第22話 〝前王殺し〟

「ア、アイリーン……」


 久しぶりに会うアイリーンは、実家にいた頃と全く変わっていない。

 緩く波打つ栗色の髪も、卵型の愛らしい顔も、ぱっちりした目も、白いフリルをあしらった赤いドレスも。

 だけど、その目の奥にある感情だけは、あの頃よりもひどく濁っていた。


「……本当に、お義姉ねえ様は天恵姫なのね。とっても綺麗なドレスに素敵なアクセサリー、それにお化粧まで……ちょっと前までは、とぉってもみすぼらしくて、惨めな姿だったのに」

「っ……」


 何か、何か言い返さなければ。

 そう思っていても、長年染みついてしまった義妹への恐怖は簡単に拭えるものではない。

 思い出すのは、継母メディテとアイリーンによって虐げられた日々。


 母の形見のドレスを奪われただけでなく、目の前でそれを焼かれた。

 アクセサリーは全部質屋に売り飛ばされ、市場で売り残りだった交ぜ織り服を着せられた。

 凍傷で血の滲む指で一日水回りの仕事をさせられ、躾と称して熱した火掻き棒で折檻された。


 ローゼの魔法で全身にあった傷が治ったとはいえ、それでも心の傷まで治せるわけではない。

 ドレスの下でガクガクと震える脚を、なんとか持ちこたえさせていると、アイリーンは手に持っていた羽根飾り付きの扇を広げて口元を隠す。


「それにしても、お義姉ねえ様があのエレン様の伴侶になるなんて……王妃様も酷なことをしますわね。いくら天恵姫とはいえ、お義姉ねえ様みたいな方にあんなに美しい方をあてがうなんて」

「…………そ、それは……」

「ああでも、ある意味ではお義姉ねえ様みたいな人にはぴったりだと思うわ」


 そう言って、アイリーンは口角を吊り上げる。


「――なんせ、エレン様は〝前王殺し〟の疑惑がかけられているのですもの」

「…………………え?」


 嘲笑いながら告げたアイリーンの言葉に、マナは大きく目を見開いた。

 前王ハインリヒ・ドルス・ヴィリアン。

 現王クリストファー・セルブス・ヴィリアンの父君であり、前王妃シャルロット・ヴァン・ヴィリアンの夫君である。


 彼の王が崩御したのは、一二年前に起きた暗殺によるものだ。

 ヴィリアン王国は精霊の加護が全土に広がっており、他国より作物の実りが多い分、魔物被害も多い。

 それでもこの国の豊かさを欲する諸外国は多く、今のヴィリアン王国の属国になっている国々はその恩恵にあやかっている。


 それでも一部の国では武力で手に入れようとする者が多く、先の前王殺害もそれが関係しているのではないかという噂が王都中で流れていたことは、屋敷の庭しか出たことのないマナでも知っている。

 そしてその暗殺者が、クリストファーによって討たれたことも。


「エレン様が……前王様を……?」

「ええ。いくら前王様が魔法がお得意じゃなかったとしても、【氷】属性の精霊と契約していたのよ。さすがに自衛の一つや二つができていておかしくない。それなのに殺された……その理由を、お義姉ねえ様は分かりますか?」

「…………………分かりません」

「あら、そうなの? なら教えてあげるわ。エレン様には、一〇歳になる前からすでに魔法の才能があったの。その力を使って、前王様を殺した……そう考えるなら、納得できるでしょ?」


 あまりにも強引な推理に、さすがのマナも口を閉ざしてしまう。

 確かに魔術師は精霊と契約する前から魔力を持っているが、精霊なしで魔法を行使することはできない。魔力はあくまで精霊との繋がりを保つための糧であることは、ジャクソンの講義で習っている。


(なのに……どうして、そんな噂が? エレン様は一体何を隠しているの……?)


 ジャクソンから聞いた話では、エレンは貴族の出らしいが、王族と関りがあることは聞いていない。

 単に話していないだけなのか、それとも本当に関りがないだけなのか、今のマナでは判断がつかない。

 無言のまま立ち尽くすマナに、アイリーンが何かを言おうとした直後、


「――マナ様!」


 息を切らしたエドワードが、マナとアイリーンの間に割り込んできた。

 精悍な頬には汗の筋がいくつもできていて、急いで駆けつけたことだけは分かった。


「マナ様、ご無事ですか!?」

「は、はい……」

「大丈夫よ。その厚顔無恥の女が何かをしようものなら、私が真っ先に黒焦げにしていたわ」


 肩に乗っていたイーリスの言葉には本気が含まれていて、心なしか尻尾の先に赤い火が灯っている。

 それを見たエドワードが「えげつな……」と戦々恐々の顔で呟いていたが、どうしてそんな顔をしたのか分からなかった。


「痛い、痛ぁい! ちょっと、放しなさいよ!」


 アイリーンの悲痛な声を聞いてエドワードの横から覗くと、ティリスがアイリーンの腕を掴み上げて後ろに捻り上げていた。

 いくら魔術師でも、肉体は年相応の少女そのもの。痛みから解放されるためにアイリーンが呪文を唱えようとするも、ローゼがエプロンを引きちぎるとそのまま口に巻き付かせた。

 あまりの早業に、イーリスは「まるで手品みたいね」と感心したように言った。


「申し訳ありません! まさか私達が離れた隙に接触するなんて……すぐに追い出します! マナ様、もうしばらくそちらでお待ちください!」

「大丈夫。俺が護衛をしておくから、その令嬢はさっさと裏通りに停めてある馬車に放り込んでこい」


 まるで荷物扱いの言葉を吐き捨てるエドワードにぎょっとするも、他の二人は何も言わずそのまま両脇で身柄を拘束させると、ずるずるとアイリーンを引きずるように離れる。

 当然アイリーンは暴れたが、口が布で塞がっているせいでくぐもった声しか発せない。周りが奇異と軽蔑の眼差しを向けているのを呆然と見ていると、エドワードはすぐさまマナの方を振り返ったかと思うと、勢いよく頭を下げる。


「マナ様、こちらの不手際でパルネス男爵家の者との接触を許してしまいました。大変申し訳ありません」

「そんな……気にしないでください。私がもっと周りを気にしていたら、こんなことになっていなかったんです」

「いいえ。此度の件は、御身を守れなかった我々の責。どうか、あなた様の手で罰してください」


 そう言うエドワードに、マナはさらに困惑してしまう。

 誰かから罰せられることはあっても、誰かを罰することのない自分にとって、この場合どちらが正解なのか分からない。

 分からないからこそ、マナは三つ目の選択という名の『逃げ』を選んだ。


「……では、罰する代わりに一つだけ教えてください。アイリーンは、先ほど……エレン様が〝前王殺し〟の疑惑があると言いました。それはどういう意味ですか?」


 マナが選んだ『逃げ』は、ある意味ではエドワードに衝撃を与えた。

 ずっと床に向けて下げていた彼の頭がばっと上がり、目を見開きながらマナを見つめる、

 彼の赤い双眸に映る自分の顔は、とても真剣なものに見えたと他人事のように思った。


「…………それは、俺自身も全容を知りません。ですが、エレン様がそのような濡れ衣を着せられているのは事実です」

「そう、なのですか……」

「それでも、俺はあんな噂は全部デタラメだと信じています。これでもまだご安心できないのでしたら……エレン様に直接お聞きした方がよろしいかと」


 エレンに直接聞くというのは、確かにエドワードの言う通りかもしれない。

 しかし、彼が正直に答えてくれるのか怪しい。

 いくらなんでも答えると言っても、自分のことを話さない彼を信じるのは難しい。


「恐らく、今回の件を聞きつけてエレン様もお顔を見せにくるでしょう。その時にお聞きください」

「…………はい」


 あからさまにがっかりした様子と緊張した面立ちをしたマナに、エドワードは困ったように髪を掻くのだった。

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