第8話 お披露目
エレンのエスコートの元、向かうのはセントラルパレスの大広間。
今日はマナと同じ日に生まれた貴族令嬢令息、その家族が集まり、成人祝いのパーティーを開く。
しかし同時に、マナが天恵姫としてお披露目する場となる。
(お披露目……ということは、お父様達もいるってこと……)
屋敷を出た時に見た彼らの驚愕と動揺の顔は、嘘偽りない表情だった。
恐らく王宮の使者によって、招かれた貴族の中に紛れている。
自然と歩みが鈍くなり、自然と腕を引っ張られたエレンは歩みを止める。
「……マナ? どうかしましたか」
「あ……申し訳ありません……その、お父様達がいることを考えたら、自然と震えて……」
「そうですか……認めたくないですが、彼らは一応天恵姫の生家。招待せざるを得ないので、大広間にいらっしゃるでしょう」
「……!」
エレンの言葉に、マナの肩がびくっと跳ねる。
どれほど綺麗に着飾っても、自分自身は何も変わっていない。
謝罪の言葉しか口に出せない、とても弱い娘のままなのだ。
せっかく美しく化粧された顔が、一目見ただけで分かるほど青くなる。
その顔を見るとエレンの胸がずきりと痛み、そっと絡んでいた腕を解かせると、そのまま優しく抱きしめる。
まともな食事すら摂れなかった彼女の体は、枝のように細く弱々しい。抱きしめられると、びくりと震え、その震えを宥めるように背中を優しく撫でた。
「エ、エレン様……?」
「……いいですか、マナ。あなたは国に保護された要人で、彼らは王都住まいといえ没落寸前の男爵家。この時からすでに身分で言えばあなたが上にあるのです。ですので、彼らの言葉に従うことも、暴力に耐えることも必要ないのです」
こんなのは、ただの慰めだ。
これだけで長年負った心と体の傷が完全に癒えるとは思わない。
それでも効果があったのか。エレンの言葉に反応し、腕の中で顔を上げたマナは、涙で瞳を潤ませながら問いかける。
「必要……ない? 私は……もう殴られたり、蹴られたり、ひどい言葉を言われなくていいの……?」
「ええ。むしろそれをしたら、罰を下されるのはパルネス家の方です。ですので、堂々と……までは言いませんが、しっかり背筋を伸ばしてください。あなたは国の至宝であると同時に、僕のお嫁さんなのですから」
エレンの声が、するりと優しく耳に入っていく。
今まで優しい言葉をかけてくれたのは、母と一部の使用人だけだったマナにとっては、まるでぬるま湯に浸かったように心地よいものだ。
(だからこそ……分からない。どうしてあなたは、私に恋をしたの?)
叶うなら、その経緯を知りたい。
でもそれを知ったら、今の幸せが壊れそうで聞けない。
そんなジレンマに襲われていると、エレンがそっと体を離した。
「そろそろ向かいましょう。あまり遅いと、陛下が変な勘繰りをしてしまいます」
「は、はい」
「ところでマナ、あなたは魔法の呪文については――」
「あ、その……お母様が少し教えてくださったので、基本は分かります」
「そうですか。あなたは記憶力がいいのですね」
確認という名の会話をしながら、もう一度腕を組んで歩き出すマナとエレン。
その足取りは、ゆっくりながらもしっかりとしていた。
大広間の二階の扉の前で、クリストファーが王妃エリシア・ミルド・ヴィリアンと共に立っていた。
立派な王冠と錫杖を持った国王と、白い花飾りを随所にちりばめた青いドレスを身に包む王妃を見て、マナは緊張で息を呑む。
「遅くなり申し訳ありません」
「構わない。どこかで道草を食っていたのか?」
「いえ、少し段取りを教えていただけです」
「そうか。……マナ殿よ、此度のお披露目は貴殿にとって緊張するものになるが、我々がそばにいる。存分に精霊王を喚んでくれ」
「――はい。誠心誠意、ご期待に応える所存です」
国王自らの激励に、マナの口から自然とそんな言葉が出てきた。
自分で言った言葉に驚く天恵姫を見て、国王夫妻は小さく微笑む。
エレンもまた、少し恥ずかしげに顔を赤く染めたマナを見下ろして、誰にも気づかれないように口元を綻ばせた。
「――では、参るぞ」
「はい、陛下」
クリストファーの言葉に、エリシアが答える。
すると扉の向こうでラッパが鳴り響き、扉の両端に控えていた給仕二人が同時にドアノブに手をかけ、そのまま扉を開ける。
花びらを模した水晶のシャンデリアの光が差し込む絢爛豪華な大広間は、オーケストラと華々しく着飾った貴族達が踊りに興じたり、食事を楽しんでいた。
しかし国王陛下の登場を告げるラッパが鳴ると、一斉にそれらをやめると頭を下げる。
アーチ状の階段の踊り場に立つ国王夫妻は、町で売られている絵姿そのままだが、誰もが頭を下げているせいで姿を拝見できない。
大広間に揃っている者達を見下ろしながら、クリストファーは声高らかに告げる。
「面を上げよ、愛しき国民達よ」
国王の許しが出たことで、誰もが顔を上げる。
視線の先にいたのは、豪奢な姿をしたクリストファー国王陛下とエリシア王妃殿下。
芸術の神が作りたもうた彫像のように美しい二人の姿に、誰もが感嘆の吐息を漏らす。
「本日、無事に一八歳を迎え、成人となった者達よ。我がクリストファー・セルブス・ヴィリアンの名を以て祝福しよう。だがしかし、此度はさらなる朗報を持ってきた」
クリストファーの話を聞いていた貴族達はざわめく中、その朗報の内容を知っているパルネス家の面々は青い顔をする。
彼らの反応を一瞥しながら、クリストファーは話を続ける。
「二〇年前、我が母で前王妃シャルロット・ヴァン・ヴィリアンが、我が国に天恵姫が誕生する予言を、その六年後にその伴侶となる者の予言を授かった。そして今日、遂に天恵姫と伴侶が無事揃った!」
堂々かつ高らかな宣言と共に、国王夫妻の背後からマナとエレンが現れる。
絡んでいた腕を一度解き、マナはカーテシーを、エレンはお辞儀を披露する。
その直後、大広間を震わせる大歓声が響き渡り、その声量に驚きながらもマナはエレンと同時に頭を上げた。
「当代天恵姫マナ、その伴侶エレン。この二人こそ、我が国に精霊王の恩恵を、そして長きに渡る平穏を齎す者達である。そして今ここに、待望の精霊王が顕現する!」
その宣言と共に、遂にマナの大仕事が始まる。
魔法の呪文については母から教えてもらったとはいえ、実際に使ったことはない。
緊張しながら一歩、一歩と前に出て、大広間を見渡せる位置で足を止める。
誰もが期待と興奮の眼差しを向けており、その端ではパルネス家が険しい顔でこちらを見ていた。
一瞬継母の憎悪に満ちた視線を受けて、後ずさりしそうになるも、なけなしの気力でぐっと堪え、深く深呼吸する。
誰もが固唾を呑んで見守る中、マナはそっと右手を空中に翳し、呪文を唱える。
「コール・ディア・マナ――現れて、精霊王!」
初めて唱えた呪文は、まるで懇願のようだった。
だけど、その呪文に反応したように、右手の先で光が集まってきた。
【火】の赤、【水】の青、【地】の橙色、【風】の緑、【氷】の水色、【雷】の黄緑、【光】の黄色、【闇】の紫。
八色の光が一点に収束していき、やがて人の形に象っていく。
そして、一際強い輝きが放たれ、マナだけでなくその場にいた者達は一斉に目を瞑る。
やがて静かに光が収まっていき、ゆっくりと瞼を開けた瞬間、息を呑んだ。
それは、美しい女性だった。
足元近くまで伸ばした白銀の髪と同色の瞳は、光の角度によって淡く輝きながら色を変える。
マナと同じ純白のドレスを身に纏っていて、頭には属性の色にちなんだ宝石が埋め込まれた
あまりの美しさに誰もが息を呑む中、女性は蔓草を模した手すりの上に立つ。
危なげなく立っているその姿を見て、マナは呆然としながら訊く。
「あなたは……精霊王ですか……?」
思わずそう質問すると、女性はにっこりとほほ笑んで答えた。
「ええ、そうよ。私が精霊王イーリス。ずっと会いたかったわ、愛しい天恵姫」
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