第10話 天恵姫が眠る裏側では
白を基調とした天蓋ベッドの上で、専属メイド二人の手によってドレスからネグリジェ姿になったマナは、時折荒い息を吐きながら眠っていた。
日焼けしていない真っ白な顔は紅潮し、額からは大粒の汗が流れている。
それをエレンが優しくタオルで拭い、すぐに水桶で濡らした。
今、マナを苦しめているのは、
魔力熱は、体と魔力のバランス調整のために一時的に起きる現象のこと。
いくらマナが成人した他の貴族令嬢より細身で背は低くても、普通に暮らしていたら魔力熱など起きない。
しかし魔力の増加は質のいい食事と睡眠が重要視されており、パルネス家では必要最低限しか与えられていないマナにとって、魔力は見習い魔術師と同じくらいしかない。
その上、精霊王イーリスの本契約には、その倍の魔力を必要とする。
荒療治になったが、
だが、問題はその後に起きた。
そもそも精霊界の食物の中で上位にあたる
それも滅多なことでは用意しない最高品質を同時に摂取したことで、マナの中にある魔力は急激に増加。結果、肉体がその反動に耐え切れず、こうして魔力熱を出してしまった。
魔力熱が厄介なところは、治癒魔法では癒せない。つまり自然治癒に任せるしかないのだ。
精霊王ならば治せるかもしれないが、肝心のイーリスはマナの枕元で丸まっており、小さく寝息を立てている。
精霊は本来病気や怪我はしないが、契約すると契約者の容態を感じ取り、その時の状態で力が左右される。
イーリスは今のマナの状態を確認すると、己の力を使わず、彼女自身が回復するまで静かに眠ることに徹する方針を選び、エレンが近くにいても微動だにしなかった。
(初めて魔力熱を出した時、僕はどうしたんだっけ?)
冷やしたタオルを額の上に置いた後、ベッドの横に置いた椅子に腰かけながら、エレンは遠い過去を思い出す。
あの時は何度も熱が上がっては下がりを繰り返し、一向に良くならない己の体に苛立つも泣きながら母を呼んでいた。
それで呼ばれた母は、エレンの頭を優しく撫でて……ああ、そうだ。こう言ってくれた。
「……大丈夫ですよ、マナ。目が覚めたら、頑張ったあなたのためにお茶会をしましょう。美味しいお茶とお菓子を用意します。ですので……早く元気になってくださいね」
『大丈夫よ、エレン。目が覚めたら、頑張ったあなたのためにお茶会を開いてあげるわ。美味しいお茶とお菓子を用意してあげるから、早く元気になるのよ』
そうだ、今のエレンと同じ言葉を言ってくれたのだ。
それを聞いて、マナがふにゃっと口元を緩ませたところも、あの頃の自分とそっくりだった。
思わず笑っていると、扉がノックされる。
その音に反応したエレンは、さっきまで浮かべていた笑みを消すと、マナの頭を優しく撫でた後、そのままベッドから離れる。
静かに扉を開けると、ティリスとローゼが頭を下げながら言った。
「……エレン様。パルネス男爵とそのご家族を、応接間にご案内いたしました」
「分かりました。では引き続き、マナの看病を頼みます。彼女が目覚めるまで、僕や王族の方々以外は絶対に通さないでください」
「「かしこまりました」」
エレンの指示に、二人はカーテシーをしながら答える。
ティリス・ベルムンク子爵令嬢と、ローゼ・ムーンリヒト子爵令嬢。
彼女達は昨年、数多にいる志願者の中から選ばれた【白磁】の王宮魔術師だ。
二人の実家がある領地はどちらも魔物被害が多いということもあり、幼少期から何度も魔物討伐を経験している。
そのため、魔法の腕は王立アカデミーで勉強していただけの貴族令息・令嬢と比べて上、むしろ【銅】と大差なかった。
地方の貴族は王都の貴族より多く領地は持つが、その分貧しい傾向にある。
二人は令嬢の身でありながら身の回りは基本自分達でやり、時には年老いた祖父母や下の子の世話をしていた。
そのスキルの鷹さに目をつけたエレンは、半年前に二人を天恵姫の専属メイドとして推薦させると、言い渡された本人達は驚きながらも期待に応えてみせると言ってくれた。
結果、天恵姫専属メイド選抜試験は二人とも無事合格。
今後は専属メイドとしてはなく、マナの淑女教育の講師や護衛としてそばに置くことが増えるだろう。
それを任せられるほど、二人は魔術師としても人格者としても優れていた。
(もっとも、僕がこれから相手にするのはこの二人より劣りますがね)
【黄金】にしか与えられない、金刺繍が施された黒のローブを翻しながら、エレンはセントラルパレス一階にある応接間に向かう。
本音を言うならば会いたくない、彼女をあそこまで弱らせた元凶達の顔を思い出しながら。
(――どうしてこうなっているんだ?)
ガルム・パルネス男爵。
王都住まいの貴族の中では下位に位置し、【銅】の王宮魔術師として働いているパルネス家現当主。
彼は今、妻のメディテ・パルネス夫人と娘のアイリーンと一緒に、セントラルパレスの応接間のソファに座っていた。
向かい合わせに置かれたソファとローテーブルしかない室内は今、重い沈黙が下りていた。
その理由は、ガルムにとって長女にあたるもう一人の娘、マナだ。
(マナが天恵姫だと? そんなこと、私は知らなかった。そうだ、知らなかったんだ……っ)
天恵姫。
魔術師が契約する精霊、その王たる精霊王と契約できる唯一無二の存在。
選ばれるのがうら若い少女のみということでこの名が名付けられ、天恵姫が現れた国は総力を持って厳重に保護し、敵が現れれば何を犠牲にしても徹底的に排除する。
それほどまでに、天恵姫と精霊王の恩恵は強大なのだ。
ガルムもその話は常識として知っていたし、自分には関係のない話とも思っていた。
だが、実際はどうだ? 今まで無能だと思っていた
(とにかく今はマナが天恵姫であることを知らなかったことを話さなければ。そうでないと、我が一族は終わる……っ!)
流れる冷や汗を拭いながらそう自答していると、応接間の扉がノックされ、そのまま入室してきた。
「失礼します。お待たせして申し訳ありません」
「い……いえ、それほど待っておりませぬ」
入室してきたのは、一人の青年。
絹糸のように細く艶やかな黒髪、エメラルドを彷彿とさせる緑色の瞳、そして人形のように整った美貌。
名はエレン。当代天恵姫マナの伴侶に選ばれた、【黄金】の王宮魔術師だ。
一〇歳の精霊召喚の儀にて、彼は【氷】と【闇】のダブルエレメンツを持つ精霊と契約し、その後弱冠一四歳で王宮魔術師の試験を突破。
そのまま数多くの任務をこなし、着々と出世コースに乗った彼は、一年前に最年少で【黄金】に昇進。
万年【銅】に甘んじるガルムにとって、目の上のたんこぶであると同時に絶対に逆らってはならない相手でもある。
「……さて、本日お呼びしたのは他でもありません。天恵姫……マナの件についてです」
向かいのソファーに座った直後、話題を切り出したエレンに誰もが息を呑む。
当然だ。少しでも変なことを言えば、パルネス家は終わる。
誰もが迂闊に口を開けず、顔を青ざめるパルネス家の三人。
その様子をエレンは冷たい表情で見つめていた。
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