第6話 もうお嫁にいけない発言はある意味無意味

 クリストファーの退場後、エレンは先ほど会話していた三人を連れてどこかへ行ってしまった。

 戸惑うマナに、二人の少女が現れる。一人は腰まで伸ばした赤髪をしたメイド、もう一人はマナと同じく背中まで伸ばした焦げ茶色の髪をしたメイド。

 年はマナと同じくらいなのか、顔立ちと背丈はほぼ同じだ。


「あ、あの……?」

「初めまして、マナ様。本日付けで専属メイドとなりましたティリスです」

「同じく、ローゼです」

「せ、専属メイドっ?」


 ティリスと名乗った赤髪の少女と、ローゼと名乗った焦げ茶色の髪の少女の挨拶に、マナは上擦った声を上げた。

 パルネス男爵家でも、専属メイドはいた。

 しかしまさか自分も持つなんて夢には思わず、母親譲りの青い目を丸くしてしまう。


「まずは身なりを整えながら治療いたしましょう」

「お部屋にもご案内しますので、はぐれないでくださいね」

「へ、部屋……?」

「ええ。マナ様は今後、このフェルリエード城で過ごしてもらいます。天恵姫は身分問わず、国の保護下に入りますので」


 天恵姫はどの国に現れるか分からないが、必ず王族が保護しそのまま城で暮らすのが通例らしい。

 マナもその例には漏れず、今まで遠い場所だと思っていたフェルリエード城で暮らすことになる。


(本当に私がこんな綺麗な場所で暮らしていいの……?)


 いくら王宮側がマナの事情を知っているとはいえ、あまりにも分不相応だ。

 しかしそれを口に出せるほど、今のマナにそんな勇気はない。結局、ティリスとローゼの案内の元、マナはノースパレスに足を踏み入れる。

 緊張するマナに気を遣ったのか、ティリスとローゼは王宮について説明してくれた。


 フェルリエード城は十字の形をしており、それぞれ方角の名を冠したパレスがある。

 右回りからノースパレス、イーストパレス、サウスパレス、ウェストパレスの四つ、そして中央にはセントラルパレスがある。

 セントラルパレスは先ほどの謁見の間や大規模なパーティーが開催される大広間があり、今日の成人祝いのパーティーもそのセントラルパレスで開催するのだ。


 サウスパレスは城の玄関口で、王都住まいの王宮魔術師や騎士は毎日そこから登城し、たまに訪れる行商人や異国の客人もこの玄関口を利用する。

 イーストパレスはクリストファーや重臣達が政治を執り行う部署があり、関係者以外は基本立ち入り禁止。

 ウェストパレスは王宮魔術師や魔法騎士、衛兵の宿舎と職場があり、日中は稽古に励む王宮魔術師や騎士達の声が城壁越しからでも聞こえてくるらしい。


 そして今向かっているノースパレスは、王族の自室や他国の客が寝泊まりする客間、一部の王宮魔術師と専属の使用人の自室がある居城。

 今日からマナが使う部屋は、王族の自室がある最上階の一個下の階――つまり、今いる場所だ。


「ここが、私の部屋……?」

「そうですよ。クリストファー陛下やシャルロット前王妃の自室の上ということもあり、ここは謁見の間の次に警備の厚い部屋になります」


 マナの質問にティリスが答える間に、ローゼが恭しい態度で部屋の扉を開けた。

 部屋の中はパルネス家で使っていた自室……いや、家の中で一番広い部類に入るサンルームの倍の広さがあった。

 入って右手にはローテーブルとソファ、中央の真ん中には勉強用の机と座り心地のよさそうな椅子、そして奥にはマナが寝転んでも余裕の広さのある天蓋ベッド。


 下斜めの左手にはドレッサールームとバスルーム、それにウォークインクローゼットの扉がある。

 そしてベッドと机の間から左手先にあるのは、小さなバルコニー。ガラス張りの扉を開けると、フェルリエードの町並みが一望でき、さらに城の反対側にある海が地平線まで見える。

 屋敷から出たことがないマナにとって、その光景すらとても新鮮に見えた。


「すごい……」

「素敵でしょう? このお部屋、エレン様が一から用意したのですよ」

「……エレン様が?」

「ええ。マナ様の好みに合わせるように試行錯誤してくださったらしくて……いかがです?」


 ティリスとローゼに言われ、マナは改めて部屋を見渡す。

 壁と天井には居城らしく凝った装飾はあるも、色合いはとても落ち着いている。絨毯は毛足が長いおかげでふかふかしていて、よく見ると調度品はどれもあまり華美すぎていない。

 今までの生活のせいで派手な装いやアクセサリーに慣れないマナにとって、この部屋は屋敷の自室よりもひどく落ち着ける。


「……とても、素敵です。全部、私好みです……!」

「よかった! あとでエレン様にもお伝えしましょうね」


 マナの言葉に、ローゼが嬉しそうに声を上げる。

 すると、ティリスはバスルームの扉を開けた。手前に洗面台とトイレ、その衝立の向こうには真鍮製の猫足をしたバスタブがあり、すでにお湯が張ってあった。


「さあ、マナ様。その嫌がらせみたいなドレスを脱ぎましょうか」

「ぬ、ぬぬぬぬ脱ぐ!?」

「そうです! これから大事なお披露目があるのですから、早く身なりと整えないといけませんよ!」

「あ、あの、じ、自分で脱げますからぁ~~~!」


 マナの反抗虚しく、ティリスとローゼによってドレスと下着を脱がされ、アクセサリーも容赦なく外された。

 熱くも温くもないお湯を頭からかけられ、マナが朝から必死になって塗った髪油を落とされると、そのままバスタブに浸かる。


 今まで季節問わず井戸の冷たい水で身を清めていたマナにとって、久しく感じてなかった温かさにほっと息を吐いた。

 バスタブになみなみ入ったお湯は透明ではなく淡いピンク色で、聞けば最近王都で人気の薔薇の入浴剤を入れているらしい。


「うう、もうお嫁に行けません……」

「何を仰いますか。来年になれば、マナ様はエレン様とご結婚なされますよ?」

「結婚……」


 マナにとって結婚のイメージは、あまりよくないものだ。

 父は祖父の命令で母と政略結婚するも、その障害と邪魔者がいなくなると喪が明ける前に継母と恋愛結婚した。

 父にとって母は祖父に押しつけられた迷惑な女で、その娘であるマナも継母とアイリーンが現れたことでいらない存在になった。


 結婚で人を変えてしまうことを知っているマナにとって、自分が幸せな結婚をできるイメージがない。

 自然と暗い表情になったマナを見て、二人は察したのかそれ以上何も言ってこなかった。


「……事情は聞いていましたが、あちこちに傷がありますね。打撲に擦り傷……こっちは火傷だわ。なんてひどいことを」

「そうね。これは治癒魔法をかけないと。ローゼ、お願いできる?」

「ええ、任せて」


 マナの全身に残る傷を見て、ティリスが険しい顔をする。

 これまで受けた傷の数々は、同じ女性である彼女たちにとっても見ていられないほどのものなのだろう。

 しかしローゼに声をかけると、彼女は頷いて右手をマナの前にかざす。


「コール・ディア・ローゼ――優しき水よ、かの者の傷と痛みを癒せ」


 それは、精霊と契約した魔術師が使う魔法。

 ローゼの右肩から鳥の姿をした【水】の精霊が現れ、いくつもの水玉を生み出す。

 ふわふわ浮かんだ水玉が体の中に吸い込まれていくと、徐々に傷や痛みがなくなっていった。


「すごい……!」

「ローゼは子爵家の令嬢で【水】の魔術師なんです。私も同じく子爵家の出で、【火】の魔術師です」


 驚くマナの後ろで、ティリスは笑いながら教えてくれる。

 後ろを振り返ると、ティリスの肩にも【火】の精霊がいて、同じく鳥の姿をしていた。


「えっと……お二人は貴族なんですか?」

「私達がというより、ここで働くメイド達は全員貴族出身ですよ。このフェルリエード城は、貴族令嬢が唯一働ける職場ですから」


 ローゼの答えに、マナはなるほどと納得する。

 貴族令嬢には、魔術師になるか否か問わず二つの道がある。

 一つ目は奉公として王宮で働くこと。二つ目は他の貴族の家に嫁ぐことだ。


 アイリーンは後者に該当するが、ティリスとローゼは前者を選んだのだと言った。

 マナも本来同じ選択肢があるのだが、それは一〇歳の時に全て父と継母によって取り上げられた。

 そのせいでロクな淑女教育を受けられず、簡単な読み書きと計算しかできない。


(私……これから先、上手くやっていけるのかな……?)


 考え込んで再び暗くなったマナに、二人は慌ててタオルを持つ。


「は、早く上がりましょう! このままではのぼせてしまいます!」

「そうですね! それに、この後お化粧をしてドレスに着替えますので、急ぎましょう!」

「は、はい!」


 二人の言葉に我に返ったマナは、慌ててバスタブから出る。

 ローゼの魔法の影響なのか、足元のマットについた両足は、残っていた傷跡だけでなく、乾燥でがさがさになったところが綺麗になっていた。

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