第9話 お誕生日おめでとうございます

 精霊王イーリス。

 伝承では精霊界を統べる王であり、同時に精霊達の母でもあると記されている。

 そのため、精霊王イーリスは女性の姿として描かれることが多い。


 天恵姫や精霊王についての歴史書は、学会などで集めた情報を基に創作されたこともあり、今日まで精霊王イーリスの真の姿は誰も知らなかった。

 だけど、目の前にいる女性こそ、精霊王イーリスであることは明白だ。


 それを証拠に、精霊と契約した魔術師達だけでなく、その場にいる者は皆、息を呑んで頭を垂れる。

 本能で悟ったのだ。あの女性こそが、精霊王イーリスであることを。

 エレンだけでなく国王夫妻すらも頭を垂れるという事態に、マナは気付くことなく目の前の女性に釘づけとなる。


「さあ、手を出して」

「は、はいっ……」


 イーリスから右手を差し伸べられ、反射的にマナも右手を出す。

 白魚のように白く細い手がマナの右手を取ると、そのまま甲に優しく唇が落とされる。

 やがてピリッと小さな刺激が走ると、唇が離され、代わりに紋章が浮かび上がる。


 八光はっこうの紋章。それは、精霊と契約を交わした魔術師に現れる、絆の証。

 本来ならばその精霊の持つ属性の色――アイリーンの精霊の属性が【火】ならば、赤一色の紋章になる。

 しかし、マナの持つ紋章は八色。それはすなわち、精霊王の属性は【全】――全てのエレメンツを司る存在であることを示している。


「これにて真の契約が交わされた。今より、あなたは私の契約者よ」


 そう言った直後、ポンッと白い煙を出しながら、イーリスの姿が変わる。

 先ほどの美しい女性と打って変わって、白銀の毛並みが美しい猫に。

 その猫がぽすんっとマナの腕の中に収まるも、突然の変化に本人は目を回す。


「え……ええっ!? あの、これって……!?」

「落ち着いてください、マナ。人型の精霊は人間界にいる時は仮の姿になります。ですがその姿は契約者の魔力の総量に左右されるので、このような姿になっているのです」

「じゃ、じゃあ私が未熟だからこんなお姿にしてしまったってことですか……!?」

「いえ、そういうわけでは……!」


 あの神々しい精霊王をこんな姿にしてしまい、罪悪感で顔を青くするマナ。

 エレンは必死にフォローしようとするも、上手く言葉が出ずに口ごもってしまう。

 困惑する二人を見て、イーリスはくすくすと笑う。


「大丈夫よ、マナ。確かに今のあなたは天恵姫としては半人前だけど、この姿になったのは今まで私がなった姿の中で一番落ち着くからよ」

「そ、そうなのですか……?」

「ええ。だからそんなに心配しないで」


 ぷにぷにと肉球で頬を軽く押され、気が動転していたマナはその柔らかさで落ち着きを取り戻す。

 そのタイミングを見計らい、クリストファーは頭を上げると、給仕から葡萄酒の入ったグラスを受け取り、再び大広間に向けて声を放つ。


「無事、天恵姫が精霊王との契約を交わされた! 今後、天恵姫は我が国の要人として守護し、それに害をなす者は身分問わず国に仇なす逆賊とみなすことを宣言する! 諸君、天恵姫とその伴侶の門出を祝して――乾杯!」

「「「乾杯!!」」」


 グラスが掲げられると、大広間にいた誰もが同じようにグラスを掲げる。

 そして音楽が奏で始め、再びダンスや立食に興じ始める。

 国王夫妻が踊り場から階段を降り始め、マナも後を追うように歩き出す。


 だが、その一歩を踏み出した直後、マナの膝ががくっと折れる。

 そばにいたエレンに抱き留められ、イーリスと一緒に床に倒れるという惨事は防がれた。

 その異変を察し、クリストファーは踵を返してマナとエレンの元へ歩み寄る。


「どうした?」

「陛下……どうやら、魔力切れを起こしかけているようです」

「そうか……確かに精霊の契約は、魔力を大半奪われるからな。私も覚えがある」

「ええ。ですので、すみませんがここでお暇させていただきます」

「ああ。私からも伝えておこう。エレン、後は頼んだ」

「かしこまりました。……マナ、失礼します」

「え? ……きゃあっ!?」


 声をかけられ首を傾げた直後、マナの体は宙を浮く。

 いや、正確に言えばエレンに抱えられていた。しかも、貴族平民問わず誰もが憧れるお姫様抱っこで。

 その光景を見て、一部の令嬢達は黄色い悲鳴を上げた。


「あああ、あの、エレン様……! お、下ろしてください……!」

「今のあなたはロクに歩けない状態なんです。いいから、このまま運ばれてください」

「そ、そんなぁ……!」

「あらあら、うふふっ」


 顔を真っ赤にしながら縮こまるマナと、表情に出さないまま内心恥ずかしがるエレン。

 そんな二人の心情を察しているのか、イーリスは面白おかしく笑う。


 二人が大広間から出て行く姿が、まるで恋愛物語のワンシーンのようで、まだ見ぬ恋に憧れる令嬢達はきゃあきゃあ騒ぎながらも羨ましそうに見つめる。

 その令嬢達に紛れて、悔しげな顔で唇を噛むアイリーンの姿があったが、お姫様抱っこされて羞恥で目を回しているマナは気づかなかった。



 来た道を戻る中、マナはずっとエレンに抱えられたままだった。

 途中で何度かメイドや給仕、兵士とすれ違ったが、誰もが微笑ましそうな視線を向けるだけで、マナは顔をさらに赤くする。


(お姫様抱っこなんて、初めて……)


 いや、むしろこうして誰かに抱きしめられたり、抱えられたりするのは、母が生きていた頃以来だ。

 母がいなくなってからは、誰もがマナに親愛の意味を込めて触れることはせず、苦痛と暴力しか与えなかった。


 この王宮に来てから、久しく忘れていた他者からの優しさとぬくもり。

 それをどう返せばいいのか、今のマナには分からない。


「……ああ、そういえば言うのが忘れていました」

「はい……?」


 あと少しで自室に辿り着く前に、足を止めたエレンは思い出したように呟く。

 それに反応して首を傾げると、彼はきょとんとしているマナに向けて言った。


「――一八歳のお誕生日おめでとうございます」


 それは、ずっと言われなかったお祝いの言葉。

 マナが生きることを許してくれる、今日という日だけの魔法。

 誰も言ってくれず、ずっと自分だけが言い続けた言葉を、この人は言ってくれた。


「あ……ありが、とう……ござい、ます……」


 ちゃんと顔を見てお礼を言いたい。

 なのに、マナの瞼はゆっくりと下がっていき、それでも辛うじてお礼を告げると、静かに瞼が閉じられる。

 小さく細い寝息を聞きながら、エレンは自分の額をマナの額に摺り寄せた。


「……もう大丈夫です。あなたのことは僕が一生守り、愛します。それが、僕の生きる理由であり、唯一の希望なのですから」


 まるで言い聞かせるような物言いをしたエレンを、眠るマナの腕の中にいたイーリスは思案するようにじっと見つめる。

 しかし何も言わず、ただ「うみゃ~」と欠伸交じりの鳴き声を上げるのだった。

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