そのお優しい御心を、どうか末永く大切になさってくだされ」


「……はい、必ず」


 少年が強くうなずいた時、妖狐たちの姿は浄化の炎とともに天に昇り、彼らの気配は完全に失われた。


 浄化後、すべてが終わった神社にひと時の静寂が訪れたが、やがて晴秋がその時間に終止符を打つ。


「……よし、これで問題なく浄化の儀は終わりだ。じゃあ法蓮さん、あとは頼むよ」


「はっ、お任せを」


 うなずいた宮司はその場で静かに合掌し、弔いの言葉を捧げる。それは五分ほど続き、境内にはまた静かな時が流れた。


 彼が弔いを終えると、晴秋は神社に展開している結界を解除する。それを待って法蓮は、年若い上司にねぎらいの言葉をかけた。


「晴秋さま、誠にお疲れ様でございました」


「いいや、俺はただ仕事をしただけだよ」


 彼がそう謙遜すると、お付きの少女が最後の弔いは何なのかと問う。晴秋はふと青空をみあげ、彼女に答えた。


「あれは、妖しの魂を確実に浄化するための祈りだよ。中には浄化の儀を滞りなく済ませても、わずかに残留する妖力が暴走することもある。それを防ぐために、由緒正しい神社の宮司さんにしっかり弔ってもらう。この神社は、それに特化した場所なんだ」


「なるほど……。あっ、だから『妖光神社』と言うのですか?」


「そうだ。『妖しの行く末にも希望の光あれ』。という願いが掛けられている。だからここは、関係者以外立ち入れぬ聖域なんだ」


 晴秋が説明してやると、美久はすべてを納得したようにうなずいた。

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