第35話 通じる想い

「ほら、口を開けてください」

「じっ、自分で食べれますから……!」


 ノースパレスの一室、天恵姫の自室にて小さな攻防戦が行われていた。

 ベッドの上で上半身を起こした状態のマナは真っ赤な顔で必死に横に背け、その前でエレンがミルク粥を掬ったスプーンを口元に寄せて食べさせようとする。

 看病側からしたら受け入れるのが正しいが、扉の近くで微笑ましそうに見ているローゼとティリアの視線のせいで食欲よりも羞恥が勝った。


「駄目です。医師から明日まで絶対安静と言われているでしょう。これくらいはさせてください」

「ううっ……」


 医師の診断と正論を言われ、マナは唸りながらもスプーンを口の中に入れる。

 乳臭くない牛乳の甘味と、米の柔らかな食感、そして黒胡椒のピリッとした辛味が食欲を刺激する。

 もぐもぐとしっかり噛みながら、マナはさらに生暖かい視線を向けるメイド二人の意味深な笑みを見て、頬をさらに赤く染めた。



 天恵姫誘拐事件から一週間が経ち、ガルム達はクリストファーによって処罰された。

 親子二代で天恵姫略奪を目論んだライオルは情状酌量の余地なく絞首刑、サルベール家は伯爵から男爵に降格。

 妻と息子を含む親族は罪に問われなかったが、しばらくは他の貴族から風当たりが強くなると伝えられた。


 パルネス家はエレンの忠告を無視しマナに接触したことと、今回の事件に手を貸したことで爵位を剥奪され、取り潰しになった。

 ガルムは国外追放になったが、メディテはこれまでマナにしてきた所業が明らかになり、身分が平民に戻ったことでライオルと同じ絞首刑に処された。


 もちろんガルムは反対したが、これまで彼女が好き勝手に振る舞えたのは『男爵夫人』という地位があったからだ。

 その地位を失い、平民に戻ってしまった以上、メディテを守るものは何もない。


 結果、裁判に参加していた議員の賛成意見が多いこともあり、メディテはライオル共々問答無用で地下処刑場に送られた。

 マナはその間怪我による熱のせいで寝込んでおり、代理として裁判所の二階にある個人席で傍聴してきたエレンは、地下処刑場に連れていかれるメディテの様子を話してくれた。


『メディテ夫人は最後まであなたのせいだと主張していましたよ。『あいつのせいで不幸になった! この処刑は、あいつがわたくしに償うためにするべきだ!』と。さすがの兄上も頭を抱えましたよ』


 王都は天恵姫誕生で未だ大賑わいしているため、ライオルとメディテの処刑は非公式で行われた。二人はすでにこの世にいないと知ったのは、事件から三日目の朝――ようやく熱が引いて、ベッドから起き上がれるようになった後だった。

 ガルムもわずかな路銀と荷物を持って国を出ており、パルネス邸は祭りが終わり次第取り壊し、繰り上がりで王都に来る別の貴族の屋敷が新しく建造すると言われた。


 そして、アイリーンはメディテの洗脳に近い教育を施されたことを踏まえ、情状酌量はあったが最も規律の厳しい修道院に送られることになった。

 貴族令嬢にとって、修道院行きは死刑と同じくらい重い罰。一生結婚することもできず、家族と会うこともできない。


 最後まで分かり合えなかった義母妹が、これからどう生きていくか分からない。だが見方を変えてば、彼女は祖父とサルベール親子、そして前国王の陰謀に巻き込まれた被害者の一人だ。

 彼女のしてきたことは一生消えない。それでも、修道院で心穏やかに過ごせるよう祈ることしかできなかった。



「……さて、そろそろ寝ましょう。あなたもお疲れでしょう?」

「でも、エレン様の方がお疲れのはずです。目に隈ができています」


 今回の事件でエレンとジャクソン達は後始末に追われており、ろくに眠れないほど激務に追われている。

 お見舞いに来てくれたガイルやエドワードは、事件前に会った時より青白い顔をしていて、いつか倒れるのではないかと心配したものだ。


「大丈夫です。……それに、今回の件で長年謎だったフォーリアス辺境伯領の魔法災害の真実や、サルベール前伯爵と父上が裏で動かしていた計画がようやく判明するのです。あなたも知りたいでしょう?」

「それは……そうですが……」


 エレンの気遣いは嬉しい。

 でも、マナには彼に訊きたいことと伝えたいことがある。

 ちらっとメイド二人に視線を向けると、彼女達はすぐに頷く。


「エレン様、そちらの食器は私達が片付けますので」

「はい。少し席を外すので、それまでマナ様をよろしくお願い致します」

「え、はい……」


 女性二人に迫られ、エレンは思わず食器を乗せたトレーを渡すと、そのままそそくさと部屋を出て行く。

 思わずそれを呆然と見送っている伴侶を見て、マナの横で丸まっていたイーリスは「意外と強いわね、あの子達」と漏らした。

 エレンは約束した手前、そのまま退室することはできず、そのまま腰を浮き上がらせた椅子に座り直す。


「……それで、僕に何か話でも?」

「あ、やっぱり気づいていました?」

「当然です。この手の足止めは王宮では常套手段ですから」


 さすがというべきか、エレンはマナの目論見などお見通しだった。


「えっと……その、この間の質問の続きなのですか…………」

「質問の?」

「はい……その、サルベール伯爵が、エレン様が王弟殿下であることと、〝前王殺し〟の主犯だと…………それが本当なのか、はっきりと教えてください」

「…………」


 声を震わせながら問いかけるも、マナの目はじっと己の伴侶を強く見つめる。

『正直に話して欲しい』と顔に書いてあるそれを見て、エレンは降参したように苦笑を漏らす。


「……サルベール伯爵の言う通りです。僕はクリストファー殿下の実の弟です。伴侶に決まった際に王位継承権は剥奪されていますが、一応まだ権力はありますね」

「では……〝前王殺し〟の件は? 本当に、エレン様はお父上である前国王陛下を殺したのですか?」

「……半分は違いますね」

「半分?」

「ええ」


 首を傾げるマナを見て、エレンは悲しげな笑みを浮かべる。

 それはまるで、思い出したくもない過去を思い出そうとするかのように。


「父上を殺したのは、契約していた精霊です。むしろ僕は父上に殺されかけていました」

「え……!?」

「父上は己が伴侶になることを願うほど、天恵姫に執着していました。それを実の息子に奪われ、自然と憎しみを抱き……やがて、己の手で僕を消そうとした。それを止めるため、精霊は禁忌である契約者の殺害の罪を犯し、僕を守った」


 精霊にとって、契約者の存在は相棒と呼べるべき者。

 人の手を貸すことはしても、害を為すことを禁じられている精霊にとって、契約者の殺害は最大の禁忌だと、ジャクソンは教えてくれた。

 そして、禁忌を犯した精霊はそのまま消滅し、二度と蘇ることはないことも。


「何故、あの精霊がそんなことをしたのか分かりません。父上を止めるためか、それとも天恵姫の伴侶である僕を救うためか……どちらにせよ、彼のおかげで僕は生きている。ですが、それと同時に僕が父上を死に追いやったことは変わらない」

「エレン様……」

「〝前王殺し〟は、この真実を知らない者……もしくは、僕を疎んでいる者が勝手に流した噂です。ですが、真実が混じっているのも事実。僕は、それをあなたに知られるのが怖くて……自分の都合で黙っていました。幻滅したでしょう? こんな醜い男があなたの伴侶だなんて」


 そう語るエレンの顔は、自嘲と悲しみが混じった笑みを浮かべていた。

 きっと、自分の口からどんな罵詈雑言が飛び出るのか怯えているのだろう。

 でも、マナが口に出すのは、今まで家族から出た言葉ではない。


「……いいえ。私は、あなたのことを幻滅しません」

「え……?」

「だって、私自身があなたに相応しくないって思ってます。天恵姫なんて、ただ偶然選ばれただけで、本当の私は……こんなにも弱くて、醜いのだから」


 ずっと、自分が嫌いだった。

 虐げる家族に逆らえず、家から逃げ出すこともできず、ただ怠惰に生きていただけの卑怯者。

 でも、この王宮に来てから、マナはようやく思い出せたのだ。


 自分は誰かに服従されるだけの人生を送るのではなく、抗って自分の道を選ぶ人生を送れることを。

 その転機となったのはあの日、目の前にいる美しい人が迎えに来てくれたからだ。

 だからこそ、彼のことを信じられる。そして告げられる、この想いを。


「――私、エレン様のことが好きです」

「…………!」

「天恵姫でなかろうが、あなたが穢れていようが、私はあなたのそばにいたい。あなたの……お嫁さんになりたい」

「マナ……!」

「私は、あなたを愛しています」


 ずっと伝えたかった想いを告げると、エレンは勢いのままマナを抱きしめる。

 背中を回り肩ごと掻き抱くその手は、微かに震えていた。

 それは歓喜か、それとも驚愕か。でも、歓喜ならば嬉しい。


「……嬉しいです、マナ」

「エレン様」

「僕もあなたを愛しています。ずっとそばにいてください」

「はい。エレン様も、ずっとそばにいてください」

「もちろんです。一生離しません。あなたは、僕の花嫁なのだから」


 抱き合っていた体を離す代わりに、二人は互いの唇を重ねる。

 不意打ちではない、両者の気持ちが伝わるキスは、どんな菓子よりもとても甘い。

 ようやく気持ちを通じあった天恵姫と伴侶を見て、イーリスは嬉しそうに微笑んだ。

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