第11話 究極の選択、頭によぎる疑念

「本来であるならば、あなた方は天恵姫の正統な親族。パルネス家には天恵姫の生家としての名誉の他に、国から様々な褒賞と特権を賜れます。ですが……今回はその名誉も褒賞も与えられません」


 開口一番に伝えられた内容、ガルムは汗を流しながらエレンに噛み付く。


「な、何故です? マナは我がパルネス男爵家の、れっきとした私の娘なんですよ!?」

「――娘? どの口でそれを言っているのですか?」


 しかし、軽蔑を隠さない目で睨まれ、ガルムだけでなくメディテとアイリーンも顔を青くする。

 心なしか応接間の空気が冷たくなったような気がした。


「天恵姫誕生後、王宮は彼女の生命が脅かされないよう二四時間監視する義務があります。たとえ情報が漏れて悪党が現れたとしても、すぐに対処できるように」

「か、監視ですって……? では、王宮は……国王陛下は……」

「ええ、全てご存知ですよ。メディテ・パルネス夫人……いいえ、メディテ・ローマンさん」

「!?」


 エレンの口から出たのは、メディテの旧姓。

 久しく聞かなかったその名に、彼女の顔から動揺が走る。


「あなたが平民であることも、パルネス男爵と恋仲にもかかわらず政略結婚のせいで引き離されたことも、パルネス前男爵とマナの母君が他界してすぐ再婚したことも……そして、あなたがそのことを根に持ち、彼女を十何年も虐待し続けてきたことも。全部、王宮は知っています。……これがどういう意味なのか、お分かりですよね?」

「……あ、ああ……!?」


 あまりにも淡々と告げられた内容を聞いて、メディテは顔を青くしながら絶句する。

 彼女の右隣に座るアイリーンも、初めて知った事実を聞いて、顔色を青くしながら冷や汗を流していた。


「わ、私も妻も知らなかったのです! マナが天恵姫だったなんて! 最初から知っていれば、こんなことにならなかったのです……!」

「当然です。天恵姫関連の情報は、国家の機密そのもの。たかが【銅】の一人であるあなたに、その機密を話すなどありえません」

「……っ!!」

「本来であるならば、この事実をすぐさま公にし、観衆の目の前で一家断絶にしたいところですが……国王陛下の慈悲により、あなた方の命は奪わないことになりました。しかしその代償に、本来与えられるはずの名誉と褒賞は、マナの母君の実家であるフォーリアス家に全て譲渡。そして無期限のマナへの接近禁止令。この条件を呑めば、あなた方は無罪放免。今まで通りの生活が送れます。悪い話ではないでしょう?」


 目の前で座るエレンの提示した条件を聞いて、ガルムは絶句しながらも両膝の上に置いていた手がズボンを引きちぎれると思うほど握り締める。

 天恵姫の名は強大だ。その生家の人間となれば、数多の貴族がパルネス男爵家を無視することはない。

 それどころか、今まで以上の権力と地位を手に入れることすら容易になる。


 それを手放すということは、パルネス家は変わらず落ち目の一途を辿り、いつしか必要とされなくなる。

 手放したくない富と権力。しかし手放さなければ、自分達の命がない。


(フォーリアス……なんで今更、縁の切れた連中に全てを渡さないといけない……!)


 フォーリアス家。

 ヴィリアン王国の国境付近に広大な領地を保有している辺境伯家で、生家のある領地から王都までは馬車で一週間かかる。

 しかし王都や他の地方では採取できない魔法素材が多く生息しているだけでなく、彼らは他国や魔物からその土地を守護を担っているため、国事や重要な私事以外では絶対に領地を出ないことで有名だ。


 マナの実母であるクレア・フォーリアス辺境伯令嬢は、【風】の魔術師としての腕も確かなもので、過去に彼女が先頭になって倒した魔物は優に三〇〇を超える。

 貴族令嬢らしからぬお転婆な娘ではあったが、誰にでも分け隔てなく優しい美しい女性だった。


 しかし例の大飢饉と流行り病によって、領地は枯渇し輸出する予定だった魔法素材が全て駄目になり、多くの商会から多額の賠償金を抱えることになった。

 そこに目をつけたのが、ドルフィス・パルネス前男爵――ガルムの父であり、マナとアイリーンの祖父だ。


 父はフォーリアス辺境伯に恩を売り、魔法素材による収益の何割かを献上する代わりに、クレアをガルムの正妻として娶るという条件を取り付けた。

 家の存続のためクレアはこの条件を呑んだが、ガルムはひたすら拒否した。

 貴族にとって政略結婚は珍しいことではない。しかしガルムにはメディテという、クレアに劣らず美しい恋人がいた。


 彼女は平民であったが、ガルムのことを愛してくれていた。

 だからこそメディテが正妻として娶りたかったが、父はそれを許さず、婚姻の日までガルムを部屋に閉じ込めた。

 無論ガルムは前日までクレアとの婚姻を拒絶したが、


『――この婚姻を呑まなければ、例の女は私の方で始末する。貴様のせいで愛しい女が死ぬのは嫌だろう?』


 その脅迫によって、ガルムはクレアの婚姻を結ぶことになった。

 好きでもない女と愛の誓いを交わすことも、後継者を残すためだけにした夜伽も苦痛で仕方がなかった。

 夫婦仲は冷めていたが、それでもクレアは淑女としての佇まいを忘れず、常に良き妻としてそばに居続けた。


 不本意な婚姻から一年後、クレアはマナを出産した。

 最初の子供は好きな女との間ではなかったが、産まれた子供はひどく愛らしく映り、人並みに可愛がった。

 しかしその二年後にパルネス前男爵とクレアが急病で他界し、パルネス男爵家の当主となったガルムはすぐにメディテを後妻として迎え入れた。


 後は、知っての通り。

 メディテはガルムとの仲を引き裂いたクレアとその娘のマナを恨み、昨日まで思いつく限りの虐待を行った。

 彼女が精霊と契約できなかった落ちこぼれになったことがさらに拍車にかけ、ガルムはマナを無能として見捨て、アイリーンを一人娘として扱うようになった。


 そう。本当なら今日の成人祝いのパーティーで、マナは適当に用意した地味なドレス姿のまま家を追い出し、そのまま野垂れ死にするはずだった。

 だが、その無能が天恵姫だった。

 その事実は現実で、今の自分達は長年天恵姫を苦しめた罪人。


 つまり――彼らに残されているのは逆らって死ぬか、従って生きるか。

 どちらを選んでも悲惨な結果になるのが明白な、たったその二つの道しかない。


「あなた……っ」

「お父様ぁ……」


 決断を決めあぐねているガルムに、メディテとアイリーンは縋るような視線を向けてくる。

 大切な妻と娘。クレアとマナがいなければ、自分達は三人家族で上手くやれた。

 しかしその大切な二人の命も、ガルムの選択によっては消されてしまう。


 ならば、ガルムが選ぶのは当然一つしかない。


「……承知しました……その条件を呑みます…………!」


 ガルムが選んだのは、生。

 天恵姫の恩恵によって得られる褒賞も権力を捨てることを選んだ彼に、エレンは美しくも冷たい笑みを張り付けた。


「そうですか。あなたにしては賢明な判断です、パルネス男爵。この選択によって、あなた方は国によって生かされている……そのことを、決して忘れないでくださいね」



 エレンは王宮から出て行く一台の馬車を、応接間の窓から見つめていた。

 その馬車はパルネス男爵家が所有する馬車の中で一番綺麗なもので、今頃あの中ではお通夜の空気が広がっているだろうが、そんなことエレンが知ったことではない。

 

(ひとまずあれで収めましたが……彼らのことです、偶然を装って接近することがあるでしょう。念のため、マナの周辺の警備を強化するよう陛下に進言しますか)


 そこまで考えて、エレンはあることを思い出す。

 天恵姫の予言は王族と重鎮、そして【黄金】と一部の【銀】しか全容を知らない。

 伴侶として選ばれたエレンも、天恵姫誕生の予言の内容は覚えていた。


『春が夏へと移り変わる前の月に、精霊王に選ばれし天恵姫が誕生す。その貴き娘を産む聖母は、フォーリアスの娘クレアなり』


 この予言によってクレアも天恵姫の実母ということで、彼女の情報も厳重に隠匿していた。

 だからこそ、不可解な点がある。


(予言に伝えられていたのはマナの母親のことだけで、父親は特に明記されていなかったから相手は誰でもよかったはず。しかし、その同時期にフォーリアス辺境伯領で異変が起きたのはあまりにも不自然だ)


 そこにパルネス前男爵からの援助の申し出。

 あまりにも用意周到すぎる。まるで、こうなることを知っていたかのように。


(この推測から考えるに……天恵姫の予言を王宮の誰かがパルネス前男爵に告げたこと。そして、マナを手に入れようとしている輩が王宮内に今もいること)


 もちろん確固たる証拠はない。

 だけど、それしか考えられなかった。


「…………………少し調べないといけませんね」


 パルネス前男爵のこと、王宮に潜む簒奪者のこと、そしてフォーリアス辺境伯領を襲った異変のこと。

 時間はかかるかもしれない。証拠は全てなくなっているかもしれない。

 それでも、彼女の平穏と幸せを守るためならば、エレンはなんでもしてみせる。


 たとえそれが、己の手を血で穢しても。

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