第32話 ただ一人の伴侶
「――エレン様の本名はエレン・リナウス・ヴィリアン。現国王クリストファー・セルブス・ヴィリアン様の実弟にして、前国王を殺した張本人! 本来なら裁かれるべき、極悪非道な魔術師なのです!」
ライオルの芝居がかった口調で明かされた真実。
その内容をすぐ理解できないほど、マナはそこまで頭が悪いわけではない。
確かに、今の王族の中にエレンという王弟殿下がいることも、未成年であるため表舞台に出ることはないことも国民なら――それこそ城下町の子供だって知っている。
いくらパルネス家から外に出ることがなかったマナとて、その話くらいは聞いたことはある。
ただ、その王弟殿下とエレンが同一人物であることは予想外だった。
(じゃあ、あの人を殺そうとした父親って、もしかして前国王陛下……!?)
ジャクソンの口から語られた、エレンの悲惨な幼少時代。
その原因である彼の父親が前国王だと理解し、血の気が引いてくる。
顔を青くするマナを見て、ライオルは歌を口ずさむように言った。
「あのお方は昔から天恵姫の伴侶になることを夢見ていました。しかし、予言では私が伴侶になると星々が告げたのです。それにひどくショックを受けたエレン様は、己の地位を利用してその予言の内容を書き換えたのです! 全ての予言は筆記を担当する文官が一言一句漏らさず書き記していますが、その後の保管は王族ならば立ち入れる特別書庫。……つまり、王族の一員のエレン様ならば、書庫に入り、内容を書き換えることなど造作もありません!」
ライオルの語る話は、辻褄が通っているように聞こえる。
しかし、マナの頭の中にある情報とでは所々食い違いがあることに気づく。
突然の誘拐に始まり、アイリーン達の接触やライオルの言葉に動揺していたが、話を聞いていく内に自然と冷静になってきたからだ。
王妃が告げた予言は、文官によって記録された後、特別書庫に保管されることはジャクソンから聞いている。
しかし特別書庫の警備は王宮内では一等厳重で、
特別書庫は文官を統べる最高責任者である文官長の持つ特別な鍵で施錠されており、しかも文官長の同伴なしで立ち入ることは許されない。
なのに、エレンが特別書庫に入って予言を書き換える?
そんなこと、いくら王族だろうと事実上不可能だ。
「…………………嘘です」
「いいえ、事実です。エレン様はあなたを手に入れるために――」
「あなたの話は、嘘です」
最初の言葉をただの現実逃避だと思って畳みかけたライオルだが、次に出てきた言葉にぴたりと口を動かすのを止める。
頬が腫れ、あちこちに傷を作り、美しいドレスをボロボロに汚れても、
これが、天恵姫。
予言という名の運命に選ばれない限り、永遠に手を伸ばせない究極の至宝。
「予言を記した本が保管されている特別書庫は、たとえ王族でも文官長の許可と鍵がない限り入ることすらできない。これはかつて王族の方が予言の内容を認められず、書き換えてしまった結果、甚大な被害を及ぼしたためです」
どんな予言だったのかは詳しくは知らないが、この書き換えによって王国は予想の倍の被害を出すことになった。
王妃ならば今まで授かった予言の内容は覚えているが、その予言と本に記した内容が一致しているか確認しなければ分からない。
結果、特別書庫の出入りは王族でも容易ではなくなった。
「そんな厳しい警備が施された特別書庫に入って、内容を書き換えるなんて……いくらエレン様でも不可能です」
「……なるほど、特別書庫についてすでに知っていたか。意外と勤勉家なのですね」
マナの指摘になんの反論もせず、ライオルはつまらなそうに呟く。
「確かに、あなたの言う通りです。特別書庫の出入りも、予言の書き換えも、全て私の嘘。ですが、彼が王弟殿下なのは事実ですし、前王を殺したという噂がある。……あなたに多くの隠し事をしている彼を、信じることができるのですか?」
その通りだ。
今まで彼は自分のことを話さなかったし、〝前王殺し〟の件についても否定も肯定もしなかった。
それで全幅の信頼を寄せろ、というのは無理な話。
「――たとえ正体を隠しても、噂が真実でも嘘でも、私にとってはどちらでもいいです」
でも。
あの夜の言葉は、あの時交わした口づけは。
少なくとも、エレンなりの誠実さであり、本心の証だ。
あれほど悩んで戸惑って、たくさん疑っていたけれど。
それでも、目の前にいるライオルや、未だ自分を陥れるパルネス家の言葉より信じられる。
「ただ、あの人だけが私を救ってくれた。優しくしてくれた。愛していると言ってくれた。それだけで、十分なのです」
だからこそ、告げる。
ようやく答えを出せた、この想いを。
「私の運命の伴侶は、エレン様ただ一人。私はあの方を愛している。だから――あなたのような人の花嫁になんかならないっ!」
それが、初めてしたマナの反抗。
この言葉を侮辱として受け取ったライオルは顔を憤怒で赤く染め、ガルムは娘の姿に息を呑み、メディテは苛立ったように美しい顔を歪ませ、アイリーンは冷たい目を向ける。
一触即発の空気が流れた直後、頭上でひんやりとした空気が頬を撫でた。
思わず顔を上げると、屋根の一部に霜が降りていて、パキパキと音を立てながら凍っていく。
今のヴィリアン王国は初夏と呼べる季節を迎えている。なのに、屋根を凍らせるほどの冷気が流れてくるなどありえない。
突然の異変に誰もが戸惑うも、氷は屋根から壁へ浸食していき、やがて屋根と壁の半分以上を凍らせ、一気に割れる。
木片が混じった氷が目の前で崩れ、わずかだが頭上に降り注ぐ。
メディテとアイリーンは頭を抱えながら悲鳴を上げ、ガルムは腰を抜かして床に座り込む。その中で、ライオルは忌々しそうに顔を歪めながら、見晴らしがよくなり露わになった夜空を見上げる。
「やはり来たか――エレン・リナウス・ヴィリアン!」
満月を背景に翼をはためかせる黒竜。
その背に跨るのは、【黄金】の証である金糸の刺繍が施されたマントを羽織った美しい人。
片腕に白い猫を抱きかかえながらも、翡翠の瞳はライオルを見下ろす。
「――ライオル・サルベール伯爵。【黄金】の王宮魔術師として……いえ、天恵姫の伴侶として、僕があなたを直々に裁きます」
マナにとって大切な、想いを告げたいと願うただ一人の伴侶。
エレンは、初めて聞いた冷たい声でそう宣言した。
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