第31話 エレンの追憶②
あの惨状を目の当たりにして以降、放っておけなくなったエレンは定期的にマナの様子を見るのが日課になった。
ジャクソンなんかは王家のしきたり云々言って接触を禁じていたのに、率先して会いに行こうとした時は立場が逆転してエレンと使用人一同で止める羽目になった。
王家もすでに彼女の現状は知っていたが、下手に手を出すことができず、『成人まで生きるよう監視は続ける』という返事しかもらえなかった。
自主的な監視を始めてからしばらくして、エレンはマナとパルネス家のことを知っていった。
彼女の母親は正妻のクレアで、フォーリアス家の血を引いていること。
後妻のメディテはただの平民で、恋人であったガルムと別れる原因となったクレアとその娘のマナをひどく恨んでいること。
そして、ガルムが政略結婚に頷いた負い目から、後妻に甘く彼女のすることに目を瞑っていること。
いくら幼くとも、エレンも王族の一人だ。
政略結婚は王族・貴族の間では当然に起こることだし、それに対して不満はあるが素直に受け入れることが貴族として正しい姿勢だと理解している。
いくら後妻とはいえ好きな相手と結婚できたのだから、そのことで無関係のマナに恨みを持つのは見当違いだと思った。
『貴族にとって政略結婚はよくあること。なのに、それを恨みとして持つとは……この後妻はとんでもなく愚か者ですね』
ジャクソンも同じ意見だったのか、魔法で映るメディテを見て嘆かわしいとばかりに首を横に振っていた。
しかし肝心のメディテはそう思っておらず、アイリーンが生まれるとマナに対する扱いはさらに酷くなっていった。
クレアの形見を全て奪い、幼いマナを倉に閉じ込め、使用人のようにこき使う。
まるで今までの恨みをぶつけたその所業は、本来なら平民である彼女は即首を刎ねられてもおかしくないものだ。
でも、それはまだマシな方だったのだ。
一〇歳の精霊召喚の儀で、天恵姫の特性のせいで精霊を一体も召喚できなかった彼女は、さらに立場が悪化してしまう。
無能の烙印を押され、貴族令嬢が学ぶはずの勉学の機会を奪われたマナは、他の使用人と同じもしくはそれ以下の扱いを受けるようになった。
日々の食事にまともにありつけなくなり、病気になったら休ませて貰えるもその間に義母や義妹から「役立たず」と罵られ、体調が回復した途端に罰として仕置きをされる。
いくら彼女が天恵姫だと知らなくても、その扱いとパルネス家の実態はあまりにも劣悪すぎた。
本当なら今すぐ保護したかったが、しきたりのせいで迎えに行くことすら叶わない。
日に日に弱りながらもあの地獄のような家で生きるしか術がないマナを、もどかしく見守ることしかできなかった。
最初はただの興味本位だった。
でも何度も彼女を見ていく内に、エレンの中に次第にある想いが芽生え始めた。
『ジャクソン……僕、彼女を幸せにしたいです』
天恵姫は世界の至宝ではあるが、エレンにとっては自分の人生を狂わせた存在。
でも、天恵姫としてではなく、ただの女の子としてマナを見て、初めて彼女を幸せにしてあげたいと思えるようになった。
エレンの言葉に、ジャクソンは微笑むだけで何も言わなかったが、きっと自分がそう想えることを嬉しく感じていたのだろうと、今ならなんとなく分かった。
それからエレンは、王宮に戻った途端に天恵姫の伴侶として相応しい教養を身につけ始めた。
元より聡明だったエレンは、あらゆる学問をみるみる吸収していき、精霊召喚の儀では【闇】と【氷】のダブルエレメンツ持ちのドラゴンの精霊・ローウェンを召喚した。
気難しいローウェンと何度も喧嘩になりながらも絆を深め、弱冠一四歳で王宮魔術師となった彼は、怒涛の勢いで功績を立てていき、遂には最年少で【黄金】を賜った。
天恵姫の伴侶として恥ずかしくない地位と権力を手に入れたエレンは、マナの一八歳の誕生日であり成人式の日に、王宮の馬車に乗り込んでパルネス家に向かった。
定期的に見ていたパルネス家は外観が立派だが、中身は腐って困る部分がないほど腐敗しきっていて、内心冷笑しながらも人当たりのいい笑顔で玄関の扉を叩いた。
そして、突然の来訪に驚くパルネス男爵夫妻と二番目の娘を横目に、廊下の先でみすぼらしいドレスを着たマナの手を取って、あの言葉を告げたのだ。
『――初めまして、僕の名前はエレン。前王妃殿下シャルロット・ヴァン・ヴィリアンの予言の元、当代天恵姫であり、僕の花嫁であるあなたを迎えに参りました』
彼女が幸せになるための、最初の一歩となる言葉を。
これまでの思い出が蘇るも、頬を叩く冷たい風によってエレンの意識が現実に戻る。
すっかり薄墨色に染まった夜空には白銀に輝く満月が浮かんでいて、ローウェンの黒い鱗を白く輝かせている。
視線の先には、サルベール伯爵領が見え始めており、領地の住まう民の家の灯りがちらほら見えた。
「もうすぐサルベール伯爵領です。ローウェン、このまま屋敷に――」
「――エレン!!」
ローウェンに指示を出そうとした直後、エレンの頭上でポンッと何かが現れる。
それは、白猫の姿をしたイーリス。
突然の顕現に驚いたエレンは、思わず手綱をぐいっと引いてローウェンの飛行に制止をかける。
いきなり手綱を引っ張られ、不機嫌になりながらもローウェンはその場で翼をはためかせながら滞空する。
その間にエレンはイーリスを受け止め、血相を変えて話しかける。
「イーリス! なっ……何故こんなところから!?」
「それは……今のあの子の魔力が封じられているせいよ」
魔術師の魔力は、精霊に力を貸すために与える供物であると同時に、その人物を特定するオーラのようなものだ。
精霊はどこにいようと、契約した魔術師の魔力を探知し姿を現すが、今のマナは魔力を封じられたせいで位置が分からない状態になっている。
そのためイーリスは、マナと一番近くにいたエレンの魔力を探知し、この場に顕現したというわけだ。
「今は時間がないので簡単に言いますが、マナがある貴族によって拐かされました。恐らくパルネス家も関わっているはずです」
「そう……あの一家はどうやら死より恐ろしい目に遭わないといけないみたいね」
エレンの説明にイーリスの目が細められ、その中に憤怒の炎が灯ったのが見えた。
精霊王を怒らせるということは、全ての精霊に喧嘩を売ったことと同義だ。
たとえ契約した主がいても、精霊王の怒りを買ったと知れば、その精霊は見切りをつけて契約を強制的に解除するだろう。
「そのことは着いてからにしてください。とにかく今は、マナの元に急ぎましょう」
パルネス家とサルベール家。
二つの魔術師の名家がなくなるのは国にとっては痛手だが、事情が事情なだけに同情する余地はない。
この後に下される罰は全て精霊王に任せることにして、エレンはサルベール伯爵領に向けてもう一度飛び立った。
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