第12話 悪夢から覚める朝

 夢を見た。

 忘れたいのに忘れられない、辛い過去の夢を。


「ない……ない! どうして……!?」


 それはまだ精霊召喚の儀をする前――正確にはアイリーンが二歳になった頃、屋敷の片隅の部屋に追いやられたマナは、クローゼットの中を開けて、入っていた服を床に投げ捨てていた。


「お嬢様、どうかしましたか?」

「ないの! お母様のドレスもアクセサリーも……!」

「まあ! なんてことでしょう……」


 この頃はまだ、マナに味方してくれる使用人はいた。

 名前はうろ覚えで思い出せないけど、目元が優しげな初老の女性だったことは覚えている。


 母が死んですぐやってきた継母・メディテは、母と自分を嫌っていた。

 理由は本来正妻として迎え入れてくれるはずだったのに、家の都合で無理矢理別れさせられたことを根に持っているらしい。

 時折出くわすと、「お前がいたせいで」「お前の母親は泥棒だ」と言ってくるのだ。


 マナも幼いながらも、父と母の仲がそれほどよくなかったことはそれなりに理解していた。

 自分を撫でる手は優しかったけど、母を見る目は氷のように冷たかった。

 でもメディテと再婚して、父はマナのことを忘れたかのように振る舞い、新しい家族と過ごす時間を大切にした。


 メディテは自分が父に愛されていると理解していたからこそ、こうしてマナの部屋に忍び込んでは、形見であるドレスやアクセサリーを奪っていった。

 彼女が自分や母を憎む理由は理解した。だが、ここまでの仕打ちをされるほどの謂れはないはずだ。


「……私、お継母かあ様と話してくるわ」

「そんな! 危険です!」

「大丈夫よ。お父様だって庇ってくださるわ。だって、私とお父様は血の繋がった親子だもの」


 この時は、まだ父のことを信用していた。

 たとえ愛していない女の娘でも、マナに血の繋がりがある以上、父だって助けてくれるはずだと。

 しかし、その期待は見事に裏切られた。


「人を盗人呼ばわりなんて、なんて性根の腐った子だこと。さすがはあの泥棒猫の娘ね。反省するまでわたくしの前に姿を現さないでちょうだい」


 メディテに母の形見を盗んだことを問い詰めた直後、マナは問答無用で倉に閉じ込められ、そのまま一晩その中で過ごすことになった。

 倉は比較的使われているとはいえ、蝋燭をつけないと昼間でも薄暗く、夜になると真っ暗になる。

 幼い子供にとって視界いっぱいに広がる暗闇は恐ろしく、早く出たいが一心で扉を叩きながら必死に叫んだ。


「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい! お願いします、ここから出して! 出して! 出してぇぇぇっ!」


 泣き叫ぶマナの声を、メディテは「みっともない」と鼻で笑い、そのまま倉を後にする。

 その間、父は一度も助けにきてはくれなかった。

 唯一マナに気を遣ってくれていた使用人の女性も、その日の内に解雇させられ、屋敷を出て行った。


 それが、マナが『家族』の一人ではなくなった日になった。



「―――はぁ……っ!?」


 大粒の汗を流し、荒い息を吐きながらマナは目を開けた。

 勢いよく上半身を起き上がらせると、額の上に乗せていた濡れタオルが落ちる。

 浅い呼吸を繰り返しながらゆっくりと部屋を見渡し、やがて朦朧としていた目に光が戻る。


(そうだった……ここはフェルリエード城で……エレン様が用意してくださった、私の部屋……)


 ようやく意識が覚醒し、バクバクと早鐘を打つ心臓が徐々に落ち着きを取り戻す。

 そして深く息を吐くと、のそりと枕元で丸まっていた白い猫――イーリスが話しかける。


「随分と魘されていたわ。悪い夢を見ていたの?」

「イーリス様……」

「イーリスでいいわ、私の可愛いお姫様。あなたと私は一心同体、そこに遠慮なんていらないわ」

「では……イーリスと呼びますね」

「敬語もいいのだけど……そこは追々ね」


 ひとまず名前呼びだけで満足したイーリスは、人の姿になるとそっとマナの頬を撫でる。

 再び姿を見せたイーリスを見て、改めてなんて美しいひとなのだろうと再確認した。


「……うん、魔力は少しずつだけど増えているわね。体もようやく魔力に馴染んでいるし、あとは数日静養すれば天恵姫として相応しい姿になれるわ」

「そうですか……よかった……」

「やっぱり水晶苺クリスタルベリー十光じゅっこう聖水の同時摂取はかなりの荒療治ね。魔力熱が引くまで二日も眠る羽目になるなんて」

「そうですか、二日…………二日!?」

「ええ。あなた、あのお披露目の後、二日眠っていたのよ。正確には約二日? でもそこまで変わらないわね」


 そうイーリスは笑っていたが、マナにとっては笑い事ではない。

 あの天恵姫のお披露目から二日も経っている。今まで一日も休みなく屋敷の仕事をしていた彼女にとって、こんなにも長く眠ることは初めてだ。

 さぁーっと顔を青くしてると、部屋の扉がノックされるもすぐに開かれた。


「失礼します。悲鳴が聞こえたようなのですが……大丈夫ですか?」

「エ、エレン様……」

「大丈夫よ。二日も眠っていたことに驚いていただけだから」

「ああ、なるほど。僕も似た経験があるので気持ちは分かりますよ」


 イーリスの言葉にエレンが納得すると、彼は片手で扉を閉めた。

 もう片方の手には白磁で周りに金の模様が施されたお皿を乗せた銀盆を持っており、それを布団に乗せた。

 中に入っていたのは、柔らかく煮込んだ麦粥むぎがゆ。一般的の麦粥は麦だけだが、細かくみじん切りにされた人参や玉葱、それに彩りとしてパセリが振りかけられていた。


「これは……?」

「お食事です。二日も寝ていたし、普通の食事に慣れていないと思い、用意しました。さぁ、冷めない内にどうぞ」

「い、いただきます」


 エレンに促され、マナは銀のスプーンを手に取るとそのまま麦粥を口に入れる。

 何かの出汁を使っているのか、甘い脂と旨味を感じ、野菜は噛むだけでほぐれるほど柔らかい。麦はそれ以上に柔らかく出汁をたっぷり吸っていて、これだけでもお腹がいっぱいになる。


「美味しいです。これ、なんの出汁を入れているんですか?」

「今朝捕れたばかりの鴨からですよ。肉はまだ無理かと思い、僕が先ほど朝食として食べてしまいましたが……」

「いえ、大丈夫です」


 今まで厨房にあった残り物を簡単に調理して食い繋ぎ、残り物がない時は食事を抜くことすらやむを得なかったマナにとって、脂の多い肉や魚はあま食べ慣れていない。

 正直鴨肉も食べられるか怪しいので、入れないで正解だった。


「ならよかった。……ところで、お食事中のところ申し訳ないのですが、パルネス男爵家についてお話ししてもよろしいですか?」

「…………家が、どうかしたんですか?」

「一昨日話した通り、パルネス家はあなたを長年虐待した罪で、こちらで処罰を下しました」


 処罰。

 あの時のエレンは命を取るような罰を下さないと言っていたが、それが本当なのか分からない以上、このことはきちんと知らないといけない。


「天恵姫の生家には名誉や数々の褒賞を国から賜るのが通例なのですが……虐待の件により、それらを全てあなたの母君の実家であるフォーリアス家に譲渡することになりました。それと無期限の無断接触禁止令を出しました。これであなたに近付くことはできないと思いますが……正直、怪しいところです」

「そう……です、ね……」


 今まで虐げていた娘が、自分達より上の地位にいることをあのメディテとアイリーンが許すはずがない。

 それにガルムが【銅】の王宮魔術師として城を出入りしている上に、身内である二人も城に登城できる以上、鉢合わせる可能性もある。


「念のため、城の兵士やメイド達にはあなたが彼らと接触した場合、至急護衛を向かわせるよう頼みました。もちろんティリスとローゼもそばにつかせますが、彼女達にも仕事があるのでずっとというわけにはいきません。ですので、僕の部下を入れ替わりで配置します」

「エレン様の部下?」

「ほら、謁見の間で会ったでしょう? あの騒がしい三人組」

「あ……もしかして、あの時の方々を……?」

「ええ。彼らは僕が部下にした【銀】の中でも、腕は確かです。ガイルは……少し事情があって【銀】にいますが、ぶっちゃけ【白磁】寄りなので気にせずこき使ってください」

「え、ええっと……」


 王宮魔術師は、国中の魔術師にとって憧れの的。

 そんな彼らをこき使えと言われても、今までこき使われていた側であるマナは反応に困ってしまう。


「……さて、話はこれくらいにして、残った麦粥は全部食べてください。これから王宮内を案内します」

「王宮内を……ですか?」

「ええ。あなたはこれから王宮で暮らすのです。でしたら、城内の地図くらい頭に入れておかないと」

「そ、そうですね。分かりました、全部食べます」

「焦らなくていいですよ。粥を喉に詰まらせますから」

「むぐっ……!?」

「ああ、言ったそばから……!」


 思わず急いで麦粥を食べたマナは、エレンの忠告通りに喉を詰まらせる。

 その横でエレンが慌てて水差しを渡すのを、イーリスはじっと無言のまま二人を見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る