第33話 真に愛したのは天恵姫に非ず
ドラゴンから降り立ったエレンは、ボロボロになったマナを見て険しい顔をする。
だけど、そのままマナの前に跪くとそっと優しく頬を撫でる。
「エレン様……」
「大丈夫です。後のことは僕に任せてください。……イーリス、頼みます」
「ええ。分かっているわ」
白猫から人型に変わったイーリスが、マナのそばに近寄る。
いくらライオルやガルムでも、相手は精霊王。
精霊と契約している魔術師にとって、精霊王に刃を向けることは禁忌の一つ。
もし精霊王の肌に小さな傷を一つでもつけでもしたら、逆に契約している精霊によって命を奪われることもある。
過去に両手の指の数だけだが、その禁忌を犯して契約した精霊に殺された魔術師は実際にいる。
そのため、ライオルもガルム、それにアイリーンもマナに近寄る素振りを見せない。唯一魔術師ではないメディテは、さっきの衝撃が残っているせいですっかり腰を抜かしている。
「さて……天恵姫誘拐と暴行、これは国家反逆罪相当に値する罪です。あなた方はどうやら、死ぬ覚悟ができているようだ」
氷のように冷たい目を向けるエレンを見て、ライオルは憤怒に染まった顔で睨みつける。
「はっ! たかが予言で選ばれただけの若造の分際で! そもそも天恵姫は世界の至宝、それを貴様のような大罪人が独り占めするなど正気の沙汰ではない!」
「そ、そうだ……! 第一、王宮がマナのことを知らせていれば、こんなことにならなかった! そうすれば、私だって少しは優しくしていた……!」
一方的な言い分をするライオルと、責任転嫁するガルム。
貴族としてあるまじき姿を晒す二人に、さすがのエレンも呆れてしまう。
小さくため息を吐きながら、エレンはガルムを睥睨する。
「王宮のしきたりを、一貴族が口出すことなどできるはずないでしょう。……そもそも、パルネス男爵。あなたは何故、彼に協力したのですか?」
「ど、どういう意味だ!?」
「マナの母君であるクレア夫人との政略結婚は、ロナルド・サルベール前伯爵とあなたの父君であるマリオ・パルネス前男爵、そして前国王が企てたものです」
エレンの口から出たのは、顔も覚えていない祖父とライオルの父、そして前国王の名。
この場でその三人の名が出てきて、ガルムは分かりやすいほど動揺するも、ライオルは険しい顔のまま黙り込んでいた。
「そ、それはどういうことだ……!?」
「言葉通りですよ。前国王である父とサルベール前伯爵は、それぞれ己の目的のために天恵姫を欲していた。そのため、彼らは王宮魔術師の中で没落寸前の、一番使える駒としてパルネス家を選んだ。……おかしいと思わなかったですか? 辺境伯とはいえ、王都では公爵と同等の地位を持っているクレア夫人が、男爵とはいえ政治的価値もないあなたの家に嫁いだことに」
「そ、それは……」
「恐らく、この計画は父とサルベール前伯爵、そしてパルネス前男爵のみしか知らなかったのでしょう。もしあなたも計画のことを知っていたら、先の発言通りマナを虐げることはなかった。……あなたは、親子揃って騙されたんですよ」
エレンの言葉に、ガルムが青白い顔でその場に崩れ落ちる。
顔に滝のような汗を流しながら、ライオルに縋るような眼差しを向ける。
「う……嘘ですよな……? あなたが私と父を騙したなど……そんなこと、あるわけが……っ」
信じたくない。信じられない。嘘だと言ってくれ。
そんな懇願が表情として出しているガルムに、目の前の男は冷笑を浮かべた。
「――残念だが、事実だ。貴様も、貴様の父も、本当に扱いやすい駒だった。感謝しているぞ」
その言葉に、その真実に、ガルムの心が容赦なくへし折られた。
己の身に降りかかった不幸の元凶の一人が、目の前の男の父親だと理解しても、それでもこれまでの人生が全て利用された結果なのだと知り、目から光が喪われる。
虚ろな目をしながら乾いた笑いを零す実父の姿に、マナだけでなくメディテもアイリーンも言葉を失う。
「本当に非道ですね。何故、そこまでしてマナを手に入れたかったのですか?」
「何故? では、逆に問いたい。魔術師の中で天恵姫を欲していない者などいるか?」
質問を質問で返されるも、エレンは口を閉ざす。
それが合図であるように、ライオルは静かに語る。
「天恵姫、精霊の母たる精霊王と契約できる唯一無二の存在。その存在を巡り、各国は熾烈な奪い合いが起き、時には血を流すことも厭わない。誰もが敬い、慕い、従う。……そんな娘を欲して、その力を手中に収めたいと願うのは当然だろう?」
濁った目を向けるライオルは、不思議そうに首を傾げる。
彼の言う通り、この大陸に存在する国々は天恵姫の力を欲して、幾度となく歴史書に残る戦争を引き起こしてきた。
その中には、天恵姫自身が自ら命を落とさなければならない選択があったかもしれない。
それと同時に思い知らされる。
マナという娘に対してはそれほどの価値はなく、天恵姫という力だけはどの宝石にも勝るほどの価値があると。
己の思考を察したのか、イーリスがライオルを睨みながらマナを強く抱きしめた。
「だからこそ、理解できない。予言だけで、世界の至宝に相応しい伴侶を選ぶなんて。私のように優れた魔術師にこそ、天恵姫の伴侶に相応しい……いや、そうあるべきだ!」
完全な独占的主張。
それを聞いて、エレンは深くため息を吐く。
「…………それがあなたの動機ですか。なんてくだらない」
「なんだと?」
「ああ失礼、くだらないは違いますね。どうでもいいでした」
あまりにもばっさりと言い捨てたエレンの顔は、言葉とは裏腹にとても清々しい笑顔。
そのことについて突っ込む者は、幸か不幸かこの場にはいなかった。
「天恵姫の伴侶に相応しいだなんて、そんなこと選ばれた僕だって知りません。たとえ魔法の腕に優れていようが、聖人のような素晴らしい人格者だろうが、真の意味で相応しいか否かなんて誰にも判断できない」
そこで言葉を区切ると、エレンははっきりと告げた。
「けれど、これだけは言えます。僕は天恵姫だからマナを愛したのではない、マナだから愛したんです。ただの肩書き程度で彼女を欲するあなたとは違います!」
それは、マナが一番聞きたかった言葉。
天恵姫としてのマナではなく、一人の人間としてのマナを愛しているという確信。
ライオルすら持てなかった強い思慕は、マナの胸の中に温かな喜びを満たしてくれる。
「だからこそ、奪われるわけにはいかない。彼女を一生守り、幸せにする――それができないあなたに、伴侶の座を渡してやるものか!」
「至宝の価値を理解しない愚か者め! ならば守ってみせろ、その手で!!」
直後、両者の魔力が膨れ上がり、互いの精霊が姿を現す。
それが、魔術師同士の戦いの火蓋が切った合図となった。
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