第34話 『不契の紋章』
「コール・ディア・ライオル! 土の矢よ、彼の者を貫け!」
最初に攻撃してきたのは、ライオル。
彼は背後に現れた熊の精霊から力を与えられると、そのまま矢の形をした土が飛んでくる。
「コール・ディア・エレン。氷の壁よ、悪意ある攻撃を防げ」
次に、エレンが氷の壁を生み出し防御する。
高らかに叫ぶライオルと違い、エレンの詠唱はまるで小さく囁くように、とても静かなものだ。
だがその威力は桁違いで、マナの腕半分の厚さがある壁に微かにヒビが入るだけで攻撃を受け止める。
「コール・ディア・ライオル! 土の槍よ、凍える壁を壊せ!」
「コール・ディア・エレン。闇の茨よ、迫りくる脅威と彼の者を縛れ」
ライオルが次々と土の槍で氷の壁を破壊するも、足元の影から現れた闇の茨によって動きが止まる。
先がエレンの目の先まで来たが、本人は動揺しないまま涼しい顔で見つめる。
その間にライオルの足元の影から茨が現れ、問答無用に彼を縛る。
「コ、コール・ディア――もがっ!?」
「これで終わり、です」
すぐさま詠唱しようとしたライオルだが、茨が彼の口周りを覆ったことで攻撃を塞がれる。
まともに呼吸ができず、芋虫のように身じろぐも、茨は一切緩められず、やがてライオルの意識は闇の中へ落ちる。
あまりにも無駄のない魔法の使用。
これが、【黄金】を賜った王宮魔術師の実力。
マナが呆然とそれを見ていると、エレンはライオルの元へ近寄り、そのまま彼の上着の懐に手を突っ込む。
どうやら内側にポケットがあるらしく、出てきたのは無骨な鉄の鍵。
それを手にマナに近付くと、枷にあった鍵穴に入れて回す。
ガチャン、と音と共に枷が外れ、ようやく両腕が自由に動く。
呆然と解放された腕を見つめていると、エレンはそっとマナを抱きしめる。
きつく抱きしめてきたから緩めるよう腕を叩こうとしたが、その腕が微かに震えていたことに気づく。
「無事でよかった……っ。助けるのが遅くなって申し訳ありません」
「……いいえ。助けに来てくれて、ありがとうございます」
家にいた頃は、どれほど泣いても、叫んでも、誰も助けに来てはくれなかった。
それが、今ではちゃんと助けてくれる人がいる。こうして抱きしめてくれて、安堵してくれる人がいる。
それだけで、マナは十分だった。
「………………どうしてよ」
その時だ。
ぶつぶつと譫言を呟くガルムの近くにいたアイリーンが、感情が抜け落ちた顔で呟いた。
その声に反応し、二人の体が自然と離れた。
「どうして、私がこんな目に遭うのよ? 私はただ、お母様に言われた通りにしただけよ。『
それは、アイリーンがずっと隠していた本音。
無能だった義姉が国で一番大切にされる存在だと思い知らされ、これまでの悪行が白日の下に晒された日から、胸の内に秘めていた言葉の刃。
何も知らない者から聞けば、ただの子供の駄々と変わらないだろう。
しかしそれを聞いて、エレンが抱いたのは憐憫だ。
恐らく、アイリーンは誰よりも純粋な性格だったのだろう。
家庭教師の教えを素直に守り、普通の家庭で育っていれば、非の打ち所がない令嬢として誰からも愛された存在になっていた。
だけど実母の私怨交じりの嫉妬に感化され、誰かを傷つけることすら厭わない娘と変わってしまった。
(哀れですね)
荒く息を吐く彼女を前に、エレンが口を開こうとした時だ。
「――随分とみっともないわね。見ていられないわ」
今まで黙っていたイーリスが、冷たい言葉を吐く。
それを聞いて、アイリーンはビクッと肩を竦めた。
……きっと、気づいているのだろう。彼女が自分に向ける氷のように冷たい視線に。
その奥に宿した、激しい憤怒の炎に。
「奪われたから奪い返す? それこそお門違いよ。あなたはマナから何を奪ったか忘れたの? 母親の形見、人並みの生活、そして尊厳……奪えるものを奪い尽くしておいて、まだ奪うというの?」
「そ……そうよ! そいつは、何も持っちゃいけないの! 全て、私とお母様に奪われるのが当然なのよ!」
「…………そう。なら、私が彼女の代わりに奪ってあげるわ。あなたが……いえ、あなた達が一番大切なものを」
その言葉が引き金となった。
イーリスの足元に
全ての属性の色が淡く輝き、まるで教会のステンドグラスのように美しい。
だが、その魔法陣が浮かんだ直後、アイリーンの背後に契約している狐の精霊が現れる。
アイリーンだけではない。ガルムの土竜の精霊も、ライオルの熊の精霊も。
精霊の母である彼女の気配を感じ、姿を見せる。
「――精霊王イーリスが命ずる。かの者らの力は、この時を以て霧のように消え失せる。愛し子らよ、故郷へ帰還せよ。新たな主が現れるその時まで」
精霊王の言葉に、精霊達が同調するように鳴き声を上げる。
そのまま光の粒となって消えていくと同時に、アイリーン達の右手の甲に黒い紋章が浮かび上がる。
契約する時に浮かぶ紋章と似ているが、肌に焼き付いたように消えない。
「こ……これ、これは……!」
「ええ。お察しの通り、それは『
『
ジャクソンの講義で、その存在は耳にしたことがある。
『
まさに、魔術師の『死』そのもの。それが今、アイリーン達の手の甲に刻まれた。
ひゅっと息を呑んだ腹違いの妹が、持っていたお気に入りのハンカチで紋章を消そうとする。
しかし紋章は一向に消えず、逆に彼女の肌を傷つける。赤くなり、皮膚が切れて血を流しても、まるで狂ったように拭うその姿にマナは息を呑んだ。
「これは、私の大切な契約者を傷つけた罰。あなたの大切な物を奪うことが、
「あ……ああ……あああああああああああっ!!」
イーリスからの宣告に、アイリーンは滂沱の涙を流しながら頭を抱える。
その光景を見ていたメディテは「そんな……わたくしの全てが……!」と愕然としており、冷たい一瞥を向けた後、イーリスは白猫の姿に戻りマナの腕の中に納まる。
「……戻りましょう。もうここに用はないわ」
「そうですね。……行きましょう、マナ」
「……はい」
ようやく事態を聞きつけ、駆けつけた警備隊らしき者達がアイリーン達を連行していく。
ローウェンに跨り、飛翔し始めた直後にメディテが「こんなことになったのも全てはあの無能のせいだ! 全て!!」と憎悪剥き出しの目で睨んできたが、すぐに警備隊によって捕縛され、屋敷の廊下へ追いやられる。
最後まで自分を恨む義母の姿を見て、マナは目を背けるようにエレンの胸元に顔を埋める。一瞬だけエレンは身を固くするも、すぐに優しく背中を叩いてくれた。
「ローウェン、王都までお願いします」
主人の言葉に黒竜は逞しく一声鳴くと、そのまま翼をはためかせる。
藍色と黒が混じった空は、いつしか眩しい太陽が顔を覗かせ、空を青く染め上げていた。
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